80式空対艦誘導弾
種類 | 空対艦ミサイル |
---|---|
製造国 | 日本 |
設計 | 技術研究本部・三菱重工業 |
製造 | 300発以上 |
性能諸元 | |
ミサイル直径 | 35.0cm |
ミサイル全長 | 4.0m |
ミサイル全幅 | 119.0cm |
ミサイル重量 | 600kg |
弾頭 | 高性能炸薬150kg |
射程 | 推定50キロメートル (27 nmi)[1][2] |
誘導方式 |
慣性航法装置(中途) アクティブ・レーダー誘導(終末) |
飛翔速度 | 亜音速 |
80式空対艦誘導弾(はちまるしきくうたいかんゆうどうだん)は、日本が開発・配備した空対艦ミサイル(対艦誘導弾)別称はASM-1、1980年から航空自衛隊に配備されている。
概要
日本は、その四周を海に囲まれている地勢から、対艦兵器の開発・配備に力を注いでおり、その一環として開発された。
対艦誘導兵器の歴史を見ると、それは第二次世界大戦中に実用化が開始されており、1950年代にはソ連のP-15(SS-N-2)が開発されている。1967年にエイラート事件が起きると、西側諸国でも対艦ミサイルの開発に努力が注がれることとなった。ノルウェーのペンギン(1962年開発開始、1972年部隊配備開始)、ドイツのコルモラン(1962年開発開始、1973年部隊配備開始)フランスのエグゾセ(1967年開発開始、1975年水上艦発射型配備開始)やアメリカ合衆国のハープーン(1971年本格開発開始、1977年部隊配備開始)を受けて、日本でも空対艦ミサイルの開発が開始された。従来の航空機の対艦攻撃手段であるロケットや通常爆弾は無誘導で命中率が低く、射程も短いため母機が艦載SAMや対空機関砲の射程に入ってしまう。ASM-1の開発による命中率の向上と母機の被撃墜率の低下が期待された。
開発は1973年より近距離空対艦誘導弾[3]として、XASM-1の名称で[4]技術研究本部および三菱重工業を中心に行われた。試作は1974年より開始されている[3]。発射試験は1977年12月より開始され、1979年の実弾頭を用いた試験ではミサイル命中により廃艦標的を沈めてしまい、試験を切り上げる一幕もあった[2][3]。開発経費は約109億円[5]、1980年に制式採用された。1996年まで生産され、推定350発が納入された[2]。
ミサイルは葉巻型の胴体中部に4枚の主翼および末尾に4枚の操舵翼をつけた形状となっている[3]。ミサイルは、前方よりセンサー部、誘導部、弾頭部、エンジン部からなる[3]。推進機関は固体燃料ロケットを用いている。シースキマー・ミサイルであり、初期・中間誘導は慣性航法装置、終末誘導はXバンドのアクティブ・レーダー誘導となっている[1][2]。シースキミングのまま、目標へと突入し、着発信管により爆発する[2]。飛翔高度測定にはFM/CW方式の電波高度計を用いている[1][2]。
F-1支援戦闘機(1977年部隊配備開始)との並行開発であり、F-1の主武装の一つとなるように構想された。航空自衛隊初の誘導対艦兵器であり、F-1は主翼下にASM-1を計2発搭載できる。当初、携行能力を有する機体はF-1のみであったが、後にF-4EJ改戦闘機およびF-2戦闘機が開発され、それらも携行能力を有するようになっている。F-4EJ改は2発、F-2は4発搭載可能である。なお、海上自衛隊の航空機はこれを装備せず、ハープーンや91式空対艦誘導弾(ASM-1C)を搭載する。
このミサイルは、当初より発展性を考慮したモジュール設計となっており、日本の対艦誘導弾ファミリーの基となった[2][3]。これを基に推進機関をジェットエンジン化した88式地対艦誘導弾・90式艦対艦誘導弾・91式空対艦誘導弾・93式空対艦誘導弾が開発されている。また、コスト管理により低価格化への配慮が払われている[2][3]。
出典・脚注
参考文献
- 自衛隊装備年鑑 2006-2007 朝雲新聞社 P430 ISBN 4-7509-1027-9