マニュエル・ルグリ
マニュエル・ルグリ(Manuel Legris, 1964年10月19日[1] - ) は、フランス・パリ出身のバレエダンサー。パリ・オペラ座バレエのエトワールを23年務めた。2010年9月より2020年6月までウィーン国立歌劇場バレエ団芸術監督を務め、2020年12月よりミラノ・スカラ座のバレエ監督に就任した。
優れた音楽性に加えて、踊りについての天性の能力があるといわれ[注 1]、バレリーナのサポート役としても抜群との評価がある。またオペラ座時代より後進の指導に熱心であり、芸術監督として就任したウィーン国立歌劇場バレエ団では若手の抜擢とレパートリーの拡充によりその評価を国際的に高めた。近年は『海賊』『シルヴィア』全幕の振付でも高い評価を得ている。
経歴
[編集]8歳で地元のバレエ教師、Y・グーベにバレエを習い始める[2]。1976年、11歳でパリ・オペラ座付属バレエ学校に入学。
1980年、16歳でオペラ座のコール・ド・バレエとなり、翌81年コリフェ、1982年スジェに昇進する。1986年7月、巡演先のニューヨーク・メトロポリタン歌劇場で、 ルドルフ・ヌレエフ振付『ライモンダ』 の主役ジャン・ド・ブリエンヌを踊った後、当時同バレエ団の芸術監督であったヌレエフの意向により、第一舞踊手(プルミエ・ダンスール)を経ずにエトワールに任命された。このとき21歳。
ルグリのエトワール昇格は、広範な才能を持ち、多彩なレパートリーを生み出し続ける新しいスターの誕生を世に知らしめるものであった[3] 。ルグリは、その本来の持ち味である完璧なテクニック[3]と表現力の豊かさ[3]に加えて、卓越したパートナー[4]、古典にも現代作品にも等しく精通した完成型のダンサー[5]、としての地歩も築き上げていった。それゆえ、ウィリアム・フォーサイス、ジョン・ノイマイヤー、イリ・キリアン、ジェローム・ロビンズといった、世界の第一線のコリオグラファー達も彼を起用し続けた。すなわち、ルグリはオペラ座におけるほとんどのレパートリーや新作に参加したのである。
その名声は早くから国外にも知られ、ロイヤル・バレエ、ニューヨーク・シティ・バレエ、キューバ国立バレエ、東京バレエ団、トロカデロ・デ・モンテカルロバレエ団、シュトゥットガルト・バレエ、ハンブルク・バレエなどに客演した。ハンブルクでは、ノイマイヤーが彼のために振付けた『スプリング・アンド・フォール』、『シンデレラ』に出演している。
また、終身客演ダンサー(the permanent guest dancer)として[3]、ミラノ・スカラ座バレエ団、メトロポリタン歌劇場バレエ、ウィーン国立歌劇場バレエ、ボリショイ・バレエなどにも出演した他、近年ではマリインスキー・バレエでも数回踊っている。
オペラ座のエトワール以外でも、イヴリン・ハート、ドミニク・カルフーニ、アレッサンドラ・フェリ、ロルナ・フェイホ、ディアナ・ヴィシニョーワといった、世界の著名なバレリーナとも共演している。
また、「マニュエル・ルグリと仲間たち」と銘打って、仲の良いダンサー達と世界各地で公演を行っていた。このコンセプトは、1996年にモニク・ルディエールとのコラボレーションによって生まれたものである。若いダンサーに、まだオペラ座では経験の無いソロを踊ることを許したり、著名なコリオグラファーの指導を受ける機会を与えたりして、彼らに経験を積ませることを狙いとしていた。
2003年には、ローラン・プティ振付『カルメン』のヴァリエーション、モーリス・ベジャール振付『四重奏のフレーズ』を初演。また同年、ベジャールはルグリとローラン・イレールの主演で『さすらう若者の歌』を再演し、以後も彼らに例外的に同作品を踊ることを許した。
2004年は、2月にオペラ座でイリ・キリアン振付『扉は必ず・・・』をオーレリー・デュポンを相手役に初演。また、同年夏にモニク・ルディエール、ローラン・イレールをスペシャルゲストに迎えた日本ツアーは大成功をおさめた。12月には、トリシャ・ブラウンがルグリ、デュポン、ニコラ・ル・リッシュのために書き下ろした『オ・ズロゾニ/オ・コンポジト』をオペラ座で初演した。
2005年12月、シュトゥットガルト・バレエはルグリにマリア・アイシュヴァルトをパートナーに、『オネーギン』のタイトルロールを踊ることを依頼。ルグリは、翌2006年1月のシュトゥットガルトでの公演の他、同バレエ団の日本ツアーにも参加した。
