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五足の靴

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五足の靴(ごそくのくつ)は、与謝野鉄幹が、まだ学生の身分だった木下杢太郎北原白秋平野万里吉井勇の4人を連れて九州に旅した記録、紀行文で、1907年に発表された。

執筆の経緯・旅程

5名は1907年7月下旬から8月末にかけて、九州を中心に各地を旅行し、旅行記は同年8月7日から9月10日にかけて、『東京二六新聞』紙上に連載された。

5名の旅程は以下の通りである。

影響

本作品の筆者のうち、北原白秋は詩集『邪宗門』、木下杢太郎は戯曲『南蛮寺門前』と、紀行を通じて得た着想を発展させた作品を発表した。また本作品の発表を機に、広く明治末年~大正期の文壇に「南蛮趣味」の流行をもたらした。芥川龍之介のキリシタンをテーマにした作品群もその例である。それまでの専門的な研究者を越えた幅広い層に「南蛮文化」「キリシタン」を日本(特に九州)の重要な文化遺産として「再発見」させる契機となったという意味で、小品ながら本作品が後世に果たした役割は大きいといえる。

参考文献

  • 浜名志松編『五足の靴と熊本・天草』国書刊行会、1983年。
  • 小野友道編『木下杢太郎と熊本 「五足の靴」天草を訪ねる』熊本日日新聞情報文化センター、2003年。

外部リンク