ジローナFC
ジローナFC | ||||
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原語表記 | Girona Futbol Club, S.A.D. | |||
愛称 |
Blanquivermells (White and Reds) Gironistes | |||
クラブカラー | 赤 | |||
創設年 | 1930年 | |||
所属リーグ | ラリーガ | |||
所属ディビジョン | 1部(2023-24) | |||
昨季リーグ順位 | 10位(2022-23) | |||
ホームタウン | カタルーニャ州ジローナ県ジローナ | |||
ホームスタジアム |
エスタディ・モンティリビ | |||
収容人数 | 11,200[1] | |||
運営法人 |
シティ・フットボール・グループ (47%) マルセロ・クラウレ (35%) ジローナ・フットボール・グループ (16%) その他 (1-2%) | |||
代表者 | デルフィ・ヘリ | |||
監督 | ミチェル | |||
公式サイト | 公式サイト | |||
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■テンプレート(■ノート)■サッカークラブPJ |
ジローナFC(Girona Futbol Club, S.A.D.)は、スペイン・カタルーニャ州ジローナ県ジローナに本拠地を置くサッカークラブ。2023-24シーズンはリーガに所属している。
1930年7月23日創設。11,200人収容のエスタディ・モンティリビをホームスタジアムとしている。
国内で5部相当の地域リーグまで降格経験がある。2022-23シーズンに2度目の1部昇格を果たした[2]。
歴史
クラブ創設から1950年代
ジローナにあったウニオ・エスポルティーバ・ジローナが経済的理由で解散したことから、1930年7月23日、ジローナのラ・ランブラ地区にあるカフェ「ノラ」でジローナFCが創設された。カタルーニャ選手権2部に登録し、コロニア・アルティガス戦が初のクラブ公式戦となった[3]。1933-34シーズンにはテルセーラ・ディビシオン(当時3部相当、現4部相当)に在籍し、1位となってセグンダ・ディビシオン(2部)に昇格した。1934-35シーズンはセグンダ・ディビシオンで4位、1935-36シーズンは1位となり、セルタ・デ・ビーゴ、レアル・サラゴサ、アレナス・クルブ・デ・ゲチョ、レアル・ムルシア、ヘレスCDとともに昇格プレーオフに出場したが、昇格プレーオフでは下から2番目に終わり、プリメーラ・ディビシオン(1部)昇格を逃した。1930年代後半のスペイン内戦後はセグンダ・ディビシオンやテルセーラ・ディビシオンに在籍した。
1960年代から2000年代
クラブ創設から約50年間はエスタディ・ビスタ・アレグレをホームスタジアムとしていたが、1968年にはエスタディ・モンティリビの建設が開始され、1970年からはモンティリビをホームスタジアムとしている。1977年、セグンダ・ディビシオンとテルセーラ・ディビシオンの間にセグンダ・ディビシオンB(現3部相当)が創設されると、1980年には初めてセグンダ・ディビシオンBに在籍し、3シーズンプレーした。1980-81シーズンには1933年以来初めて4部相当のリーグ(テルセーラ・ディビシオン)まで落ち、1982-83シーズン、1997-98シーズン、1998-99シーズンにはディビシオネス・レヒオナレス(地域リーグ、5部相当)でもプレーした[4]。2006-07シーズン終了後にはセグンダ・ディビシオンB昇格を果たした。ラウール・アグネ監督に率いられた2007-08シーズンはセグンダ・ディビシオンBを1位で終え、昇格プレーオフではADセウタを1-0で破って49年ぶりにセグンダ・ディビシオン昇格を決めた[5][6]。
2010年代
2010年7月22日、ラモン・ビラロ、ジョアキン・ボアダス、ジョゼップ・スリムなどを中心とする地元の実業家グループが、ジョゼップ・グソ元会長やジョゼップ・ロフェスなどが所有していたクラブの株式の72%を取得し、ジローナFCの新オーナーとなった。ビラロが新会長に選出され、レクレアティーボ・ウエルバを率いていたアグネ監督がジローナ監督に復帰した。2010-11シーズンは前シーズンより順位を上げて11位で終えたが、2012年1月14日、アグネ監督はレクレアティーボに0-3で敗れた後に解任された[7]。2011年にはリザーブチームを新設し、パラウにあるピッチが天然芝に切り替えられた[8]。2013年5月9日、経営陣は「El Girona FC también es mío」(ジローナFCもまた私のもの)というスローガンの下、資産のバランスを保つために、10ユーロの株式に分配される資本金の30万ユーロ増額が行なわれた[9]。
2017年6月、プレミアリーグ、マンチェスター・シティの親会社であるシティ・フットボール・グループ(CFG)が、同クラブの指揮官であるジョゼップ・グアルディオラ監督の弟、ペレ・グアルディオラ氏が持つメディア・ベース社と契約に合意し、共同経営者となった。
2020年代
2019-20シーズンと2020-21シーズンも2部で5位に終わる。2021-22シーズンは6位で昇格プレーオフに回り、5位のCDテネリフェを3-1で下し、4シーズンぶり2度目となるプリメーラ・ディビシオン昇格を果たした。
