コンテンツにスキップ

イゾンツォ川

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。Idioma-bot (会話 | 投稿記録) による 2009年4月26日 (日) 18:30個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (ロボットによる 追加: lt:Soča)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

イゾンツォ川
イゾンツォ川 1997年夏撮影
スロベニアコバリード付近
延長 140 km
平均流量 -- m3/s
流域面積 3,400 km2
水源 トリグラウ山
水源の標高 1,100 m
河口・合流先 アドリア海
流域 スロベニアの旗 スロベニア
イタリアの旗 イタリア
テンプレートを表示
イゾンツォ川河口

イゾンツォ川(Isonzo、スロベニア語ではソチャ川 Soča)は、スロヴェニア西部とイタリア東北部を流れるである。その水の色から「エメラルドの美しさ」とよばれることもある。

流路

ジューリア・アルプスのトレンタ渓谷にあるトリグラウ山(2,864m)の西側1,100mの高さから流れ出ている。ボヴェツ(伊語:プレッツォ)、コバリード(伊語:カポレット)、ノヴァ・ゴリツァなどを流れる。イタリア領に入ると、モンファルコーネ付近のアドリア海に流れ出る。

歴史

イゾンツォ渓谷は、第一次世界大戦中の1915年から1917年に、イタリア戦線において軍事大作戦の舞台となった。イゾンツォ戦線は数度にわたる会戦の後、1917年10月のカポレットの戦いでドイツ軍の援助を受けたオーストリア・ハンガリー側がイゾンツォ川流域を完全に占領した。イタリアがこの地域を奪回するのは、オーストリア・ハンガリーが連合国に降伏した後の事である。この戦いで100万人以上のイタリア軍とオーストリア・ハンガリー軍兵士が会戦で死んだ。この戦いはアーネスト・ヘミングウェイの小説『武器よさらば』の舞台にもなっている。スロベニアのコバリードにはこの戦いとヘミングウェイを展示のテーマとした博物館がある。

生物

上流部に生息するイゾンツォのマス(Salmo trutta marmoratus)は有名で大理石の鱒とも呼ばれている。アドリア海の河川固有の種であるが、二回の世界大戦の間に土着でないマスが流入したため、今では危機に瀕している。

外部リンク