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ランス・ケイド

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ランス・ケイド
ランス・ケイドの画像
プロフィール
リングネーム ランス・ケイド
ギャリソン・ケイド
カウボーイ・ランス・ケイド
本名 ランス・カーティス・マクノート
ニックネーム 悪魔のカウボーイ
身長 196cm
体重 119kg
誕生日 1981年3月2日
死亡日 (2010-08-13) 2010年8月13日(30歳没)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ネブラスカ州の旗 ネブラスカ州オマハ
トレーナー TWA
ポール・ダイヤモンド
デビュー 1999年
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ランス・ケイドLance Cade、本名:ランス・カーティス・マクノートLance Kurtis McNaught)、1981年3月2日 - 2010年8月13日)は、アメリカ合衆国プロレスラーネブラスカ州オマハ出身。

来歴

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1999年ショーン・マイケルズが作ったサンアントニオにあるTWA(テキサス・レスリング・アカデミー)にてトレーニングを始める。FMW横浜アリーナ大会(1999年11月23日)にレフェリーとして来日したショーン・マイケルズに伴われて初めて来日。1週間後に開幕のFMW12月シリーズにアメリカン・ドラゴンとのタッグで参加。翌2000年2月シリーズには単独で来日した。

2001年WWEと契約。下部組織MCWやHAWで活動した後に、OVWへと居場所を移す。OVWではレネ・デュプリーとタッグ王座を獲得した。その後デュプリーがWWEへ昇格したため、マーク・ジンドラックとタッグを組むことになり、その活躍が認められ、ケイド自身も2003年にWWE昇格を果たした。

WWEではギャリソン・ケイドと名前を改め、同じく昇格したジンドラックとのコンビでロウを舞台に活動する。アルマゲドンレッスルマニアで、世界タッグ王座争いをするまでの成長をみせるが、一度も獲得はできなかった。その後、ドラフトにてパートナーのジンドラックがスマックダウンに移籍したためタッグは解消。それからはジョナサン・コーチマンの護衛にあたり、TAJIRIライノと抗争するも、目立った活躍はできずOVWに戻されることになった。

再びOVWにて活動した後、2005年8月にトレバー・マードックをパートナーにケイド&マードックとしてWWEに再昇格。同年に行われたアンフォーギヴェンでは念願の世界タッグチーム王座を獲得。その後はWWEのタッグ部門の扱いからか、主に前座番組HEATでの登場が多くなる。それからビンス・マクマホンエッジと共にDXと対戦し、徐々にWWE幹部からも好評価を得ていく。2007年5月には再び世界タッグ王座を奪取した。

2008年、マードックとのタッグを解散した後はクリス・ジェリコのパートナーとなり、ヒールとしてジェリコと共にショーン・マイケルズと抗争したが、10月にWWEを解雇された。

2009年2月22日カウボーイ・ランス・ケイドリングネームで、ハッスルに参戦。以降もハッスルやベイダータイムで活動後、同年10月にWWEと再契約してFCWにてトレーニングを続けていたが、翌2010年4月、1軍のリングに一度も上がること無く再び解雇された。

以後、5月からは全日本プロレスに登場し、VOODOO-MURDERSの一員として活躍していた。

2010年8月13日オーバードーズに起因する心不全にて急死した。30歳没。訃報はWWE公式ホームページでもアナウンスされた[1]。尚、生前最後の試合は7月4日の全日本プロレスでの真田聖也戦だった。

得意技

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ハイ・ロー
旧名はスウィート&サワー。マードックとの合体技。相手の膝裏と首に二人がかりでクローズラインを打ち込む。
スパイン・バスター
シングルマッチでのフィニッシャー。ロック・ボトム式に抱えるのが特徴。
ダイビング・エルボー・ドロップ
ギャリソン・ケイド時代の決め技。
クローズライン
シングル対戦時での主要技。

獲得タイトル

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WWE

脚注

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  1. ^ Lance Cade passes away”. WWE.com. 2010年8月13日閲覧。

関連項目

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