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[[1993年]]5月、'''ジミー・デル・レイ'''(''Jimmy Del Ray'')と改名して、[[ジム・コルネット]]が主宰していたスモーキー・マウンテン・レスリングに参戦。[[スタン・レーン]]に代わる[[トム・プリチャード]]のパートナーとして、コルネットがマネージメントする[[ヒール (プロレス)|ヒール]]の[[タッグチーム]]、'''ヘブンリー・ボディーズ'''(''The Heavenly Bodies'')に加入。SMWタッグ王者チームの[[ロックンロール・エクスプレス]]と抗争を繰り広げ、シングルでは8月16日に[[リッキー・モートン]]からTV王座を奪取<ref name="smw-tv"/>。9月13日に[[ロバート・ギブソン (プロレスラー)|ロバート・ギブソン]]に奪回されるも、11月24日にモートン&ギブソンを破ってSMWタッグ王座を獲得<ref name="smw-t"/>。以降、[[1994年]]4月1日に陥落するまで、ロックンロール・エクスプレスと王座を争った<ref name="smw-t"/>。
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その間、当時SMWと提携していた[[WWE|WWF]]にも出場。1993年8月30日の[[サマースラム#第6回大会(1993年)WWF Summer Slam 1993|サマースラム1993]]では[[スタイナー・ブラザーズ]]([[リック・スタイナー]]&[[スコット・スタイナー]])の保持する[[WWE・世界タッグチーム王座|WWF世界タッグ王座]]に挑戦した<ref name="oww">{{cite web|url=https://www.onlineworldofwrestling.com/profile/jimmy-del-ray/|title=Jimmy Del Ray|accessdate=2022-09-12|publisher=Online World of Wrestling}}</ref>。1994年3月20日に[[ニューヨーク]]の[[マディソン・スクエア・ガーデン]]で行われた[[レッスルマニアX]]では、[[ダーク・マッチ]]において[[ザ・ブッシュワッカーズ]] ([[ブッチ・ミラー]]&[[ルーク・ウィリアムス]]) から勝利を収めている<ref name="oww"/>。5月には[[全日本プロレス]]に来日して、[[アブドーラ・ザ・ブッチャー]]&[[ジャイアント・キマラ|ジャイアント・キマラ2号]]などのチームと対戦した<ref>{{cite web|url=https://www.wrestlingdata.com/index.php?befehl=bios&wrestler=820&bild=0&details=7&liga=14&jahr=1994|title=The AJPW matches fought by Jimmy Del Ray in 1994|accessdate=2022-09-12|publisher=Wrestlingdata.com}}</ref>。同年下期よりWWFに定着し、11月23日の[[サバイバー・シリーズ#第8回大会(1994年)WWF Survivor Series 1994|サバイバー・シリーズ1994]]では、[[テッド・デビアス]]率いるミリオンダラー・コーポレーションの[[キングコング・バンディ]]、[[タタンカ]]、[[バンバン・ビガロ]]とのクインテットで、[[レックス・ルガー]]、[[ネルソン・フレイジャー・ジュニア|メイブル]]、[[ブライアン・クラーク|アダム・ボム]]、[[モンティ・ソップ|ビリー・ガン]]、[[マイク・ポルクロペック|バート・ガン]]のチームと対戦した<ref name="oww"/>。
その間、当時SMWと提携していた[[WWE|WWF]]にも出場。1993年8月30日の[[サマースラム#第6回大会(1993年)WWF Summer Slam 1993|サマースラム1993]]では[[スタイナー・ブラザーズ]]([[リック・スタイナー]]&[[スコット・スタイナー]])の保持する[[WWE・世界タッグチーム王座|WWF世界タッグ王座]]に挑戦した<ref name="oww">{{cite web|url=https://www.onlineworldofwrestling.com/profile/jimmy-del-ray/|title=Jimmy Del Ray|accessdate=2022-09-12|publisher=Online World of Wrestling}}</ref>。1994年3月20日に[[ニューヨーク]]の[[マディソン・スクエア・ガーデン]]で行われた[[レッスルマニアX]]では、[[ダーク・マッチ]]において[[ザ・ブッシュワッカーズ]] ([[ブッチ・ミラー]]&[[ルーク・ウィリアムス]]) から勝利を収めている<ref name="oww"/>。5月には[[全日本プロレス]]に来日して、[[アブドーラ・ザ・ブッチャー]]&[[ジャイアント・キマラ|ジャイアント・キマラ2号]]などのチームと対戦した<ref>{{cite web|url=https://www.wrestlingdata.com/index.php?befehl=bios&wrestler=820&bild=0&details=7&liga=14&jahr=1994|title=The AJPW matches fought by Jimmy Del Ray in 1994|accessdate=2022-09-12|publisher=Wrestlingdata.com}}</ref>。同年下期よりWWFに定着し、11月23日の[[サバイバー・シリーズ#第8回大会(1994年)WWF Survivor Series 1994|サバイバー・シリーズ1994]]では、[[テッド・デビアス]]率いるミリオンダラー・コーポレーションの[[キングコング・バンディ]]、[[クリス・チェイヴィス|タタンカ]]、[[バンバン・ビガロ]]とのクインテットで、[[レックス・ルガー]]、[[ネルソン・フレイジャー・ジュニア|メイブル]]、[[ブライアン・クラーク|アダム・ボム]]、[[モンティ・ソップ|ビリー・ガン]]、[[マイク・ポルクロペック|バート・ガン]]のチームと対戦した<ref name="oww"/>。


