ラリー・ヒューズ
現役時代 (クリーブランド・キャバリアーズ) のヒューズ (2007年) | |
引退 | |
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ポジション | SG |
基本情報 | |
愛称 | "Smooth", "STL" |
国籍 | アメリカ合衆国 |
生年月日 | 1979年1月23日(45歳) |
出身地 | ミズーリ州セントルイス |
身長(現役時) | 196cm (6 ft 5 in) |
体重(現役時) | 84kg (185 lb) |
キャリア情報 | |
出身 | セントルイス大学 |
ドラフト | 1998年 全体8位 |
選手経歴 | |
1998-2000 2000-2002 2002-2005 2005-2008 2008-2009 2009-2010 2010 2011-2012 |
フィラデルフィア・セブンティシクサーズ ゴールデンステート・ウォリアーズ ワシントン・ウィザーズ クリーブランド・キャバリアーズ シカゴ・ブルズ ニューヨーク・ニックス サクラメント・キングス オーランド・マジック |
受賞歴 | |
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Stats Basketball-Reference.com | |
ラリー・ヒューズ(Larry Darnell Hughes, 1979年1月23日 - )は、アメリカ合衆国ミズーリ州セントルイス出身の元プロバスケットボール選手。身長196cm、体重84kg。ポジションは主にシューティングガード。
経歴
セントルイス大学在学中にアーリーエントリーを宣言。1998年のNBAドラフトで1巡全体8位でフィラデルフィア・セブンティシクサーズから指名されてNBA入りした。
当時のシクサーズのフロントは、1996年に獲得したスーパースターアレン・アイバーソンとヒューズのコンビに期待を寄せた。だが、二人のコンビはほとんど機能せず、1シーズン半を経過したところで、ヒューズはゴールデンステート・ウォリアーズにトレードされた。
ウォリアーズ移籍後の32試合は出場時間が倍増。全試合で先発し、1試合平均22.7得点(シクサーズとの換算だと15.0得点)をあげた。しかし、翌00-01シーズンは自身の怪我もあり、実力を発揮できなかった。2000年のNBAスラムダンクコンテストに出場したが、制限時間以内にダンクを決めることができなかった。
01-02シーズンにウォリアーズはジェイソン・リチャードソンを獲得。ヒューズとのポジションが重なり、出場時間が減少していった。そしてシーズン終了後フリーエージェントとなったヒューズはワシントン・ウィザーズへ移籍した。
ウィザーズでは年々成績を伸ばした。特に04-05シーズンはギルバート・アリナス、アントワン・ジェイミソンらと共にウィザーズをプレーオフに導いた。同シーズン、ヒューズはリーグのスティール王を受賞した[1]。またオールディフェンスファーストチームにも選ばれた[1]。シーズン終了後、再びフリーエージェントとなったヒューズに各チームがオファーを出す中、キャバリアーズと5年間7000万ドルで契約を結んだ。契約金に加えて、リーグを代表する若手スター、レブロン・ジェームズとプレーできるというのも大きな要因になったとされる。
そのキャバリアーズではサポートに徹することになった。この年、シーズン序盤に骨折するまで、37.6分出場し、チーム2位の平均16.2得点をあげ、チームは開幕から18勝10敗の成績をあげた。シーズン終盤に復帰し、チームはプレーオフに進出、レブロンらと共にNBAチャンピオンを目指したが、デトロイト・ピストンズとのカンファレンスファイナル中に実弟の不幸があり、3試合を欠場、第6戦で復帰した[2]ものの敗退した。
06-07シーズンも怪我に見舞われながらも70試合に出場。チームのポイントガードが手薄なため、ゲームメイクを任されるようになり、レブロンのアシスト役に徹した。プレイオフでは序盤こそチームを牽引する働きを見せ、チームはカンファレンスファイナルに進出したが、ヒューズは試合中に右足底の筋肉を傷めてしまう。チームはレブロンと予想外の活躍を見せたダニエル・ギブソンの活躍でNBAファイナルに進出。ヒューズはサンアントニオ・スパーズのトニー・パーカーとマッチアップしたが、怪我を抱えた状態ではパーカーのスピードに付いていけず、2戦続けて大量得点を許した。ヒューズはポジションをルーキーのギブソンに譲り、3戦目以降ゲームに参加せず、チームが4戦全敗で敗退する姿をベンチから見守った。
トレードデッドラインの2008年2月21日、3チーム、11人が絡む大型トレードにて、ドリュー・グッデン、セドリック・シモンズ、シャノン・ブラウンと共にベン・ウォーレス、ジョー・スミスとのトレードで、クリーブランド・キャバリアーズからシカゴ・ブルズへと移籍した[3]。
2009年2月19日、トレード期限前に、ティム・トーマス、ジェローム・ジェームス、アンソニー・ロバーソンとのトレードでニューヨーク・ニックスに移籍した。
2010年2月18日、ヒューストン・ロケッツとサクラメント・キングスが絡む、三角トレードで、セルヒオ・ロドリゲスと入れ替わりで、キングスへ移籍したが、2月23日に解雇された。同年3月13日、シャーロット・ボブキャッツと契約を結んだ[1]。
2011年12月9日、オーランド・マジックと契約、9試合に平均12.7分出場した後、2012年2月1日に解雇された[4]。
人物
左目の下の方に涙のタトゥーをいれている。これは、2006年に他界した弟への悲しみを表している。
脚注
- ^ a b c “Bobcats sign Larry Hughes”. nba.com (2010年3月13日). 2015年7月3日閲覧。
- ^ “Cavs guard Hughes rejoins team for Game 6”. ESPN (2006年5月20日). 2015年7月3日閲覧。
- ^ “Bulls acquire Gooden and Hughes in three-team trade”. nba.com (2008年2月21日). 2015年7月3日閲覧。
- ^ “Magic Waive Larry Hughes”. nba.com (2012年2月1日). 2015年7月3日閲覧。