2023-24シーズンも残留が目標だったが、16節のアウェイ・バルセロナ戦で勝利して、シーズン折り返しまで3試合を残した時点で、13勝2分1敗で3度目の首位に立った[10]。
しかし、2024年2月以降は、首位直接対決となったレアル・マドリードに0-4の敗戦を喫するなど、シーズン序盤ほどの調子は振るわなかったものの、32節のホーム・カディス戦で4-1勝利して、リーグ3位につけるジローナは残り6試合で7位ベティスとの勝ち点差が20となり、6位以内が確定したため、来シーズンの欧州カップ戦に出場することが決定した。
34節のホーム・バルセロナ戦でも4-2で勝利し、バルセロナを相手に、シーズンダブルを達成。この勝利で両者の順位は入れ替わり、2位に浮上を果たした。加えて、今季を4位以内で終えることが確定し、2024-25シーズンのUEFAチャンピオンズリーグ出場権を確保した[11]。
過去の成績
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シーズン | ディビジョン | 試 | 勝 | 分 | 敗 | 得 | 失 | 点 | 順位 | 国王杯 |
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2010-11 | セグンダ | 42 | 15 | 12 | 15 | 58 | 56 | 57 | 11位 | 2回戦敗退 |
2011-12 | 42 | 12 | 13 | 17 | 58 | 61 | 49 | 15位 | 2回戦敗退 | |
2012-13 | 42 | 21 | 8 | 13 | 74 | 56 | 71 | 4位 | 2回戦敗退 | |
2013-14 | 42 | 12 | 15 | 15 | 52 | 50 | 51 | 16位 | 4回戦敗退 | |
2014-15 | 42 | 24 | 10 | 8 | 63 | 35 | 82 | 3位 | 3回戦敗退 | |
2015-16 | 42 | 17 | 15 | 10 | 46 | 28 | 66 | 4位 | 2回戦敗退 | |
2016-17 | 42 | 20 | 10 | 12 | 65 | 45 | 70 | 2位 | 2回戦敗退 | |
2017-18 | プリメーラ | 38 | 14 | 9 | 15 | 50 | 59 | 51 | 10位 | ベスト32 |
2018-19 | 38 | 9 | 10 | 19 | 37 | 53 | 37 | 18位 | 準々決勝敗退 | |
2019-20 | セグンダ | 42 | 17 | 12 | 13 | 48 | 43 | 63 | 5位 | 3回戦敗退 |
2020-21 | 42 | 20 | 11 | 11 | 47 | 36 | 71 | 5位 | ベスト16 | |
2021-22 | 42 | 20 | 8 | 14 | 54 | 42 | 68 | 6位 | ベスト16 | |
2022-23 | プリメーラ | 38 | 13 | 10 | 15 | 58 | 55 | 37 | 10位 | 2回戦敗退 |
2023-24 | 38 | 位 |
- 4シーズン プリメーラ・ディビシオン
- 22シーズン セグンダ・ディビシオン(2部)
- 13シーズン セグンダ・ディビシオンB(旧3部相当)
- 44シーズン テルセーラ・ディビシオン(旧4部相当)
- 3シーズン ディビシオネス・レヒオナレス(5部相当、地域リーグ)
現所属メンバー
ラ・リーガ 2023-24シーズン 基本フォーメーション(3-4-3)
- 2024年1月5日現在[12]
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
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※括弧内の国旗はその他の保有国籍を、星印はEU圏外選手を示す。
ローン移籍
- in
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
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- out
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
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スタッフ
役職 | 氏名 |
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監督 | ミチェル |
アシスタントコーチ | サルバ・フネス |
フィジカルコーチ | ダビド・ポルセル |
GKコーチ | フアン・カルロス・バラゲル |
歴代監督
- フランシスコ・ブル 1937-1939
- フランシスコ・ブル 1941-1943
- Károly Plattkó 1948-1949
- イラリオ 1949-1950
- ドメネク・バルマーニャ 1952-1953
- エミリオ・アルデコア 1950s? 1960s?
