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東武デハ5形電車

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東武3210系電車(とうぶ3210けいでんしゃ)は、東武鉄道に在籍していた近郊形電車。1927年 - 1929年にかけて新製された、いわゆる「昭和2年 - 4年系」に属する車両のうち、最多両数を擁した形式である。

本項では3210系のみならず、昭和2年 - 4年系に属する形式全てについて記載する。

概要

昭和初期の東武鉄道は、日光線全通や伊勢崎線東上本線の全線電化完成などが重なり、多数の電車増備が必要な状況を迎えていた。この時期に大量製造された合計114両の車両を総称して昭和2年 - 4年系と呼ぶ。製造は日車・汽車・川車の三社で行われたが、製造会社の違いによる差異はほとんど見受けられない[1]。製造年代及び用途によってその仕様・形式は多岐にわたっているが、最大長16,852mm・最大幅2,714mmといった車体寸法や主電動機・制御器は全て統一された仕様となっている。車体構造は全車共通で、半鋼製車体ながら木造車のような車体裾の切り込みを有し、台枠が露出している[1][2]ことが特徴。深い屋根と小ぶりな窓も相まって、やや垢抜けない鈍重な印象を与えるものである。

電装品については前述の通り全車共通で、デッカーシステムと称されるイングリッシュ・エレクトリック社の製品が搭載されている。制御器はM-8D型、主電動機はDK91型[3]、台車は住友製KS31型であるが、後年の改造によって制御器や主電動機の交換が行われた車両も存在する。パンタグラフは電動車に各2基搭載しており、常時2基とも上昇させて使用していた。

車内はロングシート装備の車両が大勢を占めていたが、一部にセミクロスシート車も存在し、全車に設置されたトイレの存在とともに本系列が当初より長距離運用を目的として設計されたことが見て取れる。

また、本系列の特徴の一つにその運転台配置があり、一端が全室式で中央に運転台を備えた非貫通構造[4]であるのに対し、もう一端は片隅式運転室を右側に、通路を挟んだ向かい側にトイレを配した貫通構造であった。全室式運転台側を「正運転室」、片隅式運転台側を「副運転室」と称したが、電動車の一部や制御車については副運転室を設けず、片運転台車として登場した車両も存在する。

本系列は前述のように製造年代別に仕様が異なり、4つのグループに大別できる。以下、グループ毎にその詳細を述べる。

前期普通車型

  • デハ4形(17 - 18・21 - 36)
  • クハ3形(9 - 10)

1927年にデハ18両・クハ2両の計20両が新製された。3扉車体の両運転台車で窓配置は1D7D7D1、乗務員扉はない。車内はセミクロスシートを装備していた。最初期に落成したデハ17・18及びクハ9・10のみ両側貫通構造であったが、以降の16両は正運転室側が非貫通構造に変更された。

デハ4形は1930年に35・36を除いて全車客室の一部を荷物室もしくは郵便室に改造し、デハニ4形・デハユ2形と改称している。これは正運転台側の窓2つ分までのスペースを転用したもので、車体に手は加えられず、扉の拡幅等は行われていない。また、クハ3形は1934年 - 1936年にかけて電装され、デハ8形(デハ93・94)と改称されたが、当時は既に本系列の後継形式であるデハ10系の設計・製造が開始されていた時期であり、電装に際してはそれらと同等の機器[5]を搭載している。その後、戦災によってデハニ26・デハ35が焼失、デハ36が事故で焼失したが、後者については復旧工事が施工され、その際電装品が前述クハの電装の際使用されたものと同一の機器に交換されている。また、デハニ29は事故で正運転室側前面を破損し、復旧の際乗務員扉が新設された。これら18両が大改番の対象となり、電装品及び車内設備の相違によりモハ3200形・モハニ3270形・モハ5400形・モハ5430形の4形式に区分された。

デハ4形・クハ3形 改番一覧

デハ17 デハニ17 デハ17 モハ3200
デハ18 デハニ18 デハ18 モハ3201
デハ21 - 25 デハニ21 - 25 モハニ3270 - 3274
デハ26 デハニ26 (戦災)[6]
デハ27 - 34 デハニ27 - 34 モハニ3275 - 3282
デハ35 (戦災)[6]
デハ36 モハ5430
クハ9 デハ94 モハ5401
クハ10 デハ93 モハ5400

