歴史主義
歴史主義(れきししゅぎ、独: Historizismus、英: historicism)は、最も一般的な用語としては、人間生活のあらゆる現象を、物理的な時間空間概念とは別にある歴史的な流れのうちにおいて、その生成と発展とを捉えなければならないとする主張を指す語である。
多義性
今日、「歴史主義」と呼ばれている思想的立場は19世紀初頭のドイツから始まったとされている。歴史主義は、20世紀になってから、広く知られるようになった概念で、極めて多義的な概念であり、その時代・論者によって意味が異なることから注意が必要である。
ナポレオン1世の失脚後ウィーン体制が引かれた19世紀初頭のドイツでは、フランス革命を生んだ個人主義・合理主義・啓蒙主義的な思想に対する保守的な反動としてロマン主義が登場し、人間的・社会的世界は合理的に割り切れるものでなく、生命の躍動のうちに生成・発展するプロセスであり、これを有機的全体として歴史のなかで捉えなければならないとの主張が生まれていた。そのような時代背景の下、ランケは、国家を歴史的に生起する一つの精神的集合体とみなし、啓蒙思想における合理主義的な国家観を批判したのである。科学的な史料批判に基づく歴史学は、新たな学問として、西欧諸国に広まっていった。この意味での歴史主義は、ドイツ観念論が支配的であった時代に対する反動としての自然主義的な実証主義を意味した。
歴史主義は、ロマン主義と結びつけられて、歴史研究が自己目的化するにいたった19世紀の知識人層の根本気分とされることもある。そこでは、ある一定の規範や価値がその民族の歴史から導き出すことが正当化されたのであって、ヨハン・グスタフ・ドロイゼンによれば、歴史理論と倫理学は等価であるとされたのである。
ヴィルヘルム・ディルタイは、自然科学と、これに対置される歴史学、法学、経済学などの精神科学を区別し、歴史的認識を範型とする精神科学の認識論的特質は了解であるとした。ディルタイによって、歴史主義に哲学的な基礎が与えられると、人間生活のあらゆる現象は物理的な時間空間概念とは別にある歴史的な流れのうちにおいて、その生成と発展とを捉えなければならないと主張されるようになり、このような人間の思惟の根本的な歴史化によって、哲学・法学・経済学・神学などの多くの分野に多大な影響を与え、個別の学問の歴史化により、哲学史、法制史、経済史、教会史、教義史等の新しい学問分野が生まれた。
歴史主義は、実証主義を徹底させていく方向で発展し、歴史的に構成された規範や価値はその形成の連関においてのみ妥当性を有するにすぎず、その連関を超えた普遍的妥当性を有しないという歴史相対主義を生んだ。
このように歴史主義は多様な分野の多くの論者が長い時間をかけて形成した主張の集合体であったのである。
哲学
ヘーゲルは、人類の歴史は理性(絶対精神)の発展過程であるとして一種の進歩的な歴史観を主張していたが、ランケは、そのような歴史法則の存在そのものを否定した。
他方で、当時イギリスではダーウィンの影響の下、社会進化論が流行していたが、マルクスは、ヘーゲルの認識論的な歴史観を批判し、歴史を階級闘争の場とする唯物史観を科学的な見地から主張した。
ヴィルヘルム・ディルタイは、自然科学と、これに対置される歴史学、法学、経済学などの精神科学を区別し、歴史的認識を範型とする精神科学の認識論的特質は体験・表現・理解の連関に基づいているとした。この連関は「生」の自己解釈であり、歴史はこの個々の自己解釈のあらゆる客観化の総体であるとされ、歴史主義に哲学的な基礎が与えられたのである。そこでは、人間生活のあらゆる現象は、客観的な精神である歴史的な流れのうちにおいて、その生成と発展とを捉えなければならないと主張されるようになったが、このような様々に変動する生を基礎に置く哲学は、客観的精神といえども生の流れの中で様々に変動をせざるを得ないのではないとの疑問と結びつき歴史相対主義を招来したのであった。
新カント主義のヴィンデルバントは、ディルタイがその領域によって自然科学と精神科学を区別したことを批判した上で、自然科学は「法則定立的」(nomothetisch)であるのに対し、精神科学は「個性記述的」(idiographisch)であると特徴づけ、自然科学と精神科学は「領域による違い」ではなく、「方法による違い」によって区別されるとして、精神化学に自然科学と異なる学問としての独自性を主張したのであったが、これは新カント主義に立たない多くの歴史学の理論家にも取り上げられるほどの影響力を持った。新カント主義のハインリヒ・リッカートは、ヴィンデルバントを承継しつつも、精神科学に代わる概念として「文化科学」という概念を立て、これを体系化しただけでなく、相対主義を克服した価値哲学の構想を立てた。新カント主義は、このように、科学的な実験方法が哲学にも導入され徐々に心理学が独自の学問として成立し、「哲学のアイデンティティの危機」が叫ばれた時代に、自然主義との調和を求め、精神と文化の価値を復権する試みとして主張されたのである。歴史学と同様の史料批判に基づく哲学の研究は、研究成果がわかりやすいという特徴を有していたこともあり、その後の講壇哲学の方向性を基礎付けた。
批判
カール・ポパー
カール・ポパーは、ヘーゲル、マルクスのような歴史法則主義と反自然主義的主張である社会科学における歴史主義(historism)を含めて「歴史主義」(historicism)と呼び、『歴史主義の貧困』"The Poverty of Historicism"(1957年)[1]のなかでこの両者がいずれも論理的に成り立たないことを論証し、徹底的批判を試みた。
新歴史主義
1950年代以降、従来の歴史主義を批判するかたちで『表象(Representations)』誌を根城とした批評家集団が立ち現われた。この流れを新歴史主義と一般に呼び、その理論的骨組みはミシェル・フーコーの言説論と権力論にある。すなわち、新歴史主義において歴史は客観的で確固とした事実としてではなく、語り手によって再編されていく物語の言説として扱われる。代表的論客として、スティーブン・グリーンブラットを挙げることができる。
法学
歴史法学を参照のこと。
経済学
歴史学派を参照のこと。
参考文献
- ヘルベルト・シュネーデルバッハ著・古東哲明訳『へーゲル以後の歴史哲学』(法政大学出版局、1994)
- ヘルベルト・シュネーデルバッハ著朴順南、舟山俊明、内藤貴訳『ドイツ哲学史1831‐1933』(法政大学出版局)
注釈
- ^ この題名は、フランスの無政府主義者プルードンの『貧困の哲学』(1846年)に対抗して書かれた『哲学の貧困』(1847年)の著者であるカール・マルクスのヘーゲル歴史哲学の批判的継承である唯物史観に対する批判を意図していることに由来する。
関連項目
関連人物
- エドムント・フッサール
- カール・メンガー
- グスタフ・フォン・シュモラー
- ヤーコプ・ブルクハルト
- フリードリヒ・ニーチェ
- ゲオルク・ジンメル
- フリードリヒ・マイネッケ
- エルンスト・トレルチ
- パウル・ティリッヒ