コンテンツにスキップ

アイルランドの首相

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アイルランドの旗 アイルランド
首相
Taoiseach
首相ロゴマーク
現職者
サイモン・ハリス(第16代)
: Simon Harris
: Síomón Ó hEarchaí

就任日 2024年4月9日
地位政府の長
種類首相
所属機関ドイル・エアラン
内閣
国務院
英愛評議会
欧州理事会
庁舎スチュワーズロッジ
Steward's Lodge
所在地庁舎
ダブリン2区メリオン通り
指名アイルランド議会下院
任命大統領
マイケル・D・ヒギンズ
任期なし
ドイル・エアランの過半数の信頼を得ている限り)
初代就任エイモン・デ・ヴァレラ
創設1937年12月29日
俸給207,590ユーロ[1]
ウェブサイトtaoiseach.gov.ie
英語アイルランド語

アイルランドの首相(アイルランドのしゅしょう、ティーショク: Taoiseach [ˈt̪ˠiːɕəx] 英語発音: [ti:ʃəx, ti:ʃək][2])は、アイルランド政府の長。

アイルランド議会(ウラクタス)の下院(ドイル・エアラン)における選出で決定され、大統領により任命される。

現職は、統一アイルランド党(フィナ・ゲール)のサイモン・ハリス[3]。共和党(フィアナ・フォイル)、緑の党と連立政権を構成している[3]

概要

[編集]

アイルランド憲法においては、首相は下院議員から選出されなければならないと規定されている。下院において首相の信任が失われた場合には、辞任もしくは下院を解散しなければならない。

大統領には下院の解散を拒否する権限が与えられているが、これまでのところこの権利を行使した大統領は存在しない。辞任した場合には後継の首相府が組織されるまで、前職がその任にあたることになっている(選挙管理内閣)。

首相は政府の閣僚を指名し、議会の承認を得た上で大統領により任命される。首相には閣僚を解任する権利を有する。また上院(シャナズ・エアラン)の議員のうち7名を指名する権利が与えられている。

給与

[編集]

2013年以降、アイルランドの首相の年俸は185,350ユーロである[4]エンダ・ケニーが就任した際に214,187ユーロから200,000ユーロに削減されたが、2013年のハディントン・ロード協定でさらに185,350ユーロに削減された。

2007年に提案された38,000ユーロの増額は、ブライアン・カウエンが首相になった時に延期され、2008年10月に政府は首相を含む全閣僚の給与を10%削減することを発表した[5][6]。しかし、自主的な削減であり、給与は名目上は同じままであり、大臣と首相は基本的に給与の10%を拒否した形になる。首相はまた、年間経費の追加118,981ユーロを許可されている。

首相官邸

[編集]

首相の公式官邸はない。

2008年には、フェニックス・パーク近辺のスチュワーズロッジが首相官邸になる憶測が飛び交ったが、公式発表はなく、何の行動も取られていない[7]

1999年に2920万ユーロで政府によって買収されたファームリーの敷地の一部を形成しているが、2005年に公共事業局によって60万ユーロ近くの費用をかけて改装された。バーティ・アハーンは官邸として使用していなかったが、後継者のブライアン・カウエンは「時々」使用していた[8]

歴史

[編集]

起源と語源

[編集]

Taoiseach」および「Tánaiste英語発音: [ˈtɔːnɪʃtə]、副首相)」という言葉は中世ゲール語に由来しており、古代から存在していたティーショク(タニストリー)という言葉は単に指導者を意味する。アイルランド憲法では、「政府の長」として定義されている。1937年にこの称号を導入したエイモン・デ・ヴァレラファシストでも独裁者でもなかったが、「指導者」という意味は、フューラーヒトラー)、ドゥーチェムッソリーニ)、カウディーリョフランコ)といった当時の独裁者の称号に似たものにしたのではないかと指摘されることもあった[9][10][11]。歴史家の中には古代アイルランドにおいてティーショクは小王を指しており、「Tánaiste」 は王が何らかの事情により存在しない王国における摂政であったと主張する者もいる。スコットランド・ゲール語では、「tòiseach」は一族の長と訳され、元々はスコットランドとアイルランドのゲール語で似たような意味を持っていた[12][13][14]ウェールズ語にも似たような言葉「Tywysog[təˈwəsɔg])」が存在する[15]

