ルナ・バション
ルナ・バション | |
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2007年 | |
プロフィール | |
リングネーム |
ルナ・バション "ルナティック" ルナ・バション プリンセス・ルナ ルナ エンジェル・ベイビー |
本名 | ガートルード・エリザベス・バション |
ニックネーム | Daughter of Darkness |
身長 | 168cm |
体重 | 64kg(全盛時) |
誕生日 | 1962年1月12日 |
死亡日 | 2010年8月27日(48歳没) |
出身地 |
カナダ ケベック州 モントリオール |
トレーナー |
ブッチャー・バション ビビアン・バション ファビュラス・ムーラ |
デビュー | 1985年 |
引退 | 2007年 |
ルナ・バション("Lunatic" Luna Vachon、本名:Gertrude Elizabeth Vachon、1962年1月12日 - 2010年8月27日)は、カナダ・ケベック州モントリオール出身の女子プロレスラー、マネージャー。
父親は元AWA世界タッグ王者のポール "ザ・ブッチャー" バション、伯父は元AWA世界ヘビー級王者でありWWE殿堂者のモーリス "マッドドッグ" バション、叔母は元AWA女子王者のビビアン・バションというプロレスリング・ファミリーに育った[1][2]。元夫のデビッド・ヒースもプロレスラーである[3]。
来歴
叔母のビビアンとファビュラス・ムーラのトレーニングを受け、1985年にムーラの主宰する女子プロレス団体にてデビュー[4]。同年よりNWAフロリダ地区に入り、ロックことウィノナ・リトルハートと「ドーターズ・オブ・ダークネス(The Daughters of Darkness)」なるタッグチームを結成[4]。髪を半分剃り上げ、毒々しいメーキャップを施した怪奇派のヒールとして頭角を現し、ケビン・サリバン率いるアーミー・オブ・ダークネス[5]に加入、パープル・ヘイズ、マハ・シン、フォーリン・エンジェルらと共闘した[4]。
1986年にはジャパン女子プロレスの旗揚げ第2弾シリーズに初来日。このときはロックとともに「女子版ウォリアーズ」と謳われ、父のポール・バションもマネージャーとして来日している[6][7]。その後、カナダ・カルガリーのスタンピード・レスリングやプエルトリコのWWCなどを転戦して、デビッド・ヒースとトム・ナッシュの覆面タッグチーム、ブラックハーツのマネージャーを担当した[8]。
1993年、WWFに初参戦。センセーショナル・シェリーと仲間割れしたショーン・マイケルズのセコンドとしてレッスルマニア9に登場し、以降シェリーと抗争を展開。シェリーの離脱後は1993年下期よりバンバン・ビガロ[9]、1994年からはブル中野のマネージャーとなり、ブルと共に当時のWWF女子王者アランドラ・ブレイズと抗争した[10]。
WWFを離れてからはUSWAやECWに登場[4]。ECWではスティービー・リチャーズからスチール・ケージ・マッチで勝利を収めている[4]。バンパイア・ウォリアーことヒースのマネージャーも務め、1997年はヒースがバリー・ヒューストンを新パートナーに再結成したブラックハーツに同伴してIWAジャパンに来日。初代王者に認定されていたAWF女子王座の防衛戦も行われたが、元川恵美に破れ、タイトルを失った[11]。1997年にはWCWにも単発出場している[2]。
1997年の末にWWFと再契約。より変態的なキャラクターの "The Artist Formerly Known As Goldust" に変身したゴールダストの新マネージャーを担当し、マーク・メロ&セイブルと抗争を展開[12]。1998年のレッスルマニア14では両チームによるミックスド・タッグマッチが行われた。その後はクルガン、ゴルガ、ジャイアント・シルバらの怪物軍団「ヒューマン・オディティーズ(The Human Oddities)」の一員となり、1998年下期からは彼らと共にベビーフェイスにも転向した。オディティーズ解散後の1999年はアイボリー(リサ・モレッティ)やジャクリーンを相手に女子王座戦線で活動したが、2000年初頭にバックステージでのトラブルがもとでWWFを解雇された[4]。なお、同時期WWFにはヒースがギャングレルのリングネームで在籍していたが、ルナとの共闘は実現しなかった[4]。
以後、2000年代はレスラー兼マネージャーとして各地のインディー団体を転戦。オーストラリアのワールド・レスリング・オールスターズやイギリスのオールスター・レスリングなど、海外にも遠征した[13][14]。
