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ビスタカー

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ビスタカー(Vista Car)とは、近畿日本鉄道(以下・近鉄)が保有・運用する電車のうち、特急列車または団体列車に使用される2階建車両を連結している編成に与えられた愛称である。直訳すれば「眺望車」という意味である。この名称は近鉄の登録商標(日本第3085573号)であるため、他社が許可なく使用することはできない。

また本項では、近畿日本鉄道直営であったバス部門(当時、現:近鉄バス)が開発・導入した2階建バスビスタコーチ」(Vista Coach) についても述べる。

鉄道車両「ビスタカー」

1958年に試作された近鉄10000系電車以降、主として特別急行列車・団体列車に用いられている。当初は大阪線山田線で使用されていたが、2020年現在では名古屋線善光寺カーブの解消による21m車入線可能化と標準軌化、奈良京都橿原線の車両限界拡大と600Vから1500Vへの昇圧により、狭軌線である南大阪吉野線以外の標準軌各線で使用されている。

ビスタカーは当時、近鉄と競合関係にあった関西本線準急列車が健闘していることに焦りを覚えた当時の近鉄社長・佐伯勇が、車両部に所属していた部下に発した号令が発端となり開発が始まったとされる。部下には藤縄郁三や影山光一、赤尾公之、近藤恒夫らがいて、これら社員の日本国外出張経験から2階建車両の発想が生まれた[1]

ビスタカーは長らく近鉄の象徴的存在であったが、1980年代末から2000年代にかけては、近鉄の車両規格では車内空間の余裕に乏しく、また居住性に難があったことから、21000系「アーバンライナー」登場以降は後続の新型車両に主役の地位を譲った格好となっていた(「アーバンライナー」で2階建車両を導入しなかった経緯については近鉄21000系電車を参照)。

しかしビスタカー使用列車には「V」マークが時刻表に表記されるなど[2]別格の扱いを受けており、50000系「しまかぜ」の登場によって、2階建特急車両が近鉄特急のフラッグシップとして返り咲くこととなった。

ビスタカーに該当する車両

以下の車両形式がこれに当たる。車両の詳細についてははそれぞれの項目を参照。

特急形電車
団体用車両(電車)

愛称について

近鉄が特定の車両に対して愛称を付けたのは、前年1957年に落成した6800系などに「ラビットカー」と名付けたのが始まりであり、「ビスタカー」はそれに次ぐ2例目であった。

10100系電車登場後、長年に渡って10000系を「旧ビスタカー」、10100系を「新ビスタカー」と呼称していた。また各々「カー」の部分を省略する通称も多用されていた。

その後、30000系登場時には、10100系と区別するため「ニュービスタカー」の呼称が使用された。しかしこの区別では「ニュー(New)」と「新」の意味が同じであり不自然ということから、鉄道雑誌昭和時代には近鉄特急の特集記事を組んでいたこともあった『鉄道ファン』誌が中心)において、10000系を「ビスタI世」、10100系を「ビスタII世」、30000系を「ビスタIII世」と呼称するようになった。ただし同誌では「カー」は省略するのが通常である。ファンの間での通称だが、後に近鉄公式でも10100系引退時のさよなら運転の際には「さよならII世運転」と銘打ったヘッドマークが作成されている。

10000系の廃車から7年後に30000系が落成したため、10000系とは同時に在籍していない。そのため10000系の就役時には「ビスタI世」と呼称されたことはなく、後継車両に対するレトロニムとしてそう呼ばれるようになった。

50000系「しまかぜ」はカフェ車両が2階建て構造であるが、独自の愛称を持つため「ビスタカー」とは名乗らず「VISTA CAR」のロゴも貼られていない。しかし、50000系の電算記号「SV」は「Shimakaze Vista Car」に由来する。

10100系(A編成)
(1978年、河内国分駅付近にて)
近鉄30000系電車(車体更新前)
(1980年、河内国分-安堂間にて)
近鉄20100系電車「あおぞら」
高安検車区にて
近鉄20000系電車「楽」
(2014年)
近鉄50000系電車「しまかぜ」
(2013年)
10100系のロゴ
10000系のものとは意匠が異なる。
20100系の車体側面にも同様のロゴが入っていた
30000系(改装後)のロゴ
改装前は前の2車種とは異なる別の意匠のロゴが入っていた
20000系のロゴ
30000系(改装後)のロゴと意匠は同一である。