- ルイス・コスタ・フアン 1981-1982
- ペレ・グラタコス 1997-1999
- アグスティン・アバディーア 2003-2004
- ホセ・マリア・ノゲス 2005
- ラウール・アグネ 2007-2009
- ハビ・サラメーロ 2009
- クリストバル・パラーロ 2009
- ラウール・アグネ 2010-2012
- ハビ・サラメーロ 2012
- ホス・ウリベ 2012
- リカルド・ロドリゲス (サッカー指導者) 2013
- パブロ・マチン 2014-2018
- エウセビオ・サクリスタン・メナ 2018-2019
- フアン・カルロス・ウンスエ 2019
- ホセ・ルイス・マルティ 2019-2020
- フランシスコ 2020-2021
- ミチェル 2021-
歴代所属選手
- ドメネク・バルマーニャ 19??-1935
- マルク・ベルナウス 2008-2010
- モハ 2009-
- 指宿洋史 2009-2011
- ジェラール・ロペス 2009-2011
- ランコ・デスポトビッチ 2010-2011
- マイケル・オルンガ 2017-2018
脚注
- ^ “ENTIDAD | Girona” (スペイン語). Girona FC. 26 September 2020閲覧。
- ^ “漂い始める“奇跡”の予感! 3度目の首位浮上のジローナ指揮官「この瞬間を楽しんでいる」”. 2023年12月11日閲覧。
- ^ この試合の出場選手はフロレンサ、テイシェドール、ファロ、フラビア、コマス、コッラーディ、フェレール、エスクデール、クラーラ、トレジャス、タラデージャスである
- ^ “Historia” (Spanish). ジローナFC公式サイト. 2013年7月2日閲覧。
- ^ “El Girona entona el alirón” (Spanish). El Mundo Deportivo (16 June 2008). 2013年7月2日閲覧。
- ^ “El Girona aconsegueix un ascens històric a la Segona Divisió en vèncer el Ceuta per la mínima (1–0)” (Catalan). Esport 3 (16 June 2008). 2013年7月2日閲覧。
- ^ “Cesado por sus malos resultados deportivos” (Spanish). Huelva Ya (14 January 2012). 2013年7月2日閲覧。
- ^ “El Llagostera entrena en el campo del Girona” (Spanish). El Mundo Deportivo (25 May 2011). 2013年7月2日閲覧。
- ^ “El Girona FC también es mío” (Spanish). ジローナFC公式サイト (9 May 2013). 2013年7月2日閲覧。
- ^ “漂い始める“奇跡”の予感! 3度目の首位浮上のジローナ指揮官「この瞬間を楽しんでいる」”. 2023年12月11日閲覧。
- ^ Inc, SEESAW GAME (2024年5月5日). “ジローナがまたもバルサに4発勝利! 2位浮上と同時にクラブ史上初のCL出場を決める”. サッカーキング. 2024年5月5日閲覧。
- ^ “Primer equipo” [First team] (Spanish). Girona FC. 2023年11月10日閲覧。
外部リンク
- 公式ウェブサイト
- ジローナFC (gironafc) - Facebook
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