上川郡 (石狩国)
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上川郡(かみかわぐん)は、北海道上川総合振興局中部(塩狩峠以南)にある郡。郡名は石狩川の上流部にあたることから命名。北隣の天塩国上川郡とは塩狩峠で、東の十勝国上川郡とは大雪山系でそれぞれ隔てられている。
人口49,216人、面積2,723.4km²、人口密度18.1人/km²。(2024年10月31日、住民基本台帳人口)
以下の8町からなる。
- 鷹栖町(たかすちょう)
- 東神楽町(ひがしかぐらちょう)
- 当麻町(とうまちょう)
- 比布町(ぴっぷちょう)
- 愛別町(あいべつちょう)
- 上川町(かみかわちょう)
- 東川町(ひがしかわちょう)
- 美瑛町(びえいちょう)
沿革
江戸時代の上川郡域は西蝦夷地に属し松前藩領となっていた。江戸時代後期になると、国防上の理由から文化4年上川郡域は天領とされた。文政4年には一旦松前藩領に復した。安政2年再び天領となり、上川郡域付近まで幕府(箱館奉行)によって置かれた石狩役所の所管となる。このころ松田市太郎や松浦武四郎らによって層雲峡温泉が発見されている。戊辰戦争(箱館戦争)終結直後の1869年8月15日、大宝律令の国郡里制に倣い上川郡が置かれる。北海道石狩国に含まれた。
- 1882年2月8日 - 廃使置県にともない札幌県の所管となる。
- 1902年4月1日 - 一級町村制施行により旭川町が成立する。(1町)
- 1906年4月1日 - 二級町村制施行により東川村と鷹栖村と愛別村と永山村と當麻村と東旭川村が成立し、鷹栖村から比布村が分立する。(1町7村)
- 1909年4月1日 - 鷹栖村と東旭川村が一級町村制を施行する。二級町村制施行により神楽村、神居村が成立する。(1町9村)
- 1914年4月1日 - 旭川町が旭川区となり郡より離脱。(9村)
- 1915年4月1日 - 二級町村制施行により美瑛村が成立する。(10村)
- 1916年 - 人口:96,924名。マラリア患者数:288名。
- 1919年4月1日 - 東川村と當麻村が一級町村制を施行する。
- 1921年4月1日 - 比布村と永山村が一級町村制を施行する。
- 1922年8月1日 - 旭川区が市制を施行して旭川市となる。
- 1923年4月1日 - 美瑛村が一級町村制を施行する。
- 1924年1月1日 - 愛別村から上川村が分立する。(11村)
- 1924年6月4日 - 鷹栖村を東鷹栖村に改称すると同時に鷹栖村と江丹別村が分立する。(13村)
- 1929年4月1日 - 神楽村が一級町村制を施行する。
- 1931年4月1日 - 神居村が一級町村制を施行する。
- 1937年4月1日 - 愛別村が一級町村制を施行する。
- 1940年4月1日 - 美瑛村が町制を施行して美瑛町となる。(1町12村)
- 1942年9月10日 - 東旭川村の一部を旭川市に編入。
- 1943年4月1日 - 神楽村から東神楽村が分立する。(1町13村)
- 1952年9月1日 - 上川村が町制を施行して上川町となる。(2町12村)
- 1954年11月1日 - 永山村と神楽村が町制を施行して永山町と神楽町となる。(4町10村)
- 1955年4月1日 - 江丹別村と神居村が旭川市に編入される。(4町8村)
- 1958年4月1日 - 當麻村が改称および即日町制を施行して当麻町となる。(5町7村)
- 1959年8月15日 - 東川村が町制を施行して東川町となる。東旭川村が町制を施行して東旭川町となる。(7町5村)
- 1961年4月1日 - 永山町が旭川市に編入される。(6町5村)
- 1961年8月1日 - 愛別村が町制を施行して愛別町となる。(7町4村)
- 1962年1月1日 - 比布村が町制を施行して比布町となる。(8町3村)
- 1963年8月15日 - 東旭川町が旭川市に編入される。(7町3村)
- 1966年1月1日 - 東神楽村が町制を施行して東神楽町となる。(8町2村)
- 1968年3月1日 - 神楽町が旭川市に編入される。(7町2村)
- 1969年1月1日 - 鷹栖村と東鷹栖村が町制を施行して鷹栖町と東鷹栖町となる。(9町)
- 1971年3月2日 - 東鷹栖町が旭川市に編入される。(8町)
参考文献
- 内務省衛生局保健衛生調査室編『各地方ニ於ケル「マラリア」ニ関スル概況』1919年(大正8年)発行(2008年1月21日現在、国立国会図書館の『近代デジタルライブラリー』で閲覧可能)