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川上久盛

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
川上久盛
時代 江戸時代前期
生誕 慶長19年2月17日1614年3月27日
死没 元禄14年(1701年
改名 千寿丸(幼名)→久盛
別名 通称:助之兵衛、助之進
戒名 昌盛繁
官位 摂津介
主君 島津忠恒光久
薩摩藩
氏族 川上氏
父母 父:川上久林、母:新納忠堯
兄弟 久如久盛
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川上 久盛(かわかみ ひさもり)は、江戸時代前期の武士薩摩藩士。

生涯

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慶長19年(1614年)、川上久林の次男として誕生。

兄で[1]地頭久如が26歳で早世し、その子である千徳丸(後の川上久処)が幼少であったため家督を継ぎ、代理として踊の地頭となった。寛永9年(1632年)、熊本藩2代藩主・加藤忠広改易となった際、万一の加藤氏側の反抗に備え、踊の人数を率いて島津久元らと共に肥後国へ出張している。寛永16年(1639年)、千徳丸が元服すると踊の地頭を辞職し、家督も譲渡した。

元禄14年(1701年)、死去。

脚注

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  1. ^ 現・鹿児島県霧島市

出典

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  • 本藩人物誌』 鹿児島県史料集(13)(鹿児島県史料刊行委員会)