五足の靴
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五足の靴(ごそくのくつ)は、与謝野鉄幹が、まだ学生の身分だった木下杢太郎、北原白秋、平野万里、吉井勇の4人を連れて九州に旅した記録、紀行文で、1907年に発表された。
執筆の経緯・旅程
5名は1907年7月下旬から8月末にかけて、九州を中心に各地を旅行し、旅行記は同年8月7日から9月10日にかけて、『東京二六新聞』紙上に連載された。
5名の旅程は以下の通りである。
- 厳島
- 赤間が関(下関市)
- 福岡 一行を迎えて福岡文学会開催。海の中道見物。
- 柳川 一行、北原白秋の実家に逗留。
- 佐賀
- 唐津 虹の松原見物。
- 佐世保
- 平戸
- 長崎
- 富岡(熊本県苓北町)
- 大江村(熊本県天草市) 明治から昭和初期にかけて天草諸島のカトリック布教に尽力したフランス人宣教師ガルニエ(文中では、地元信者の呼び方にしたがって「パアテルさん」と記)に会う。
- 三角(熊本県宇城市)
- 島原
- 有馬城(原城、長崎県南島原市)
- 長洲
- 熊本
- 阿蘇山
- 三池炭鉱
- 柳川(再)
- 徳山 - 与謝野鉄幹は若い頃、ここの女学校で教師をしていたことがある。
- 京都
影響
本作品の筆者のうち、北原白秋は詩集『邪宗門』、木下杢太郎は戯曲『南蛮寺門前』と、紀行を通じて得た着想を発展させた作品を発表した。また本作品の発表を機に、広く明治末年~大正期の文壇に「南蛮趣味」の流行をもたらした。芥川龍之介のキリシタンをテーマにした作品群もその例である。それまでの専門的な研究者を越えた幅広い層に「南蛮文化」「キリシタン」を日本(特に九州)の重要な文化遺産として「再発見」させる契機となったという意味で、小品ながら本作品が後世に果たした役割は大きいといえる。
参考文献
- 浜名志松編『五足の靴と熊本・天草』国書刊行会、1983年。
- 小野友道編『木下杢太郎と熊本 「五足の靴」天草を訪ねる』熊本日日新聞情報文化センター、2003年。