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* 海事彙報社編『海事要覧』海事彙報社、1936年。 |
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* 商業興信所編『日本全国銀行会社録 第47回』商業興信所、1939年。 |
* 商業興信所編『日本全国銀行会社録 第47回』商業興信所、1939年。 |
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* 商業興信所編『商工資産信用録 第43』商業興信所、1941 - 1943年。 |
* 商業興信所編『商工資産信用録 第43』商業興信所、1941 - 1943年。 |
2023年2月1日 (水) 12:21時点における版
岩田 熊吉(いわた くまきち、1884年(明治17年)2月14日[1][2] - 没年不明)は、日本の実業家。錦隆汽船、岩田海運各社長[1]。合資会社岩田商店代表社員[1][2]。
人物
鳥取県西伯郡境町に生まれる[1][2]。秀吉の三男[1][3]、あるいは直次郎の二男[2]。1898年に境町の海運業岡田回漕店に入り、1914年に同店を辞し、神戸の岡田信吉朗の後援により現地に独立開業する[2]。海運業並びに石炭商を営む[3]。1935年に合資会社に組織変更、その代表社員に就任する[2]。会社の重役である[3]。
『商工資産信用録 第43回』によると、岩田熊吉(調査年月・1942年3月)は「正身身代・Gd、年扱高又は年収・N、信用程度・CA、職業・石炭、海運、店舗又は住所・若松、東新」である[4]。趣味は園芸、読書[3]。
宗教は禅宗[1][2][3]。趣味は読書[2]。住所は福岡県若松市山手通[1]、修多羅[3](現・北九州市若松区修多羅)。
家族
- 岩田家
脚注
- ^ a b c d e f g h i j 『大衆人事録 第14版 近畿・中国・四国・九州篇』福岡9頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年9月30日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j 『海事要覧』第三編 海事興信録9頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年2月1日閲覧。
- ^ a b c d e f 『人事興信録 第14版 上』イ265頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年9月30日閲覧。
- ^ 『商工資産信用録 第43回』福岡県9頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年9月30日閲覧。
- ^ 『日本全国銀行会社録 第47回』鳥取県 下編274頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年9月30日閲覧。
参考文献
- 海事彙報社編『海事要覧』海事彙報社、1936年。
- 商業興信所編『日本全国銀行会社録 第47回』商業興信所、1939年。
- 商業興信所編『商工資産信用録 第43』商業興信所、1941 - 1943年。
- 人事興信所編『人事興信録 第14版 上』人事興信所、1943年。
- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第14版 近畿・中国・四国・九州篇』帝国秘密探偵社、1943年。