2004年、元プロレスラーのニキタ・コロフにより洗礼を受け新生キリスト教徒となる[15]。2006年にヒースと離婚[3]。翌2007年にプロレスリング・ビジネスから引退、フロリダ州ポートリッチーにてレッカー車のドライバーに転じた[1][2][15]。
2010年8月27日、フロリダにある母親の自宅にて死去[1][16]。48歳没。死因は鎮痛剤として用いていたオキシコドンの過剰摂取ともされている[17]。2019年、WWE殿堂のレガシー部門に迎えられた[18]。
獲得タイトル
- USWA女子王座:1回 [19]
- AWF女子王座:1回[11]
- LMLW女子王座:1回
- GLCWレディース王座:1回
- SWFレディース王座:1回
- WWOW TV王座:1回
- POWWタッグ王座:2回(w / ホット・ロッド・アンディー)
- WWE殿堂(レガシー部門):2019年[18]
脚注
- ^ a b c “Ex-WWE star Luna Vachon dies at 48”. Fox Sports (August 28, 2010). 2010年9月4日閲覧。
- ^ a b c “A visit to Luna's Little Land of Lunacy”. SLAM! Wrestling (August 7, 2008). 2010年9月4日閲覧。
- ^ a b “Conversations with Gangrel”. AdultFYI.com: November 15, 2007. 2007年12月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年9月4日閲覧。
- ^ a b c d e f g “Luna Vachon's varied, loony career”. SLAM! Wrestling (January 12, 1999). 2010年9月4日閲覧。
- ^ “Wrestling Gallery: The Army of Darkness”. Online World of Wrestling. 2010年9月4日閲覧。
- ^ “追悼 "エンジェル" ルナ・バションの思い出!”. Invitation to W★ing. 2012年11月25日閲覧。
- ^ “アルタ前といえば「いいとも」より「女暴走戦士」?”. 東京スポーツ 2013年10月27日閲覧。
- ^ “Tag Team Profile: The Blackhearts”. Online World of Wrestling. 2010年9月4日閲覧。
- ^ “WWE Yearly Results 1993”. The History of WWE. 2010年9月4日閲覧。
- ^ “WWE Yearly Results 1994”. The History of WWE. 2010年9月4日閲覧。
- ^ a b “American Wrestling Federation World Women's Title”. Wrestling-Titles.com. 2013年6月11日閲覧。
- ^ “WWE Yearly Results 1998”. The History of WWE. 2010年9月4日閲覧。
- ^ “The WWA matches fought by Luna Vachon in 2001”. Wrestlingdata.com. 2020年11月8日閲覧。
- ^ “The ASW matches fought by Luna Vachon in 2006”. Wrestlingdata.com. 2020年11月8日閲覧。
- ^ a b “Catching up with Luna Vachon”. WWE.com (March 14, 2007). 2010年9月4日閲覧。
- ^ “Luna Vachon passes away”. WWE.com (August 27, 2010). 2010年9月4日閲覧。
- ^ “WWE Star Luna Vachon Dies: Oxycontin Overdose?”. Opposing Views. 2010年9月4日閲覧。
- ^ a b “Congratulations to the 2019 WWE Hall of Fame Legacy inductees”. WWE.com. 2019年4月7日閲覧。
- ^ “USWA Women's Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年9月4日閲覧。