コンテンツにスキップ

堀直利

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

2024年8月24日 (土) 11:05; 郊外生活 (会話 | 投稿記録) による版 (Reverted 1 edit by 2401:4900:5D18:1CDD:39B6:2F15:2AE8:EB85 (talk): 荒らしの差し戻し (TwinkleGlobal))(日時は個人設定で未設定ならUTC

(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)
 
堀 直利
時代 江戸時代中期
生誕 明暦4年1月11日1658年2月13日[1]
死没 享保元年7月10日1716年8月26日
官位 従五位下左京亮丹後守
幕府 江戸幕府
主君 徳川家綱綱吉家宣
越後村松藩
氏族 堀氏
父母 父:堀直吉、母:堀直次の娘
兄弟 直利、直明、片岡利雄
正室:戸田光永の娘
直道直為直英忠刻成瀬正幸正室、福原資祇正室
テンプレートを表示

堀 直利(ほり なおとし)は、越後村松藩の第3代藩主。直寄系支流堀家3代。官位は従五位下、左京亮丹後守。

経歴

[編集]

延宝4年(1676年)、父の死去により家督を相続した。宝永2年(1705年)、奏者番寺社奉行に就任した。正徳元年(1711年)、廃嫡した長男・直道に代わって世子となっていた次男・直為に家督を譲り隠居した。享保元年(1716年)に死去した。

系譜

[編集]

父母

正室

子女

脚注

[編集]
  1. ^ 堀直利』 - コトバンク