Taoiseach」の複数形は「taoisigh」。アイルランド語の「An Taoiseach」が英語の「The Taoiseach」に代わって使用されることもあるが、英語版のアイルランド憲法では、「The Taoiseach」と示されている[16]

称号についての議論

[編集]

1937年にアイルランド憲法草案がドイル・エアランで議論されていたとき、野党政治家のフランク・マクダーモットは、憲法の英文で提案されていた「Taoiseach」の称号を英語訳の「Prime Minister」に置き換える修正案を提出した。アイルランド語版では、「Taoiseach」の称号を維持することが提案された。提案者は以下のように述べている[17]

Taoiseach」のような言葉を英語に取り入れようとするのは、私には単なる作り話のように思える。99パーセントの人に間違って発音されるだろう。正しく発音するのが非常に難しい単語であることは、私も既に確認している。そうであれば、アイルランド語の尊厳のためにも、英語で話すときには、「Prime Minister」と呼ぶことを許可されるべきだと思う。(省略)これは、北アイルランドの人々を遠ざけるためにここで行われているようなことのもう一つの例にすぎない。英語を話すときに、「Prime Minister」ではなく、「Taoiseach」と呼ぶことを強要しても、何の役にも立たない。

執行評議会のエイモン・デ・ヴァレラは、この言葉の意味を「酋長」または「大尉」とした。修正案を「支持する気にはならない」と述べ、「Taoiseach」という言葉を変える必要はないと感じていた。修正案は投票で否決され、最終的に国民投票で採択された称号として「Taoiseach」が含まれることになった[18]

近代

[編集]

近代的な「Taoiseach(ティーショク、首相)」は、1937年に制定されたアイルランド憲法により規定されている。1922年から1937年まで存在したアイルランド自由国においては、首相は行政評議会議長President of the Executive Council)と呼ばれていた。自由国における首相は閣僚の解任、下院の解散を行う権利を持たず、現在の「Taoiseach(ティーショク、首相)」よりも限られた権限しか持たなかった。連立政権が成立した場合には慣例的に多数党の党首が首相に任命される。この例外として、1948年には連立党からの反対により、多数党であった共和党の党首リチャード・マルコイの代わりに同党のジョン・A・コステロが首相に任命された。2010年には、ブライアン・カウエンが、世界的な金融危機後の非常に不人気な支出削減の真っ只中で、新たな選挙が行われるまで首相としての地位を維持したが、フィアナ・フォイル党首としての地位を退き、ミホル・マーティン(カウエンが危機に対応した方法に抗議して辞任していた)が後を継ぐことを許可した。

歴代首相の一覧

[編集]

1937年の憲法制定以前は、政府の長は行政評議会議長と呼ばれていた。1922年から1932年まではクマン・ナ・ゲールウィリアム・コスグレイヴが、1932年から1937年まではフィアナ・フォイルエイモン・デ・ヴァレラが就いていた。慣例では、コスグレイヴを含むように、番号が振られている。例えば、ミホル・マーティンは第14代ではなく、第15代首相と数えられている[19][20][21][22]

アイルランド自由国

[編集]

行政評議会議長(President of the Executive Council

肖像 行政評議会議長の氏名 所属政党 評議会 就任日 退任日
1 ウィリアム・コスグレイヴ
William Thomas Cosgrave
クマン・ナ・ゲール
Cumann na nGaedheal
(CnaG)
第1次 1922年12月6日 1923年9月19日 3
第2次 1923年9月19日 1927年6月23日 4
第3次 1927年6月23日 1927年10月11日 5
第4次 1927年10月11日 1930年4月3日 6
第5次 1930年4月3日 1932年3月9日
2 エイモン・デ・ヴァレラ
Éamon de Valera
フィアナ・フォイル
Fianna Fáil
(共和党)
第6次 1932年3月9日 1933年2月8日 7
第7次 1933年2月8日 1937年7月21日 8
第8次 1937年7月21日 1937年12月29日 9