前期合造車型

  • クハニ1形(1 - 6)
  • クハユ1形(1 - 4)

1927年にクハニ6両・クハユ4両の計10両が新製された。全車副運転室を持たない片運転台車で正面は非貫通構造とされ、運転室には乗務員扉が設けられている。前項デハニ・デハユ改造車とは異なり大きな荷物室と専用の広幅扉を持ち、窓配置はd1B1 3D7D1。普通車型グループと同じく車内はセミクロスシートを装備していた。

その後1929年にクハニ5・6がクハユ化され、1934年にその内クハユ6(初代)が電装・デハニ化されてデハニ1形(デハニ1)と改称されたのに伴いクハニ4がクハユ化されて、クハユ6(2代)と改番された。デハニ1の電装品については前項クハの電装化改造車と同様にデハ10系同等の機器が搭載されており、同時に副運転室を新設して両運転台化された。1936年にデハニ1は混雑対策として荷物室を撤去し[7]デハ8形(デハ87)と改称されている。本グループはクハニ1・クハユ3が戦災で焼失し、後者のみ復旧されたが、復旧時に荷物室が撤去され、乗務員扉が新設されて窓配置がd1D5D7D1と変わった[8]。これら9両が改番対象となって、クハユ290形・クハ420形・モハニ5470形の3形式に区分された。

クハニ1形・クハユ1形 改番一覧

クハユ1 - 2クハユ290 - 291
クハユ3デハ90[8]クハ422
クハユ4クハユ292
クハニ1(戦災)[6]
クハニ2 - 3クハユ295 - 296
クハニ4クハユ6(2代)クハユ294
クハニ5クハユ5クハユ293
クハニ6クハユ6デハニ1デハ87モハニ5470


後期普通車型

  • デハ5形(37 - 80)
  • デハ6形(81 - 86)
  • クハニ2形(7 - 31)

1928年 - 1929年にかけてデハ50両・クハニ25両の計75両が新製され、昭和2年 - 4年系の中核をなすグループである。本グループから2扉車体となり、窓配置がd2D10D3に変わった。正面は前項デハ4形に準じて正運転室側が非貫通、副運転室・連結面側が貫通構造となっている。デハ5形は副運転室を持たない片運転台車として竣工したが、1931年から全車副運転室を新設して両運転台化し、デハ7形と改称した。デハ6形は当初より両運転台車として竣工しており、両側の運転台ともに全室構造で[9]乗務員扉を両側に備え、トイレがないことが異なる。窓配置はd2D10D2d。クハニ2形はデハ5形に準じた車体を持つ合造車で、荷物室は連結面に設けられ、連結面寄りの窓2つ分がスペースであった。そのためトイレが後位側客用扉の直後に設けられていたのが特徴である。車内はデハ・クハニとも全車ロングシートに変更された。

デハ40は1933年に火災により車体を損傷し、両側とも全室運転台・非貫通構造の荷物車として復旧され、デニ1形(デニ1)と改称された。その際床下機器がデハ1形が電装解除した際発生したものに交換され、HL制御化されたため他車との併結は不可能になった。クハニ11は事故で被災し解体処分されたが、1939年に同車の復旧名義でクハ12形クハ1107が新製され、車籍は同車に受け継がれている。また、クハニ28 - 31は1938年に荷物室の撤去・電装・両運転台化を行いデハ105形(デハ105 - 108)と改称された。新設運転台側にも乗務員扉が設置されたため、デハ6形と同一の外観となったが、運転台が左側に設けられた点が異なる。電装に当たっては、他の電装化改造車と同じく日立製の電装品を搭載しているが、単行運転を意図したものか、主電動機は他よりも低出力なもの[10]を搭載している。その後、デハ56・60・85が戦災焼失したが、被害が軽微であったデハ85のみ復旧され、その際制御器・主電動機がデハ10系同等の機器に交換された。その他時期は不詳ながら、デハ39・51・79の3両も同様の機器交換が行われている。改番に際しては、前述のクハニ11及び戦災焼失した2両を除く72両が対象となり、モハ3210形・モハ3250形・モハ5420形・クハニ270形・モハ1400形・モニ1170形の6形式に区分された。