2007年2月、レジオンドヌール勲章 (シュヴァリエ章)を授与された[6]。同年11月には、オペラ座で愛弟子であるドロテ・ジルベールをパートナーに、『くるみ割り人形』を上演。なおこの公演は、オペラ座スタッフのストライキのため、衣装もセットも無い異例の状況下で行われた。公演終了後、ジルベールはエトワールに任命された。
2009年5月15日、オペラ座で上演された『オネーギン』を最後に、オペラ座エトワールを引退。同公演には、クレールマリ・オスタ、マチアス・エイマン、ミリアム・ウード=ブラムらが共演した。また客席には、多くのエトワールの他、元オペラ座バレエ学校校長のクロード・ベッシーやコリオグラファーのピエール・ラコット、フランス文化相のクリスティーヌ・アルバネル[7]などの姿もあった。公演終了後、ルグリは全観衆から1時間半にわたってスタンディング・オベーションを受けた[8]。またこの時、芸術文化勲章(コマンドゥール)も授けられた[9]。
2010年9月にウィーン国立歌劇場バレエ団芸術監督に就任。同バレエ団では、ヌレエフ振付『ドン・キホーテ』、『オネーギン』や、ジェローム・ロビンズに捧げられた『トリプル・ビル』などを上演している。
2015年7月に、「マニュエル・ルグリとウィーン国立バレエ団ダンサー 沖縄限定プレミアム公演」[10]と称してウィーン国立バレエ団からダンサー18名を引連れガラ公演を行った。会場を埋めた観客は演目ごとに大きな拍手を送り称賛し、[11]スタンディング・オベーションで公演を終えた。[12]
2016年3月に、初の全幕振付作品となる『海賊』をウィーン国立歌劇場バレエ団にて初演。
2018年10月に、ミラノ・スカラ座との共作で『シルヴィア』の全幕振付をウィーン国立歌劇場バレエ団にて初演。
2019年3月に、「マニュエル・ルグリ Stars in Blue~Ballet & Music~」を開催予定。パトリック・ド・バナに特別委嘱したルグリとオルガ・スミルノワの世界初共演の公開となる。[13]
2020年6月に10年間芸術監督を務めたウィーン国立歌劇場バレエ団を退任し、同年12月よりミラノ・スカラ座のバレエ監督に就任した。
受賞
[編集]- 1988年、2000年 - ニジンスキー賞
- 1998年 - ブノワ賞
叙勲
[編集]- 1993年 - 芸術文化勲章(シュヴァリエ)
- 1998年 - 芸術文化勲章(オフィシエ)
- 2002年 - メリット勲章
- 2007年 - レジオンドヌール勲章 (シュヴァリエ)
- 2009年 - 芸術文化勲章(コマンドゥール)
レパートリー
[編集]- ジゼル、パキータ(オリジナル版)
- ラプソディ、メディテーション(フレデリック・アシュトン振付)
- アゴン、チャイコフスキー・パ・ド・ドゥ、シンフォニー・イン・C(水晶宮)、テーマとヴァリエーション、四つの気質、ディヴェルティメント15番、放蕩息子、ヴァイオリン・コンチェルト、フー・ケアーズ?、スターズ・アンド・ストライプス、ソナチネ、ジュエルズ(ジョージ・バランシン振付)
- コッペリア(パトリス・バール振付)
- アレポ、コンクール、さすらう若者の歌、四重奏のフレーズ(モーリス・ベジャール振付)
- 白鳥の湖(ウラジーミル・ブルメイステル振付)
- オ・ズロゾニ/オ・コンポジト(トリシャ・ブラウン振付)
- オネーギン(ジョン・クランコ振付)
- ジゼル(マッツ・エック振付)
- イン・ザ・ミドル・サムホワット・エレヴェイテッド、ウンドワーク(ウィリアム・フォーサイス振付)
- 薔薇の精(ミハイル・フォーキン振付)
- ダンススクール、シンフォニエッタ、優しい嘘、ベラ・フィギュラ、扉は必ず・・・(イリ・キリアン振付)
- ジゼル、ラ・シルフィード、パキータ(ピエール・ラコット振付)
- エチュード(ハラルド・ランダー振付)
- ラ・フィユ・マル・ガルデ(ジョセフ・ラズィーニ振付)
- 白の組曲、レ・ミラージュ、ロミオとジュリエット パ・ド・ドゥ(セルジュ・リファール振付)
- マノン、ロミオとジュリエット(ケネス・マクミラン振付)
- 真夏の夜の夢、ヴァスラフ、 マニフィカト、くるみ割り人形、シルヴィア、スプリング・アンド・フォール、シンデレラ・ストーリー(ジョン・ノイマイヤー振付)
- ドン・キホーテ、ライモンダ、くるみ割り人形、白鳥の湖、ロミオとジュリエット、眠れる森の美女、シンデレラ、ラ・バヤデール(ルドルフ・ヌレエフ振付)
- ノートルダム・ド・パリ、アルルの女、カルメン、プルースト 失われた時を求めて、チーク・トゥ・チーク(ローラン・プティ振付)
- ル・パルク(アンジュラン・プレルジョカージュ振付)
