パオラ・ルッフォ・ディ・カラブリア
パオラ・ルッフォ・ディ・カラブリア Paola Ruffo di Calabria | |
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ベルギー王妃 | |
1967年撮影 | |
在位 | 1993年8月9日 - 2013年7月21日 |
全名 |
Paola Margherita Maria Antonia Consiglia パオラ・マルゲリータ・マリーア・アントーニア・コンシーリア |
出生 |
1937年9月11日(87歳) イタリア王国、フォルテ・デイ・マルミ、ヴィラ・クラウディア |
配偶者 | アルベール2世 |
子女 |
フィリップ アストリッド ロラン |
家名 | ルッフォ・ディ・カラブリア家 |
父親 | フルコ・ルッフォ・ディ・カラブリア |
母親 | ルイーザ・ガゼッリ・デイ・コンティ・ディ・ロッサーナ |
宗教 | カトリック教会 |
ベルギー王室 |
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パオラ・ルッフォ・ディ・カラブリア(イタリア語: Paola Ruffo di Calabria, 1937年9月11日 - )は、ベルギー国王アルベール2世の王妃。現国王フィリップの母。
経歴
幼少期
空軍のエースだったイタリア貴族フルコ・ルッフォ・ディ・カラブリア公とその妻ルイーザの三女として、イタリアのフォルテ・デイ・マルミで生まれた。幼少時代をローマで過ごし、1946年に父を亡くした。ギリシャ=ラテン文学を学び、イタリア語、英語、フランス語を話すことができる。
リエージュ公妃
1958年、ローマ教皇ヨハネ23世の即位の式典のために、ベルギー国王の使者としてローマに来たリエージュ公アルベール王子と出会った。2人は1959年7月2日にブリュッセルで結婚し、バルヴェデール宮殿で暮らし始めた。2人の間には、フィリップ王子(現国王)、アストリッド王女(オーストリア=エステ大公妃)、ロラン王子の3子が生まれたが、アルベールとの結婚生活は決して順調ではなく、共に愛人の存在があったり、長い期間別居していたために、離婚の調停が進んでいるという噂も起こった。
1970年代の終わりには、2人の結婚生活は危機を乗り越えた。しかし、王位継承権が第1位であったアルベールの妃であるにもかかわらず、パオラは公の場に姿を現すことが少なく、公的な役割を十分に果たすことをせず、公衆の前でスピーチをすることは決してなかった。パオラは宮殿内に安らぎを求め、ガーデニングやインテリアなどに興味を持った。
ベルギー王妃
1993年8月9日に、アルベールはアルベール2世として国王に即位し、パオラは55歳にして王妃となった。パオラの父方の祖母ロール・モセルマン・デュ・シュノワはブリュッセル出身のベルギー人であり、ベルギー人の血を引く初めての王妃となった。
小惑星(2973) Paolaはパオラの名前にちなんで命名された[1]。
子女
外部リンク
脚注
- ^ “(2973) Paola = 1951 AJ = 1951 AQ = 1973 UQ4 = 1981 YB1”. MPC. 2021年10月3日閲覧。
先代 ファビオラ・デ・モラ・イ・アラゴン |
ベルギー王妃 1993年 - 2013年 |
次代 マティルド・デュデケム・ダコ |