デハ5形(7形)・デハ6形・クハニ2形 改番一覧

デハ37 - 38モハ3210 - 3211
デハ39モハ5420
デハ40デニ1モニ1170
デハ41 - 50モハ3212 - 3221
デハ51モハ5421
デハ52 - 55モハ3222 - 3225
デハ56(戦災)[6]
デハ57 - 59モハ3226 - 3228
デハ60(戦災)[6]
デハ61 - 78モハ3229 - 3246
デハ79モハ5422
デハ80モハ3247
デハ81 - 82モハ3252 - 3253
デハ83モハ3254
デハ84モハ3250
デハ85モハ5423
デハ86モハ3251
クハニ7 - 10クハニ270 - 273
クハニ11(事故被災)
クハニ12 - 27クハニ274 - 287
クハニ28 - 31デハ105 - 108モハ1402 - 1405

後期合造車型

  • クハユ2形(5 - 10)
  • クハニ4形(32 - 34)

1928年にクハユ6両、1929年にクハニ3両の計9両が新製された。本グループは普通車型グループと異なり前期合造車型の車体構造を踏襲しているが、荷物室が縮小されたため窓配置がdB5D7D1と変わっている。全車片運転台車で、車内はセミクロスシートを装備する。

クハユ5 - 6は登場翌年の1929年にクハニ化され、クハニ3形と改称された。また、1932年にはクハニ3形2両とクハユ7(初代)が電装され、それぞれデハニ1形(デハニ2 - 3)・デハユ1形(デハユ1)と改称されている。その際クハユ10がクハユ7(2代)と改番し、欠番を埋めている。また、クハニ32 - 34も1932年に電装されてデハニ1形(デハニ4 - 6)に編入されたが、1934年にはデハニ2 - 6全車が荷物室を撤去され[7]、デハ8形(デハ88 - 92)と改称し、同時に制御器・主電動機をデハ10系同等の機器に交換された。これら電装された車両については副運転室を新設し両運転台化が行われている。本グループはデハ90が戦災で被災したものの復旧され[8]、全9両が改番対象となってクハユ290形・クハユ490形・モハニ5470形・モハユ3290形の4形式に区分された。

クハユ2形・クハニ4形 改番一覧

クハユ5 - 6クハニ5 - 6デハニ2 - 3デハ88 - 89モハニ5471 - 5472
クハユ7(初代)デハユ1モハユ3290
クハユ8 - 9クハユ298 - 299
クハユ10クハユ7(2代)クハユ297
クハニ32デハニ4デハ90クハユ3[8]クハユ490
クハニ33 - 34デハニ5 - 6デハ91 - 92モハニ5473 - 5474

大改番後の各形式概要

前述の通り、本系列は大改番によって複数の形式に区分されることとなった。また大改番以降、本系列を含めた「32xx形」「54xx形」と称する電動車各形式を総称して「3200系(32系)」「5400系(54系)」と呼ぶこともある。以下、形式毎に概要を述べる。

モハ3200形

  • モハ3200 - 3201

デハ4形中、事故や戦災に遭わず戦後を迎えた2両が本形式となった。いずれも最初期車に相当する車両で、両側とも貫通構造であり、正運転室の運転台が左側であること等の特徴はそのまま残っている。

