コンテンツにスキップ

ウエスタン (映画)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。210.148.129.243 (会話) による 2014年10月3日 (金) 20:05個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (キャスト)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

ウエスタン
C'era una volta il West
Once Upon a Time in the West
監督 セルジオ・レオーネ
脚本 セルジオ・レオーネ
セルジオ・ドナティ
ミッキー・ノックス(英語版台詞)
原案 ダリオ・アルジェント
ベルナルド・ベルトルッチ
セルジオ・レオーネ
製作 フルビオ・モルセッラ
製作総指揮 ビーノ・チコーニャ
出演者 チャールズ・ブロンソン
クラウディア・カルディナーレ
ヘンリー・フォンダ
ジェイソン・ロバーズ
音楽 エンニオ・モリコーネ
撮影 トニーノ・デリ・コリ
編集 ニーノ・バラーリ
製作会社 セルジオ・レオーネ・フィルム
ラフラン=サンマルコ・プロダクション
配給 パラマウント映画
公開 イタリアの旗 1968年12月21日
日本の旗 1969年10月4日
上映時間 165分
175分(ロングバージョン)
製作国 イタリアの旗 イタリア
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
言語 イタリア語
製作費 $5,000,000[1]
テンプレートを表示

ウエスタン』(原題:C'era una volta il West、英題:Once Upon a Time in the West)は、1968年製作のイタリアアメリカ合作映画。セルジオ・レオーネ監督作品。黄昏の西部開拓時代を舞台に、当時の人間模様を活写した大作群像劇である。原題を意訳すると「昔々、西部で・・・」となる。

レオーネの代表作であるのみならず、西部劇の金字塔として高く評価されている。この作品から『夕陽のギャングたち』、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』までを、それまでの「ドル箱三部作」に対して「ワンス・アポン・ア・タイム三部作」と呼ぶこともある。

概要

荒野の用心棒』、『夕陽のガンマン』、『続・夕陽のガンマン』のいわゆる「ドル箱三部作」を撮影し終えたレオーネは、もう西部劇というジャンルでやりたいことは全てやりつくしてしまった、として新しく禁酒法時代のユダヤ人ギャングを描いた映画(17年後に『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』として結実)を製作しようとしていた[2]。しかし、ハリウッドがレオーネに期待したのはあくまで従来のマカロニ・ウェスタンでしかなかった。当初「ドル箱三部作」の配給会社であったユナイテッド・アーティスツチャールトン・ヘストンカーク・ダグラスロック・ハドソンたちが出演する映画製作を打診したが、レオーネは気が進まなかったのでその申し出を辞退した。しかしパラマウント映画ヘンリー・フォンダが出演する映画製作のオファーを出した時にはそれを受け入れた。パラマウントが提示した潤沢な製作資金が魅力的であったことの他に、ヘンリー・フォンダがレオーネの敬愛する俳優であったことがレオーネの心を動かしたといわれている。

レオーネは新鋭監督のベルナルド・ベルトルッチと当時まだ映画評論家であったダリオ・アルジェントに映画の原案を委託した。彼らはレオーネの自宅で『真昼の決闘』や『大砂塵』といった西部劇の名作を鑑賞しながら、『ウエスタン』のプロットを練ったという[3]。そのためか『ウエスタン』はこれまでの娯楽性を追求したレオーネの「ドル箱三部作」(いずれも典型的なマカロニ・ウェスタンである)と異なり、登場人物の心境の変化や作品のテーマ性によりフォーカスを当てた構成、いわば伝統的な西部劇スタイルへの回帰が見られるとされる。

「アメリカの良心」を体現してきたヘンリー・フォンダが悪役を演じることに抵抗を感じた観客が多かったアメリカでは、『ウエスタン』は期待されたほどのヒットにはならなかった。しかしヨーロッパや日本では大ヒットし、それらの国におけるレオーネの評価を更に高めることになった。2005年にはアメリカの雑誌TIMEによって映画ベスト100中の1本に選ばれた[4]

ストーリー

物語は物寂しい西部のアリゾナ州にある駅から始まる。駅のホームで何者かを待ち受ける屈強な三人のギャングたち。そこに現れたハーモニカを吹く謎のガンマンはあっというまに三人のギャングを射殺してしまう。

舞台は変わって荒野の一軒屋、そこでは開拓者のブレット・マクベインが再婚相手を迎え入れるための準備をしていた。しかし突如として現れたならず者フランクとその部下達によってマクベイン一家は皆殺しにされてしまう。更にフランクは偽の証拠を現場に残すことで事件を山賊のシャイアン一味の仕業に見せかける。ブレッドの新妻であるジルは夫を殺した男への復讐と、女一人で西部で生きていく決意をする。