2階建バス「ビスタコーチ」

近鉄は鉄道におけるビスタカーの成功により、バス部門においても2階建バスの企画を行った。近畿日本鉄道直営であったバス部門(現・近鉄バス)において、「ビスタコーチ」と命名して様々な2階建バスを導入した。特に初代ビスタコーチは近鉄の独自開発による日本初の2階建バスとなった。

他の事業者が輸入2階建バスを導入したのに比べ、近鉄では系列の近畿車輛、関係の深い日野自動車と連携し、純国産の2階建バスを次々と導入した点が画期的であった。ビスタコーチは日本における2階建バス導入の嚆矢として他のバス事業者へも影響を及ぼし、日本の2階建バスの歴史に大きな足跡を残した。

初代ビスタコーチ (KDD-60)

1960年(昭和35年)、近鉄は日野自動車と近畿車輛の協力を得て、日本初となる2階建バス「ビスタコーチ KDD-60型」を開発。ベースシャーシセンターアンダーフロアエンジン日野・BDを採用し、1台を大阪市内と石切神社前を結ぶ路線に導入した。

のちに登場する2階建バスとは異なり、前部・後部は一般のバス同様の構造で、ホイールベース間のみが2階建てになっており、乗降口はその2階建部分の中央に設けられていた(つまり車掌が乗務するツーマン運行であった)。2階席へはいったん後部客室に上り、さらに階段で2階席に上る方式であった。定員は座席のみで84名を確保した。

ステップドルーフの形状は、これもやはりアメリカのグレイハウンドライン1954年から導入され人気を博していた、レイモンド・ローウィのスタイリングによる、ゼネラルモーターズ (GMC) のシーニクルーザに見られる。しかし、2階席をドーム風に仕立てたことと、1階席を設けたところが近鉄流であった。

改良量産型 (KDD-1)

1961年には改良量産型「ビスタコーチ KDD-1型」を製造。ベースシャーシはリアエンジン日野・RC10、エンジンは日野DK20型 (195PS) を採用した。

さらに、ビスタコーチは乗降口がノンステップであったことから、2階部分を無くしたノンステップバスも製造された。

これらのバスは構造上ワンマン運転には対応できなかったため、1970年頃までに引退し、系列の北日本観光自動車に移籍した。

また、観光タイプのビスタコーチも企画されたが実現しなかった。

近畿車輛のバス車体製造事業自体も、名神ハイウェイバスに参入した傘下の日本高速自動車(現:名阪近鉄バス)向け高速バス車両などを製造したものの、1960年代中に撤退している[3]


RE161型

RE161型 2階建てバス試作車

近畿日本鉄道(画像は自家用に転用後)

1982年には、再び日野自動車と組み、RE161型路線バスシャーシをベースとした2階建てバスを製造した。車体はモノコック構造の1階部分にスケルトン構造の2階部分を組み合わせた。近鉄では路線バスでの使用を考えていたが、当時の規制では乗合登録の認可が下りず、観光バスとして使用した。

日野・グランビュー

観光バス「ビスタカー」
日野・グランビュー(市販第1号車)

1985年には、初の本格的2階建て観光バスとして、日野・グランビュー (P-RY638AA) が発売された。近鉄はグランビューの第1号車を購入、これに鉄道と同じ「ビスタカー」の愛称を付与して運行した。塗装デザインも日野自動車が用意したものをそのまま採用し、後のスーパーハイデッカー車にも同様のデザインが取り入れられている。

近鉄が新車購入したグランビューは、のちに天領バスの保有となり、同社で除籍後は日野自動車へ里帰りし、日野オートプラザ保存・展示されている[4]

エアロキング

1997年、近鉄は夜行高速バスに収容力にすぐれた2階建てバスを導入したが、日野自動車がすでにグランビューの製造を終了していたため、三菱ふそう・エアロキングが導入された。近鉄バスでの三菱ふそう車の導入は珍しい事例だった。エアロキングは夜行高速路線用として投入され、収容力の高さを活かして利用者の多い路線に使用していたが、2018年に運用を終了したため、現存しなくなった。

OSAKA SKY VISTA

夜行高速用のエアロキングをオープントップバスに改造し、2014年7月から定期観光バスOSAKA SKY VISTA」として運行開始した[5]。車体改造は東京特殊車体京王グループ)が担当。2019年時点で運行継続中である。

脚注

関連項目