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2022年9月13日 (火) 10:08時点における版

ジミー・デル・レイ
ジミー・デル・レイの画像
プロフィール
リングネーム ジミー・デル・レイ
ジミー・バックランド
ジミー・リッチランド
ジミー・グラフィティ
ジミー・ランドルフ
Jumo Kenya
本名 デビッド・フェリアー
ニックネーム ジゴロ
身長 178cm[1]
体重 100kg[1] - 104kg[2]
誕生日 (1962-11-30) 1962年11月30日[2]
死亡日 (2014-12-06) 2014年12月6日(52歳没)[2]
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ペンシルベニア州の旗 ペンシルベニア州
マーサー郡グローブシティ[1]
デビュー 1983年[1]
引退 1997年[1]
テンプレートを表示

"ジゴロ" ジミー・デル・レイ"Gigolo" Jimmy Del Ray、本名:David Everett Ferrier1962年11月30日 - 2014年12月6日)は、アメリカ合衆国プロレスラー[2]ペンシルベニア州グローブシティ出身[1]

試合巧者の職人レスラーとして、FMWからWWEまで、インディーズとメジャーを問わず各団体で活躍した[2]

来歴

ジミー・バックランド

1983年のデビュー後、ジョージアGCWアラバマCCWルイジアナUWFなど、南部の各テリトリーを転戦[2]ジミー・ランドルフJimmy Randolph)またはジミー・バックランドJimmy Backlund)をリングネームに、前座試合やTVテーピングのジョブ・ボーイとしてキャリアを積む[2]

1988年より、マイク・グラハムが主宰していたフロリダFCW(PWF)に参戦。バズ・ソイヤーの弟であるブレット・ソイヤー英語版をパートナーに、ザ・プレイボーイズThe Playboys)なるタッグチームを結成して、1989年7月にNWAフロリダ・タッグ王座の後継タイトルとなるPWFタッグ王座を獲得[3]ジェリー・サッグス&ブライアン・ノッブスナスティ・ボーイズとも抗争を展開した[4]

1989年10月、FMWの旗揚げ興行に「AWA世界ライトヘビー級王者」として初来日。以降、FMWの外国人ベビーフェイスとなって人気を博し、1990年3月の再来日からは大仁田厚とも共闘。ミスター・ポーゴザ・グラジエーターターザン後藤らとデスマッチを繰り広げた[5]。王者として認定されていたAWA世界ライトヘビー級王座は、1990年4月1日に李玉秀に明け渡すも、11月5日に駒沢オリンピック公園総合運動場体育館において上田勝次英語版を下して返り咲く[5]。以降、1991年5月29日にリッキー・フジに敗れるまで戴冠した[6]

1992年6月、W★INGプロモーションに来日。W★ING認定世界ジュニアヘビー級王座の決定リーグ戦に出場し、12日の千葉公園体育館における優勝戦でビル・ダンディーを破り初代王者となった[7]。同年11月の再来日時にはジプシー・ジョーとのエキシビションマッチが組まれ、ケビン・サリバンともシングルマッチで対戦している[8]

ヘブンリー・ボディーズ

1993年5月、ジミー・デル・レイJimmy Del Ray)と改名して、ジム・コルネットが主宰していたスモーキー・マウンテン・レスリングに参戦。スタン・レーンに代わるトム・プリチャードのパートナーとして、コルネットがマネージメントするヒールタッグチームヘブンリー・ボディーズThe Heavenly Bodies)に加入。SMWタッグ王者チームのロックンロール・エクスプレスと抗争を繰り広げ、シングルでは8月16日にリッキー・モートンからTV王座を奪取[9]。9月13日にロバート・ギブソンに奪回されるも、11月24日にモートン&ギブソンを破ってSMWタッグ王座を獲得[10]。以降、1994年4月1日に陥落するまで、ロックンロール・エクスプレスと王座を争った[10]