実はフランクがマクベイン一家を殺害したのは、マクベイン一家の土地を奪い取ろうとする鉄道王モートンの差し金だった。事件の真相を探ろうとするシャイアン、そして何故かフランクを付け狙う「ハーモニカ」は美しい未亡人ジルと彼女の財産を守るために協力しあうのだった。

キャスト

役名 俳優 日本語吹き替え
DVD版 テレビ朝日 日本テレビ
ハーモニカ チャールズ・ブロンソン 大塚周夫
ジル・マクベイン クラウディア・カルディナーレ 小原乃梨子
フランク ヘンリー・フォンダ 瑳川哲朗 木村幌
シャイアン ジェイソン・ロバーズ 糸博 小林清志 内田稔
モートン ガブリエル・フェルゼッティ 小林清志 梓欣造
ブレット・マクベイン フランク・ウルフ
ストーニー[5] ウディ・ストロード
スネイキー ジャック・イーラム 阪脩

テーマ

『ウエスタン』はレオーネの後期作品群である「ワンス・アポン・ア・タイム三部作」の第一作目に相当する作品である。三部作の間に話の繋がりは存在しないものの、いずれもレオーネなりに解釈した西部開拓時代から近代社会までのアメリカという共通のテーマを扱っている。レオーネは当初本作品を自身が監督する最後の西部劇映画だと認識していた。『ウエスタン』にはレオーネの西部劇への決別の意志と共に、当時全盛期を終え徐々に衰退しつつあったハリウッド製西部劇への愛惜の念が込められているとされる[3]。作中には実際に過去の西部劇の名作からの引用が多く為されている。

それまでの賞金稼ぎや無法者たちが闊歩する「ドル箱三部作」の世界観と異なり、『ウエスタン』の舞台はフロンティアが消滅しつつあった西部開拓時代末期である。映画に登場するハーモニカ、フランク、シャイアンの三人のガンマンたちは単純な西部劇の英雄や悪漢ではなく、時代の流れに抗しきれず居場所を奪われた男たちとして描写されている。本作品では鉄道が彼らに西部開拓時代の終わりを告げる象徴的存在として登場している[6]

また、『ウエスタン』はそれまで映画中に女性をあまり登場させなかったレオーネが、初めて本格的に女性に焦点を当てた作品でもある[3]クラウディア・カルディナーレ演じる気丈な未亡人ジルは、それまでの西部劇に多く見られたような悪党に苦しめられ助けを待つか弱い女性ではなく、はっきりと独立した意思を持った物語の中心人物として描かれている。

トリビア

  • 撮影を終えてから場面ごとに楽曲を追加するという通常の映画撮影の手法と異なり、本作品では撮影前にエンニオ・モリコーネが作曲した楽曲でイメージを膨らませたレオーネが、そのイメージの通りに映画を撮影するという製作方法が採られた[7]
  • 映画で悪役を演じることに難色を示したヘンリー・フォンダを、レオーネ本人が説得したという。撮影初日、フォンダは役作りのために彼のトレードマークであった青い眼に茶色のカラーコンタクトを入れ、更に口鬚を生やしてスタジオに現れた。レオーネはフォンダの変貌に驚愕、すぐにコンタクトレンズを外すように要請した[8]
  • この作品は東京都新宿区歌舞伎町にあった新宿プラザ劇場の記念すべきオープニング上映作品だった。東宝洋画系ロードショー館の新宿プラザは2008年11月7日の閉館まで映画史上に残るヒット作や大作を上映し多くの映画ファンに親しまれた。
  • 序盤の駅のシーンで風車の油が切れており、回るたびに鳴っていた音を監督のレオーネは気に入っていた。しかし、スタッフが「油を差しましょうか?」と聞くとレオーネは「差したら殺すぞ!!」と怒鳴りつけたという。

脚注

  1. ^ C'era una volta il West (1968) - Box office / business” (英語). IMDb. 2012年7月5日閲覧。
  2. ^ セルジオ・レオーネ、1984年のインタビューより
  3. ^ a b c d An Opera Of Violence(『ウエスタン』製作の模様を扱ったドキュメンタリー、パラマウント映画版DVD収録)
  4. ^ TIME Magazine、“ALL-TIME 100 Movies”(参照:2008年12月3日)
  5. ^ 冒頭でストーニーが使っているショットガンは、ジョン・ウェインハワード・ホークスの監督映画『リオ・ブラボー』で使用したものである。
  6. ^ Railroad: Revolutionising The West(鉄道の開通と西部開拓時代の終焉を扱ったドキュメンタリー、パラマウント映画版DVD収録)
  7. ^ Something To Do With Death(『ウエスタン』製作の模様を扱ったドキュメンタリー、パラマウント映画版DVD収録)
  8. ^ ヘンリー・フォンダ、1975年のインタビューより

外部リンク

Template:Link GA