二木謙吾
表示
二木 謙吾(ふたつぎ けんご、1897年1月1日-1983年12月22日)は、日本の政治家。参議院議員(3期)。
来歴
- 1942年(昭和17年)-宇部女子商業学校理事長兼校長。
- 1943年(昭和18年)-宇部高等淑徳女学校校長。
- 1945年(昭和20年)-財団法人宇部女子商業学校理事長兼校長。
- 1947年(昭和22年)-山口県議会副議長[1]。
- 1951年(昭和26年)-学校法人宇部学園理事長。
- 5月-山口県議会議長(1959年まで)[1]。
- 1962年(昭和37年)-第6回参議院議員通常選挙山口県選挙区当選。
- 1967年(昭和42年)-第2次佐藤内閣 (第1次改造)大蔵政務次官。
- 1968年(昭和43年)4月-山口芸術短期大学を開学[2]。
- 7月-第8回参議院議員通常選挙再選。
- 1972年(昭和47年)-七日会(田中派)顧問。
- 1974年(昭和49年)-第10回参議院議員通常選挙当選。
- 1980年(昭和55年)-第12回参議院議員通常選挙には、立候補せず江島淳に禅譲。
- 1981年(昭和56年)-勲一等瑞宝章受章[3]。
- 1983年(昭和58年)-死去。
- 1985年(昭和60年)-柳原義達制作の銅像が宇部女子高等学校に設置[4]。
家族
脚注
議会 | ||
---|---|---|
先代 原文兵衛 |
参議院外務委員長 1974年 - 1975年 |
次代 高橋雄之助 |
先代 山下春江 |
参議院文教委員長 1966年 - 1967年 |
次代 大谷藤之助 |