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フース・ヒディンク

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フース・ヒディンク
名前
ラテン文字 Guus Hiddink
基本情報
国籍 オランダの旗 オランダ
生年月日 (1946-11-08) 1946年11月8日(77歳)
出身地 ヘルダーラント州
選手情報
ポジション MF
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

フース・ヒディンク(Guus Hiddink、1946年11月8日 - )は、オランダヘルダーラント州オウデ・アイセルストレーク出身のサッカー指導者、元サッカー選手。現ロシア代表監督。現代サッカー界屈指の名監督として知られる。

人物

現役時代はデ・フラーフスハップPSVアイントホーフェンNECナイメヘンでプレーし、特にデ・フラーフスハップでは中盤の要としてチーム初のエールディビジ昇格に貢献、地元サポーターから最も信頼を集める選手だった。

1982年に現役引退し、その後、指導者としてのキャリアをスタートさせた。オランダ代表監督、韓国代表監督として1998年フランスW杯では母国オランダを、2002年日韓W杯では開催国の韓国をベスト4に導いた。2002年から2006年の間、PSVの監督を務めたが、2005年7月からはオーストラリア代表監督を兼任。大陸間プレーオフでウルグアイを破って、オーストラリアは32年ぶりにW杯出場を果たし、ベスト16にまで導いた。その後、PSVの監督を退任し、ロシア代表監督に就任し、EURO2008の予選では最終節でイングランドを逆転して本大会出場に導いた。また、決勝トーナメントにおいては全チーム中最も優秀な成績で予選突破したオランダを3-1で降し、ロシア代表を20年ぶりに準決勝まで導いている。

韓国でのW杯ベスト4進出や、欧州の中では決して強豪とはいえないPSVを率いてのUEFAチャンピオンズリーグ優勝(87-88シーズン)、ベスト4進出(04-05シーズン)、オーストラリア代表でのW杯出場権獲得とベスト16進出など、比較的戦力の劣るチームを躍進させた手腕と、スペイン、韓国、オーストラリア、ロシアといった言語も文化も人種も違う国に溶け込みチームをまとめる手腕は「ヒディンク・マジック」と呼ばれ、高く評価された。しかし、リーガ・エスパニョーラでの監督時代(レアル・マドリード、レアル・ベティス)は、目立った成績を残すことはできなかった。特にレアル・ベティス時代は敗戦を重ね、チームは2部に降格、彼も解任の憂き目に会っている。

彼の采配は、オランダ・サッカーのトータル・フットボールの系脈を継ぎ、徹底したゾーンプレス、両サイドをワイドに使った攻撃、状況に応じては即座に守備を固める柔軟性の守備などの両立を軸にしている。この戦術は無尽蔵なスタミナ、圧倒的なフィジカルの強さ、選手間の完璧な意思疎通が必要となる。

スキャンダル

自身の韓国代表監督時の広告収入や印税を過少申告し、またアイントホーフェン監督時に、ベルギーに自宅を購入したことを伏せてベルギーに住んでいるように見せ掛けてオランダ当局への税金を逃れるなどして2億円以上の脱税を行った容疑でオランダ検察から起訴され、日本時間2007年2月28日、罰金約4万5000ユーロ(710万)と禁錮刑執行猶予)の有罪判決が下った。

選手経歴

指導者経歴

著書

  • 『ヒディンク自伝―韓国を変えた男』文藝春秋(2003年)