モハ3210形

  • モハ3210 - 3247

デハ7形中、97kw主電動機搭載車で、事故や戦災に遭わず戦後を迎えた38両が本形式となった。本系列中最多両数を擁する。

モハ3250形

  • モハ3250 - 3254

元デハ6形で、戦災に遭った1両を除く全車が本形式となった。3210形との相違点はデハ6形・デハ7形当時のそれに準じる。

モハニ3270形

  • モハニ3270 - 3282

元デハニ4形で、戦災に遭った1両を除く全車が本形式となった。モハニ3277は元デハニ29で、事故復旧時に乗務員扉が新設された異端車である。

モハニ3290形

  • モハニ3290

元デハユ1形。1形式1両のみ。

モハ5400形

  • モハ5400 - 5401

元デハ8形中、クハ3形を電装の上編入したグループに属する2両が本形式となった。いずれも最初期車に相当する車両であり、車体関係の特徴はモハ3200形に準じる。

モハ5420形

  • モハ5420 - 5423

デハ7形中、110kw主電動機を搭載する4両が本形式となった。車体はモハ3210形と同一である。

モハ5430形

  • モハ5430

元デハ4形デハ36。事故で焼損した車体を叩き直して復旧させたもので、1形式1両のみ。片運転台車で左右両側に乗務員扉を持つ。

モハニ5470形

  • モハニ5470 - 5474

元デハ8形。モハ5470は旧クハニ1形(前期合造車型)、その他の4両は旧クハニ4形(後期合造車型)に属するため、両者で窓配置が異なる。大改番に際して、いずれも客室化されていた荷物室を復活させた上で本形式に統合されたが、モハ5470は1951年に荷物室を郵便室化し、モハユ5490形(モハユ5490)に改称された。

モハ1400形

  • モハ1402 - 1405

元デハ105形。なお、番号が1402から付けられているのは、元デハ101形が大改番に際して本形式に統合され、モハ1400 - 1401を名乗っていたためである。

モニ1170形

  • モニ1170

元デニ1形。1形式1両のみ。

クハニ270形

  • クハニ270 - 289

元クハニ2形。事故や改造により離脱した車両を除く20両が本形式となった。

クハユ290形

  • クハユ290 - 299

元クハニ1形・クハユ1形(前期合造車型)・クハユ2形(後期合造車型)。クハユ297 - 299が後期合造車型に属する他は前期合造車型に属する。大改番に際しては全車郵便車化された上で本形式に統合された。

クハ420形

  • クハ422

元クハユ1形クハユ3で、戦災で焼損した車体を叩き直して復旧させたもの。なお、番号が422と中途半端であるのは、元デハ101形中、戦災復旧車が大改番に際して本形式に統合され、クハ420 - 421を名乗っていたためである。

クハユ490形

  • クハユ490

元デハ8形デハ90で、クハ420形と同じく戦災復旧車である。復旧の際に電装解除され、大改番に際しては客室化されていた旧荷物室を郵便室として復活させている。

大改番以後の変遷

浅草工場火災による廃車及び代替改造

1951年に発生した浅草工場の火災により6両が廃車となったが、本系列は以下の5両が被災している[11]

  • モハニ3272
  • モハニ5472
  • モハ1404
  • クハニ272
  • クハユ291

同年にこれらの代替車としてクハ550形が新製されたが、両運転台車であったモハ1404の穴埋めとして、クハニ289が荷物室の撤去・電装・両運転台化を施工されてモハ1406と改番、モハ1400形に編入されている。

事故復旧等による車体新製・修繕

事故で車体を破損した、もしくは被災復旧車のうち車体の状態が悪かったものについては車体新製による復旧が施工された車両が存在する。また、修繕工事によって復旧した車両についても形態に変化が生じた車両が存在する。以下、当該車両毎に詳細を述べる。

  • モハ3201

1952年に越生線坂戸町(現・坂戸)付近の踏切で自動車と衝突し全焼したため、日車東京で車体新製により復旧された。床下機器は種車のものを流用しているが、新車体はクハ500形を3扉化したような[12]原形とは似ても似付かないもので、本系列中随一の異端車となった。但し、新しい時期の新製にも関わらず運転台が右側に設けられ、反対側にも右側片隅式運転室が設けられている等、本系列としての特徴を併せ持った仕様とされている。

  • モハ5430

デハ36当時の1947年、川越で事故を起こして全焼し、翌年汽車で車体叩き直しによる復旧が施工されていたものだが、車体の傷みが激しくなったことから1959年に津覇車輌で車体を新製し載せ替えられた。新車体は上記モハ3201とは異なり、各部寸法を含めてほぼ原形通りの仕様とされたが、ノーリベット構造で正面にも貫通扉が設けられ、車体裾の切れ込みも無くなった。

  • モハ5421
  • クハユ290

1959年に太田付近で発生した脱線転覆事故で被災したため、2両とも津覇車輌で車体新製により復旧された。各部寸法を含めてほぼ原形通りの仕様ながら、ノーリベット構造、正面貫通扉設置、車体裾の切れ込み省略等の特徴は前記モハ5430に準じる。

