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バイエルン・ミュンヘン公国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
バイエルン=ミュンヘン
Teilherzogtum Bayern-München
封臣

1392年–1505年


バイエルン=ミュンヘンの紋章

首都 ミュンヘン
政府 君主制
バイエルン=ミュンヘン公
 •  1392年-1397年 ヨハン2世シュテファン3世フリードリヒ
 •  1397年-1438年 エルンストウィルヘルム3世 (1435年まで)
 •  1438年-1460年 アルブレヒト3世
 •  1460年-1463年 ヨハネス4世とジギスムント
 •  1463年-1465年 ジギスムント
 •  1465年-1508年 ジギスムント (1467年まで)とアルブレヒト4世
歴史・時代 中世
 •  バイエルン=ランツフート公国からバイエルン=ミュンヘンとバイエルン=インゴルシュタット公国が離脱。 1392年
 •  バイエルン=ミュンヘン公国、バイエルン=インゴルシュタット公国及びバイエルン=ランツフート公国からバイエルン=シュラウビング英語版を分割 1425年
 •  バイエルン=ミュンヘンからバイエルン=ダッハウ英語版を分割。 1467年9月3日
 •  バイエルン=ダッハウがバイエルン=ミュンヘンに復帰 1501年2月1日
 •  バイエルン公国の再統一 1505年7月30日

バイエルン=ミュンヘン公国ドイツ語: Bayern-München)は、1392年から1505年まで神聖ローマ帝国内に存在した公国領邦国家)の一つである。バイエルン公国1375年シュテファン2世の死後、シュテファン3世フリードリヒヨハン2世の3兄弟に系統分裂(当時は長子相続制が確立しておらず、ゲルマン古来の均分相続制度が広く行われていた)を起こし、バイエルン公領もそれぞれに分割された状態が100年以上続いた。

歴史

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1375年シュテファン2世が没すると、息子のシュテファン3世フリードリヒヨハン2世が共同して首都ランツフートを含むバイエルン=ランツフート公国を統治することになった。17年後、3兄弟は遺産を分割した。ヨハンはバイエルン=ミュンヘン公領を、シュテファンはバイエルン=インゴルシュタット公領を受け取り、その間フリードリヒがバイエルン=ランツフート公領を統治していた。

1429年シュトラウビングを含むバイエルン=シュトラウビング公国英語版の一部が、バイエルン=ミュンヘン公国に併合された。バイエルン=ミュンヘン公国出身のアルブレヒト4世のもとバイエルンが統一され、「ミュンヘンを首都とするバイエルン」という構図が確立される。

バイエルン=ミュンヘン(緑色)、バイエルン=ランツフート(橙色)、バイエルン=インゴルシュッタット(茶色)バイエルン=シュトラウビング(灰色)