アイルランド

[編集]

首相(Taoiseach

肖像 首相の氏名 所属政党 内閣 就任日 退任日 連立与党
(2) エイモン・デ・ヴァレラ
Éamon de Valera
(第1期)
フィアナ・
フォイル

Fianna Fáil
(共和党)
第1次 1937年12月29日 1938年6月30日 なし 9
第2次 1938年6月30日 1943年7月1日 10
第3次 1943年7月1日 1944年6月9日 11
第4次 1944年6月9日 1948年2月18日 12
3 ジョン・A・コステロ
John Aloysius Costello
(第1期)
フィナ・
ゲール

Fine Gael
第5次 1948年2月18日 1951年6月13日 労働党

国民労働党
Clann na Poblachta
Clann na Talmhan

13
(2) エイモン・デ・ヴァレラ
(第2期)
フィアナ・
フォイル
第6次 1951年6月13日 1954年6月2日 なし 14
(3) ジョン・A・コステロ
(第2期)
フィナ・
ゲール
第7次 1954年6月2日 1957年3月20日 労働党
Clann na Talmhan
15
(2) エイモン・デ・ヴァレラ
(第3期)
フィアナ・
フォイル
第8次 1957年3月20日 1959年6月23日 なし 16
4 ショーン・F・リーマス
Seán Francis Lemass
フィアナ・
フォイル
第9次 1959年6月23日 1961年11月11日 なし
第10次 1961年11月11日 1965年4月21日 17
第11次 1965年4月21日 1966年11月10日 18
5 ジャック・リンチ
John Mary Lynch
(第1期)
フィアナ・
フォイル
第12次 1966年11月10日 1969年7月2日 なし
第13次 1969年7月2日 1973年3月14日 19
6 リーアム・コスグレイヴ
Liam Cosgrave
フィナ・
ゲール
第14次 1973年3月14日 1977年7月5日 労働党 20
(5) ジャック・リンチ
(第2期)
フィアナ・
フォイル
第15次 1977年7月5日 1979年12月11日 なし 21
7 チャールズ・J・ホーヒー
Charles James Haughey
(第1期)
フィアナ・
フォイル
第16次 1979年12月11日 1981年6月30日 なし
8 ギャレット・フィッツジェラルド
Garret FitzGerald
(第1期)
フィナ・
ゲール
第17次 1981年6月30日 1982年3月9日 労働党 22
(7) チャールズ・J・ホーヒー
(第2期)
フィアナ・
フォイル
第18次 1982年3月9日 1982年12月14日 なし 23
(8) ギャレット・フィッツジェラルド
(第2期)
フィナ・
ゲール
第19次 1982年12月14日 1987年3月10日 労働党 24
(7) チャールズ・J・ホーヒー
(第3期)
フィアナ・
フォイル
第20次 1987年3月10日 1989年7月12日 なし 25
第21次 1989年7月12日 1992年2月11日 進歩民主党 26
9 アルバート・レイノルズ
Albert Reynolds
フィアナ・
フォイル
第22次 1992年2月11日 1993年1月12日 進歩民主党
第23次 1993年1月12日 1994年12月15日 労働党 27
10 ジョン・ブルートン
John Gerard Bruton
フィナ・
ゲール
第24次 1994年12月15日 1997年6月26日 労働党
民主左翼党
11 バーティ・アハーン
Patrick Bartholomew Ahern
フィアナ・
フォイル
第25次 1997年6月26日 2002年6月6日 進歩民主党 28
第26次 2002年6月6日 2007年6月14日 29
第27次 2007年6月14日 2008年5月7日 進歩民主党

