日新寺
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日新寺(じっしんじ)はかつて鹿児島県加世田市(現在の南さつま市)に存在していた曹洞宗の寺。山号は「龍護山」であった。
沿革
1485年、薩州家・島津国久が泰翁宥仙を開山として開いた「保泉寺」が始まりである。ちなみに皇徳寺の末寺であった。
その後衰微していたが、1564年(永禄7年)に島津忠良が再興した。忠良の死去、7世住持の梅安和尚が寺号を「日新寺」と改めた。「日新」は島津忠良の戒名の一部である。その後、島津忠良の菩提寺として島津氏の尊崇は厚く、また、忠良の妻の墓、三男の島津尚久墓、忠良に殉死した伊尻神力坊の墓など、島津氏縁の人々の墓地となった。
しかし明治2年の廃仏毀釈の前にはなす術なく、廃寺となった。その後1873年に同地に再興されたのが竹田神社である。
加世田詣り
かつて薩摩藩では島津忠良菩提寺・日新寺、島津義弘菩提寺・妙円寺、島津歳久菩提寺・心岳寺にそれぞれの命日に参る習慣があった。日新寺詣では地名から「加世田詣り」といわれた。戦前までは結構盛んに行われていたが、戦後になり過疎化が進んだことと鹿児島市から鎧兜をまとった重装備で徹夜で加世田市まで歩くという過酷な行事のため次第に参加者が減り、現在「妙円寺参り」以外は完全に無くなってしまった。