- ダンシズ・アット・ア・ギャザリング、イン・ザ・ナイト、ザ・フォー・シーズンズ、ダンス組曲、アザー・ダンシズ(ジェローム・ロビンズ振付)
- ルールズ・オブ・ザ・ゲーム(トワイラ・サープ振付)
- コンティヌオ、ライラック・ガーデン、葉は色あせて(アントニー・チューダー振付)
- 4つの最後の歌(ルディ・ヴァン・ダンツィヒ振付)
- エンジェル、アレス・ワルツ(レナート・ザネッラ振付)
フィルモグラフィー
[編集]- ロミオとジュリエット(ルドルフ・ヌレエフ振付)
- 薔薇の精(ミハイル・フォーキン振付)
- ノートルダム・ド・パリ(ローラン・プティ振付)
- アルルの女(ローラン・プティ振付)
- 眠れる森の美女(ルドルフ・ヌレエフ振付)
- ドン・キホーテ(ルドルフ・ヌレエフ振付)
- シルヴィア(ジョン・ノイマイヤー振付)
- プルースト 失われた時を求めて(ローラン・プティ振付)
テレビ出演
[編集]- スーパーバレエレッスン(NHK教育、2006年12月5日 - 2007年3月20日)
関連文献
[編集]書籍・雑誌
[編集]- NHKスーパーバレエレッスン―パリ・オペラ座永遠のエレガンス (NHKシリーズ) 大型本(2006年11月1日、日本放送出版協会、菊倍版出版)
- マニュエル・ルグリ パリ・オペラ座バレエへの招待状(2007年12月19日、CCCメディアハウス出版)
- パリ・オペラ座のマニュエル・ルグリ(2009年8月、新書館出版)
写真集
[編集]- ルグリ・イン・オペラ(篠山紀信撮影、2000年1月、朝日出版社)
- BACKSTAGE―MANUEL LEGRIS A L’OPERA DE PARIS PAR KISHIN SHINOYAMA(篠山紀信撮影、2002年4月、朝日出版社)
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ Frémy, Dominique et Michele, Quid 98 , 1997, R. Laffont, ISBN 2-221-08549-3, p.25
- ^ "Les adieux de Manuel Legris, meilleur danseur du monde", Le Figaro. fr., 23 Avr. 2009.
- ^ a b c d “Remise des insignes de Chevalier dans l'Ordre national de la Legion d'Honneur à Manuel Legris”. 5 October 2011閲覧。
- ^ “Manuel Legris”. 7 October 2011閲覧。
- ^ “a conversation with Manuel Legris”. 5 October 2011閲覧。
- ^ "Remise des insignes de Chevalier.... a Manuel Legris", Ministere de la Culture et de la Communication.
- ^ “Onéguine (3) : Manuel Legris ou l'honneur de la Danse”. 4 October 2011閲覧。
- ^ “Farewell of a Giant”. 4 October 2011閲覧。
- ^ “remise des insignes à Manuel Legris, danseur étoile”. 4 October 2011閲覧。
- ^ マニュエル・ルグリとウィーン国立バレエ団ダンサー 沖縄限定プレミアム公演, 公式HP July 3, 2015.
- ^ 《夢舞台 観客と一体 ルグリさん 沖縄公演に幕》, 沖縄タイムス July 5, 2015.
- ^ 短評《マニュエル・ルグリとウィーン国立バレエ団ダンサー 沖縄限定プレミアム公演》, The Dance Times July 29, 2015.
- ^ 関西テレビ放送. “マニュエル・ルグリ Stars in Blue~Ballet & Music~ | イベント | 関西テレビ放送 カンテレ” (日本語) 2018年8月23日閲覧。
公式サイト
[編集]- Manuel Legris
- Manuel Legris (Wiener Staatsoper)
- ルグリ、引退公演の 『オネーギン』 を語る (仏LCI・インタビュー、2009年5月)