緑の党

30
12 ブライアン・カウエン
Brian Cowen
フィアナ・
フォイル
第28次 2008年5月7日 2011年3月9日 進歩民主党 (~2009年)
緑の党
13 エンダ・ケニー
Enda Kenny
フィナ・
ゲール
第29次 2011年3月9日 2016年5月6日 労働党 31
第30次 2016年5月6日 2017年6月14日 32
14 レオ・バラッカー
Leo Varadkar
(第1期)
フィナ・
ゲール
第31次 2017年6月14日 2020年6月27日 労働党
15 ミホル・マーティン
Micheál Martin
フィアナ・
フォイル
第32次 2020年6月27日 2022年12月17日[3][23] フィナ・ゲール

緑の党

33
(14) レオ・バラッカー[3][23]

Leo Varadkar
(第2期)

フィナ・ゲール[23] 第33次 2022年12月17日[3][23] 2024年4月9日 フィアナ・フォイル

緑の党[23]

16 サイモン・ハリス

Simon Harris

フィナ・ゲール 第34次 2024年4月9日 現職 フィアナ・フォイル

緑の党

脚注

[編集]

出典

[編集]
  1. ^ Oireachtas, Houses of the. “Salaries, Houses of the Oireachtas”. oireachtas.ie. 2 November 2019閲覧。
  2. ^ Taoiseach | Definition of Taoiseach by Oxford Dictionary on Lexico.com also meaning of Taoiseach” (英語). Lexico Dictionaries | English. 2020年6月28日閲覧。
  3. ^ a b c d e 新首相にハリス氏就任、アイルランド史上最年少の37歳(アイルランド)」『共同通信』2024年4月11日。2024年7月22日閲覧。
  4. ^ “The Taoiseach, Ministers and every TD are having their pay cut today”. TheJournal.ie. (4 July 2013). http://www.thejournal.ie/taoiseach-ministers-public-servants-pay-cuts-976714-Jul2013/ 18 December 2013閲覧。 
  5. ^ “Taoiseach to receive €38k pay rise”. アイルランド放送協会. (25 October 2007). http://www.rte.ie/news/2007/1025/politics.html 
  6. ^ “Sharp exchanges in Dáil over Budget”. アイルランド放送協会. (15 October 2008). http://www.rte.ie/news/2008/1015/budget.html 29 January 2009閲覧。 
  7. ^ Opulent Phoenix Park lodge is set to become 'Fortress Cowen'”. アイリッシュ・インデペンデント (18 May 2008). 18 May 2008閲覧。
  8. ^ “Cowen questioned on use of Farmleigh”. The Irish Times. (29 January 2009). http://www.irishtimes.com/newspaper/ireland/2009/0129/1232923372778.html 29 January 2009閲覧。 
  9. ^ John-Paul McCarthy (10 January 2010). “WT became the most ruthless of them all”. Irish Independent. http://www.independent.ie/opinion/analysis/wt-became-the-most-ruthless-of-them-all-26621462.html 22 November 2016閲覧. "While Taoiseach itself carried with it some initially unpleasant assonances with Caudillo, Fuhrer and Duce, all but one of the 12 men who wielded the prime ministerial sceptre have managed to keep their megalomaniacal tendencies in check." 
  10. ^ Martin Quigley, Jr (1944). Great Gaels: Ireland at Peace in a World at War. p. 18. https://books.google.ie/books?id=LOdQAQAAMAAJ&q=Taoiseach+Fuhrer+Duce+Caudillo&dq=Taoiseach+Fuhrer+Duce+Caudillo&hl=en&sa=X&ved=0ahUKEwjF5ve697vQAhVG8CYKHeTTC3AQ6AEIHjAB 22 November 2016閲覧. "Eamon de Valera is An Taoiseach or "boss Gael." That title goes considerably beyond the English "prime minister" or the American "president." It is the Gaelic equivalent of the German "Fuehrer," the Italian "Duce" and the Spanish "Caudillo."  Published in New York, 1944 (publisher not identified); Original from University of Minnesota; Digitized 6 May 2016