その間、当時SMWと提携していたWWFにも出場。1993年8月30日のサマースラム1993ではスタイナー・ブラザーズリック・スタイナー&スコット・スタイナー)の保持するWWF世界タッグ王座に挑戦した[11]。1994年3月20日にニューヨークマディソン・スクエア・ガーデンで行われたレッスルマニアXでは、ダーク・マッチにおいてザ・ブッシュワッカーズ (ブッチ・ミラー&ルーク・ウィリアムス) から勝利を収めている[11]。5月には全日本プロレスに来日して、アブドーラ・ザ・ブッチャー&ジャイアント・キマラ2号などのチームと対戦した[12]。同年下期よりWWFに定着し、11月23日のサバイバー・シリーズ1994では、テッド・デビアス率いるミリオンダラー・コーポレーションのキングコング・バンディタタンカバンバン・ビガロとのクインテットで、レックス・ルガーメイブルアダム・ボムビリー・ガンバート・ガンのチームと対戦した[11]

1995年1月22日には、ロイヤルランブル1995ランブルマッチに出場[11]。シングルでは、当時のWWEを象徴するスーパースターだったブレット・ハートショーン・マイケルズとも対戦した[13]。同年8月からは、SMWと同じくWWFの提携団体だったテネシー州メンフィスUSWAに参戦、8月7日にJ・C・アイス&ウルフィー・DのPG-13からUSWA世界タッグ王座を奪取している[14]。12月9日にはECWPPV大会 "December to Dismember" にも出場した[15]。しかし、SMWの活動停止に伴い、同月にヘブンリー・ボディーズは解散。プリチャードはWWFに戻ったが、デル・レイはシングルプレイヤーとしてECWに残留した[11]

キャリア晩年

ECWではミスター・ヒューズボディーガードに従え、1996年1月5日のイベント "House Party" ではババ・レイ・ダッドリーと対戦[16]。1月26日には、FMWでは邂逅することのなかったサブゥーとも対戦した[17]

ECW離脱後、NWAニュージャージーなどのインディー団体を経て、10月よりジミー・グラフィティJimmy Graffitti)と名乗ってWCWに登場。クルーザー級のヒールとして、ディーン・マレンコクリス・ジェリコレイ・ミステリオ・ジュニアエディ・ゲレロビリー・キッドマンボビー・イートンなどと対戦[18]。12月9日放送の『マンデー・ナイトロ』では、マレンコの保持していたWCW世界クルーザー級王座に挑戦した[19]

1997年に膝の負傷で引退してからは、スティーブ・カーンがフロリダで開校していたレスリング・スクールのインストラクターを務めていた[11]

2014年12月6日心筋梗塞により52歳で死去[20]

獲得タイトル

プロフェッショナル・レスリング・フェデレーション
フロンティア・マーシャルアーツ・レスリング
W★INGプロモーション
スモーキー・マウンテン・レスリング
ユナイテッド・ステーツ・レスリング・アソシエーション
  • USWA世界タッグ王座:1回(w / トム・プリチャード)[14]
ペンシルベニア・チャンピオンシップ・レスリング
  • PCWタッグ王座:1回(w / トム・プリチャード)[11]

脚注

  1. ^ a b c d e f Jimmy Del Ray”. Cagematch.net. 2022年9月12日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g Jimmy Del Ray”. Wrestlingdata.com. 2022年9月12日閲覧。
  3. ^ a b NWA Florida Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2022年9月12日閲覧。
  4. ^ The PWF matches fought by Jimmy Del Ray in 1989”. Wrestlingdata.com. 2022年9月12日閲覧。
  5. ^ a b The FMW matches fought by Jimmy Del Ray in 1990”. Wrestlingdata.com. 2022年9月12日閲覧。
  6. ^ a b AWA World Light Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2022年9月12日閲覧。
  7. ^ a b W★ING World Junior Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2022年9月12日閲覧。
  8. ^ The W★ING matches fought by Jimmy Del Ray in 1992”. Wrestlingdata.com. 2022年9月12日閲覧。
  9. ^ a b SMW "Beat the Champ" Television Title”. Wrestling-Titles.com. 2022年9月12日閲覧。
  10. ^ a b c SMW Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2022年9月12日閲覧。
  11. ^ a b c d e f g Jimmy Del Ray”. Online World of Wrestling. 2022年9月12日閲覧。
  12. ^ The AJPW matches fought by Jimmy Del Ray in 1994”. Wrestlingdata.com. 2022年9月12日閲覧。
  13. ^ The WWE matches fought by Jimmy Del Ray in 1995”. Wrestlingdata.com. 2022年9月12日閲覧。
  14. ^ a b USWA World Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2022年9月12日閲覧。
  15. ^ ECW December To Dismember”. Cagematch.net. 2022年9月12日閲覧。
  16. ^ ECW House Party”. Cagematch.net. 2022年9月12日閲覧。
  17. ^ The ECW matches fought by Jimmy Del Ray in 1996”. Wrestlingdata.com. 2022年9月12日閲覧。
  18. ^ The WCW matches fought by Jimmy Del Ray in 1996”. Wrestlingdata.com. 2022年9月12日閲覧。
  19. ^ WCW Monday NITRO #65”. Cagematch.net. 2022年9月12日閲覧。
  20. ^ Jimmy Del Ray passes away”. Online World of Wrestling (2014年12月7日). 2022年9月12日閲覧。

外部リンク