宮田駅
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宮田駅 | |
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駅舎(2008年7月) | |
みやだ* Miyada | |
◄大田切 (2.1 km) (1.3 km) 赤木► | |
所在地 | 長野県上伊那郡宮田村[1]3198 |
所属事業者 | 東海旅客鉄道(JR東海) |
所属路線 | 飯田線 |
キロ程 | 169.1 km(豊橋起点) |
電報略号 | ミヤ[1] |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 2面2線[1] |
乗車人員 -統計年度- |
337人/日(降車客含まず) -2018年- |
開業年月日 | 1913年(大正2年)12月27日[1][2] |
備考 |
駅員無配置駅[1] 標高:648m[1] |
宮田駅(みやだえき)は、長野県上伊那郡宮田村にある、東海旅客鉄道(JR東海)飯田線の駅である[1]。
歴史
- 1913年(大正2年)12月27日:伊那電車軌道(1919年に伊那電気鉄道へ改称)が伊那町駅(現・伊那市駅)から延伸した際に、その終着駅である宮田駅(みやたえき)として開業[1][3]。一般駅[2]。
- 1914年(大正3年)10月31日:伊那電車軌道が赤穂駅(現・駒ケ根駅)まで延伸し、途中駅となる[3]。
- 1943年(昭和18年)8月1日:伊那電気鉄道線が飯田線の一部として国有化され、鉄道省(後の日本国有鉄道)の駅となる[4]。
- 1956年(昭和31年)12月15日:「みやだえき」に呼称変更[1]。
- 1971年(昭和46年)12月1日:荷物・貨物の取扱を廃止(旅客駅となる)[2]。
- 1983年(昭和58年)2月24日:業務委託開始。
- 1985年(昭和60年)4月1日:業務委託終了、無人化[5]。
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化により、東海旅客鉄道が継承[6]。
- 1998年(平成10年)6月:駅舎改築[1]。
駅構造
相対式ホーム2面2線を持ち、列車交換が可能な地上駅である[1]。駅舎は東側(上り線側)にあり、下り線側とはホームの赤木駅側にある構内踏切で繋がっている。伊那市駅管理の無人駅。
のりば
番線 | 路線 | 方向 | 行先 |
---|---|---|---|
1 | 飯田線 | 上り | 飯田・天竜峡方面[7] |
2 | 下り | 辰野方面[7] |
利用状況
「長野県統計書」によると、1日平均の乗車人員は以下の通りである。
- 2007年度 - 335人[1]
- 2009年度 - 321人[1]
- 2010年度 - 345人
- 2011年度 - 339人
- 2012年度 - 337人
- 2013年度 - 347人
- 2014年度 - 325人
- 2015年度 - 329人
- 2016年度 - 350人[8]
- 2017年度 - 338人[9]
- 2018年度 - 337人[10]
駅周辺
駅前にはタクシー乗り場などがある。駅前から東方へ向かうと国道153号へ繋がり国道を越えると宮田村役場がある[1]。宮田村立宮田小学校及び宮田村立宮田中学校は駅南方にある。
隣の駅
脚注
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o 信濃毎日新聞社出版部『長野県鉄道全駅 増補改訂版』信濃毎日新聞社、2011年7月24日、193頁。ISBN 9784784071647。
- ^ a b c 石野哲(編)『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 Ⅱ』JTB、1998年、109頁。ISBN 978-4-533-02980-6。
- ^ a b 歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR 03号、14頁
- ^ 歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR 03号、15頁
- ^ “「通報」身延線甲斐常葉駅ほか36駅の駅員無配置について(旅客局)”. 鉄道公報 (日本国有鉄道総裁室文書課): p. 3. (1985年3月27日)
- ^ 歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR 03号、17頁
- ^ a b 駅掲示用時刻表の案内表記。これらはJR東海公式サイトの各駅の時刻表で参照可能(2015年1月現在)。
- ^ “平成28年(2016年)長野県統計書 - 13.運輸” (PDF). 長野県企画振興部情報政策課統計室. 2019年3月15日閲覧。
- ^ “平成29年(2017年)長野県統計書 - 13.運輸” (PDF). 長野県企画振興部情報政策課統計室. 2020年3月14日閲覧。
- ^ “平成30年(2018年)長野県統計書 - 13.運輸” (PDF). 長野県企画振興部情報政策課統計室. 2021年3月9日閲覧。