  • モハ1406

1960年に衝突事故を起こし、非貫通側の正面を大破した。復旧に際しては破損した運転台を完全撤去して客室化し、片運転台車となった。

モハニ・クハニの荷物室撤去

戦後、自動車の急激な普及に伴い小手荷物輸送がトラック便に押され、鉄道における荷物輸送の需要減少が全国的に顕在化しつつあった。東武鉄道においてもその例外ではなく、多くの荷物・郵便車両を必要としなくなったことから、1955年 - 1956年にかけて荷物室容積の小さい車両を対象に荷物室を撤去して普通車化する工事が順次施工された。クハニ270形についてはトイレを車端部に移設する工事を同時に施工している。

  • モハニ3277 → モハ3206
  • クハニ270 - 271・273-288 → クハ250 - 267

この改造によってクハニ270形は全車クハ250形に改称され、形式消滅した。

日光線準急列車向け改造

特急列車以外の日光方面への優等列車としては5700系・5320系等、長距離列車としての体裁が整えられた車両が使用されていたが、準急列車には雑多な従来車が使用されており、中でも本系列はトイレ設備のある車両が多数存在していたこともあって当運用に多く充当されていた。しかし、新製当初から何ら手を加えられていない古色蒼然とした接客設備が不評を招き、有名観光地へのアクセス車両としてはみすぼらしい感が否めなかった。そのため1955年 - 1956年にかけて、本系列からモハ3210形・クハ250形各6両を選び、アコモ改善工事が施工されている。改造項目を以下に記す。

  • モハの副運転台及びトイレを撤去し、2両固定編成化
  • 連結面に貫通幌を新設
  • 正面の貫通構造化及び運転台の左側移設
  • ベンチレータをおわん型からガーランド型に交換
  • 側面客用扉のステップ廃止
  • 車内のセミクロスシート化及び照明の蛍光灯化
  • 放送装置の新設

改造を受けた12両は以下の通り。

  • モハ3230-クハ257
  • モハ3231-クハ256
  • モハ3232-クハ255
  • モハ3233-クハ254
  • モハ3235-クハ259
  • モハ3236-クハ258

これらは車体を下半分ライトブルー、上半分クリームに塗り替えられて面目を一新し、日光線系統の長距離列車に優先的に充当されていた。

モハ1400形の荷電化改造

後述の更新工事進捗に伴い荷物車及び郵便車の不足が懸念されたことと、将来的な旅客列車の荷扱廃止・客貨分離を目的として、1964年 - 1965年にかけて1400形の荷電への改造が施工された。なお、前述モハ1406については改造時に再び両運転台化されている。

  • モハ1402 → モユニ1491
  • モハ1403 → モニ1473
  • モハ1405 → モニ1474
  • モハ1406 → モニ1475

上記のようにモハ1400形は全車[13]モニ1470形及びモユニ1490形に改造・改称されて形式消滅した。また、これら荷物専用車両が登場したことで従来合造車の荷物室は不要となり、順次それらの撤去が施工された。改造後の窓配置はモハがd1D6D7D1であるのに対してクハはdD7D7D1と若干異なる。また、前述のように既に更新工事の施工が開始されていた時期であるため、合造車のまま更新された車両も存在する。

  • モハニ5471・5473 - 5474 → モハ5471・5473 - 5474
  • モハユ5490 → モハ5490
  • クハユ297 - 298 → クハ411 - 412

同時に主幹制御器が交換されたためクハユ290形から改称されて新形式を与えられたクハ410形以外は、改造後も原番号をそのまま踏襲している。

その他改造

その他、順次副運転室の撤去・片運転台化(全車)、正運転室側正面に貫通扉を設置の上運転台を左側に移設(一部のみ)、乗務員扉新設、副運転室側のパンタグラフ撤去、トイレの撤去、車内ロングシート化、塗装変更[14]等が施工されたが、全車統一された内容で施工されたのではないため、後年その形態は多種多彩を極めていた。また、後述更新時期が遅れた車両については保安装置の取り付けが施工されたが、その際運転室の機器撤去が行われて事実上中間車となった車両も存在した。なお、本系列で前照灯のシールドビーム2灯化を施工された車両はない[15]

