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浅見篤

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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浅見 篤(あさみ あつし、1903年9月15日 - 1975年)は、日本フランス文学者浅見淵の実弟。

来歴

梶井基次郎らの『青空』に参加した。梶井の『ある心の風景』の"病気の話"や"朝鮮の鈴の話"は浅見からきいた話によるものと、中谷孝雄は述べている[1]。『新青年』にアガサ・クリスティーの『通りすがりの男』や、ダシール・ハメットの『緑色のネクタイ』の邦訳を掲載したこともある。

1930年京都帝国大学文学部仏文科を卒業。

その後、天理大学関西大学京都外国語大学で教授を務めた。

人物

酒好きで、贅沢屋で、異国趣味のところが梶井基次郎と気が合い、毎晩のように祇園石段下のカフェ『レーヴン』で飲んでいた[要出典]

翻訳

脚注

  1. ^ 『梶井基次郎』筑摩書房、1961年。 [要ページ番号]