  11. ^ Administration – Volume 18. Institute of Public Administration (Ireland). (1970). p. 153. https://books.google.ie/books?id=Q-YWAAAAIAAJ&q=Fuhrer+Duce+Caudillo&dq=Fuhrer+Duce+Caudillo&hl=en&sa=X&ved=0ahUKEwjF5ve697vQAhVG8CYKHeTTC3AQ6AEIGjAA 22 November 2016閲覧. "... and let alone the names of the Prime Minister (the Taoiseach, a word that is related to Duce, Fuhrer, and Caudillo) (translated from the original Irish: ... agus fiú amháin ainmeacha an Phríomh-Aire (An Taoiseach, focal go bhfuil gaol aige le Duce, Fuhrer, agus Caudillo)" Original from the University of California; Digitized 6 December 2006
  12. ^ John Frederick Vaughan Campbell Cawdor (1742). Innes Cosmo. ed. The book of the thanes of Cawdor: a series of papers selected from the charter room at Cawdor. 1236–1742, Volume 1236, Issue 1742. Spalding Club. p. xiii. https://books.google.com/books?id=TFwJAAAAIAAJ&source=gbs_navlinks_s 23 June 2013閲覧. "As we cannot name the first Celtic chieftain who consented to change his style of Toshach and his patriarchal sway for the title and stability of King's Thane of Cawdor, so it is impossible to fix the precise time when their ancient property and offices were acquired." 
  13. ^ E. William Robertson (2004). Scotland Under Her Early Kings: A History of the Kingdom to the Close of the Thirteenth Century Part One. Kessinger Publishing. p. 32. ISBN 9781417946075. https://books.google.com/books?id=ywZuLEa6oxsC&pg=PA32&lpg=PA32&dq=Toshach+celtic&source=bl&ots=okgLwN66-6&sig=R9e9bdp-L1AVeuq7nA7NnETzExk&hl=en&sa=X&ei=u-vLUeiBGs-34AOR0IGQCw&redir_esc=y#v=onepage&q=Toshach%20celtic&f=false 28 June 2013閲覧。 
  14. ^ “DSL – SND1 TOISEACH”. オリジナルの2 December 2013時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20131202232058/http://www.dsl.ac.uk/getent4.php?plen=4336&startset=43732115&dtext=snd&query=TOISEACH 27 June 2013閲覧。 
  15. ^ Celtic culture : a historical encyclopedia. Koch, John T.. Santa Barbara, Calif.: ABC-CLIO. (2006). ISBN 1-85109-440-7. OCLC 62381207. https://www.worldcat.org/oclc/62381207 
  16. ^ Statement by An Taoiseach on the death of Cardinal Desmond Connell”. Department of the Taoiseach (9 February 2017). 5 March 2017閲覧。 “The Taoiseach has learnt with regret ...”
  17. ^ Frank Mr. MacDermot of the Centre Party (Ireland) – Bunreacht na hÉireann (Dréacht)—Coiste (Ath-thógaint) – Wednesday, 26 May 1937; Dáil Éireann Debate Vol. 67 No. 9.
  18. ^ – Bunreacht na hÉireann (Dréacht)—Coiste (Ath-thógaint) – Wednesday, 26 May 1937; Dáil Éireann Debate Vol. 67 No. 9.
  19. ^ “Coughlan new Tánaiste in Cowen Cabinet”. The Irish Times. (17 May 2008). http://www.irishtimes.com/newspaper/breaking/2008/0507/breaking7.htm 17 May 2008閲覧。 
  20. ^ “Taoiseach reveals new front bench”. アイルランド放送協会. (7 May 2008). http://www.rte.ie/news/2008/0507/fiannafail.html 17 May 2008閲覧。 
  21. ^ “Cowen confirmed as Taoiseach”. BreakingNews.ie. (7 May 2008). http://www.breakingnews.ie/ireland/mhgbausnidau/ 17 May 2008閲覧。 
  22. ^ Former Taoisigh”. Department of the Taoiseach. 17 July 2011時点のオリジナルよりアーカイブ。23 June 2010閲覧。
  23. ^ a b c d e 英国とそろってインド系リーダー、アイルランド新首相にバラッカー氏」『読売新聞オンライン』2022年12月18日。2022年12月18日閲覧。

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]