晩年

長年東武本線(伊勢崎線・日光線)・東上線系統の主力として活躍した本系列であったが、その後の新型車と比較すると徐々に見劣りする存在になりつつあった。特に観光客に荷物電車と間違えられることすらあったという鈍重な外観や接客設備の著しい陳腐化は隠しようもなく、サービス向上のための対策が急務であった。そのため、1964年より本系列の主要機器を流用し、2000系類似の18m級車体を新製して載せ替える更新が開始された。97kw主電動機及びデッカー型制御器を搭載する車両(32系)については3000系に更新され、1971年に完了した。同年からは110kw主電動機及び日立製制御器を搭載する車両(54系)についても3050系への更新が開始され、1972年に全車更新を完了している。なお、3000系への更新対象車は133両[16]であり、MT単位で編成するとT車が1両不足するため、モニ1170を名義上の種車として不足分を補っている[17]

不要となった旧車体については大半が解体処分されたが、そのうち2両分の車体を流用して救援車クエ7000形が誕生している。

クエ7000形

上記更新で不要となったモハ3210形モハ3240・モハ3244の車体を流用し、予備品のTR11型台車[18]と組み合わせて誕生した。概ね原形を保っているものの、復旧用クレーンや機材を搭載するため車体中央を無蓋化しているのが特徴である。それら機材用電源確保のためパンタグラフ及び電動発電機を搭載しているが、当然自走は不可能であるため、救援出動や移動の際は5700系・7800系等自動空気ブレーキを装備した車両との連結が必要であった。

  • 旧モハ3244 → クエ7001
  • 旧モハ3240 → クエ7002

本線と東上線に1両ずつ配備されたが、幸いほとんど使用されることもなく、晩年は資材置き場として使われていた。7002は1978年に、7001は1986年にそれぞれ廃車となり、しばらく留置された後解体された。

脚注

  1. ^ a b 昭和2年 - 3年製造の汽車製車両のみ側面の切り込みがないという特徴がある。
  2. ^ 車体裾部から台枠を露出させた設計は一部の例外を除いて戦後まで受け継がれることとなった。設計の制約が厳しい運輸省規格型車両である5300系までもがこのスタイルで登場していることからも東武の拘りが見て取れる。
  3. ^ 端子電圧750V時定格出力97kw。
  4. ^ 最初期に落成した4両のみ全室式運転室側も貫通構造で、運転台位置は副運転台と異なり左側であった。
  5. ^ 制御器は日立製MCH200D、主電動機は日立製HS266型。端子電圧750V時定格出力110kw。
  6. ^ a b c d e 戦後、復旧名義でクハ430形が新製されている。
  7. ^ a b 荷物室を存置したまま同スペースにロングシートを設置、荷物専用扉を締め切りとし客室スペース化したもので、外観上変化はなかった。
  8. ^ a b c d クハユ3とデハ90はいずれも汽車で復旧工事が施工されたが、メーカー側の手違いで出場時に両者の番号が入れ替わってしまった。これはデハ90が荷物室を存置したまま復旧させたのに対し、クハユ3は復旧時に荷物室を撤去されたことによる錯誤が原因と思われる。なお、片方の車両の記号はデハであったものの、復旧後の現車はいずれも制御車であった。
  9. ^ 但し片側の運転台は従前通り貫通構造である。
  10. ^ 日立製HS254型。端子電圧750V時定格出力75kw。
  11. ^ もう1両はクハ430形クハ434。
  12. ^ 窓配置はd1D4D4D1d(反対側はd1D4D4D2)で、側面の見付は5300系に酷似したものであった。
  13. ^ 同時期に元デハ101形のモハ1400 - 1401も荷電化改造を受け、モニ1471 - 1472と改番している。
  14. ^ 茶色一色塗り、もしくは下半分ライトブルーに上半分クリームからベージュ地に裾部と窓周りがオレンジの一般色に塗り替えられた。
  15. ^ モニ1470形のみ後年施工された。
  16. ^ 本系列を含めた、3000系への更新対象車の総数。
  17. ^ 更新後の台車は予備品のTR11型を使用しており、種車のブリル27MCB型とは一致しない。但し空制関連の部品は流用された可能性がある。
  18. ^ 54系更新に関連して1971年に台車を供出し、以降はKS33型台車を装備していた。