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*実際の[[東映]]との契約状況は、1967年4月から1969年3月まで<ref name="日刊スポ19690131">{{Cite news |title = 緑魔子 東映捨ててジプシー生活 大忙しの他社出演 よさを出せない自社の企画 |date = 1969年1月31日 |newspaper = [[日刊スポーツ]] |publisher = [[日刊スポーツ新聞社]] |page = 13 }}</ref>、スケジュールさえ折り合えば他社出演を許すという条件付き専属女優として契約を結んでいた<ref name="日刊スポ19690131"/>。前記のような理由から二年の間、東映でまともな企画は与えられず、その二年間の東映出演は脇役が2、3本であった<ref name="日刊スポ19690131"/>。ところが他社、テレビからは、演技力が確かで、ユニークなムードを持ち、納得すれば全裸になることも辞さないなどと評され、引っ張りだこで<ref name="日刊スポ19690131"/>、出演オファーが殺到した<ref name="日刊スポ19690131"/>。
*実際の[[東映]]との契約状況は、1967年4月から1969年3月まで<ref name="日刊スポ19690131">{{Cite news |title = 緑魔子 東映捨ててジプシー生活 大忙しの他社出演 よさを出せない自社の企画 |date = 1969年1月31日 |newspaper = [[日刊スポーツ]] |publisher = [[日刊スポーツ新聞社]] |page = 13 }}</ref>、スケジュールさえ折り合えば他社出演を許すという条件付き専属女優として契約を結んでいた<ref name="日刊スポ19690131"/>。前記のような理由から二年の間、東映でまともな企画は与えられず、その二年間の東映出演は脇役が2、3本であった<ref name="日刊スポ19690131"/>。ところが他社、テレビからは、演技力が確かで、ユニークなムードを持ち、納得すれば全裸になることも辞さないなどと評され、引っ張りだこで<ref name="日刊スポ19690131"/>、出演オファーが殺到した<ref name="日刊スポ19690131"/>。


*以後、[[増村保造]]が監督する『大悪党』、[[森雅之 (俳優)|森雅之]]の主演で[[谷口千吉]]する監督『カモとねぎ』、[[大島渚]]が監督する『[[帰って来たヨッパライ#映像作品|帰って来たヨッパライ]]』、[[市川雷蔵]]が主演する『[[眠狂四郎 人肌蜘蛛]]』、[[山田洋次]]が監督する『[[吹けば飛ぶよな男だが]]』、[[1969年]]に『[[盲獣#映画|盲獣]]』<ref name="laputamako" /><ref>[http://www.laputa-jp.com/laputa/program/masumura_shirasaka/ La PASSIONE 増村保造×白坂依志夫の仕事/ラピュタ阿佐ケ谷]</ref>、など著名な[[映画監督]]の作品で著名な俳優らと共演し、自身曰く「人生の充実期」<ref name="秘宝2009-6-7" />を迎える。
*以後、[[増村保造]]が監督する『大悪党』、[[森雅之 (俳優)|森雅之]]の主演で[[谷口千吉]]する監督『カモとねぎ』、[[大島渚]]が監督する『[[帰って来たヨッパライ#映像作品|帰って来たヨッパライ]]』、[[市川雷蔵]]が主演する『眠狂四郎 人肌蜘蛛』、[[山田洋次]]が監督する『[[吹けば飛ぶよな男だが]]』、[[1969年]]に『[[盲獣#映画|盲獣]]』<ref name="laputamako" /><ref>[http://www.laputa-jp.com/laputa/program/masumura_shirasaka/ La PASSIONE 増村保造×白坂依志夫の仕事/ラピュタ阿佐ケ谷]</ref>、など著名な[[映画監督]]の作品で著名な俳優らと共演し、自身曰く「人生の充実期」<ref name="秘宝2009-6-7" />を迎える。


*[[1960年代]]後半から[[アンダーグラウンド (文化)|アングラ]]的[[ヌード]]へ傾倒して1968年にヌード詩集『悪の華』で芸術路線を開拓<ref name="悪趣味" />し、[[1970年]]以降は[[佐藤信 (演出家)|佐藤信]]主宰で[[劇団黒テント|黒テント]]と俗称される「演劇センター68/71」にも出演<ref name="悪趣味" />する。
*[[1960年代]]後半から[[アンダーグラウンド (文化)|アングラ]]的[[ヌード]]へ傾倒して1968年にヌード詩集『悪の華』で芸術路線を開拓<ref name="悪趣味" />し、[[1970年]]以降は[[佐藤信 (演出家)|佐藤信]]主宰で[[劇団黒テント|黒テント]]と俗称される「演劇センター68/71」にも出演<ref name="悪趣味" />する。


*[[1976年]]に[[石橋蓮司]]と共に劇団「[[第七病棟]]」を設立し、石橋が演出する[[唐十郎]]や[[山崎哲]]の作品を、使用を止めた建物を改造した劇場で主演<ref name="全集女優" />して[[アングラ演劇]]のスターとして活躍すると、映画出演は数年に一作品<ref name="悪趣味" />になる。長い同棲生活を経て一人娘の小学校進学を機に1979年に石橋と入籍<ref name="全集女優" /><ref name="gendai140025" />するも、[[2012年]]に別居するが不仲ではない<ref>[[日刊スポーツ]]紙 2012年10月2日掲載 石橋蓮司インタビュー</ref><ref>[http://newslounge.net/archives/42859 石橋蓮司 30代女性と半同居報道!緑魔子との離婚は否定]</ref>と離婚は否定している。
*[[1976年]]に[[石橋蓮司]]と共に劇団「第七病棟」を設立し、石橋が演出する[[唐十郎]]や[[山崎哲]]の作品を、使用を止めた建物を改造した劇場で主演<ref name="全集女優" />して[[アングラ演劇]]のスターとして活躍すると、映画出演は数年に一作品<ref name="悪趣味" />になる。長い同棲生活を経て一人娘の小学校進学を機に1979年に石橋と入籍<ref name="全集女優" /><ref name="gendai140025" />するも、[[2012年]]に別居するが不仲ではない<ref>[[日刊スポーツ]]紙 2012年10月2日掲載 石橋蓮司インタビュー</ref><ref>[http://newslounge.net/archives/42859 石橋蓮司 30代女性と半同居報道!緑魔子との離婚は否定]</ref>と離婚は否定している。


*1986年、[[紀伊國屋演劇賞]]個人賞を舞台「ビニールの城」で受賞する<REF>朝日新聞人物データベース</REF>。
*1986年、[[紀伊國屋演劇賞]]個人賞を舞台「ビニールの城」で受賞する<REF>朝日新聞人物データベース</REF>。

2021年11月14日 (日) 11:43時点における版

みどり まこ
緑 魔子
本名 石橋 良子(旧姓:小島)
生年月日 (1944-03-26) 1944年3月26日(80歳)
出生地 日本の旗日本台湾台北市
ジャンル 俳優歌手
活動内容 映画演劇テレビドラマなど
配偶者 石橋蓮司
主な作品
テレビドラマ
夢千代日記
映画
二匹の牝犬
夜の青春シリーズ
おんな番外地シリーズ
盲獣
受賞
第15回ブルーリボン賞新人賞
第20回紀伊國屋演劇賞
第21回日本映画プロフェッショナル大賞功労賞
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緑 魔子(みどり まこ、1944年3月26日 - )は、日本の俳優である。血液型A型で、現在は夫の石橋蓮司と共に芸能事務所オフィスロータスがマネジネントしている。

来歴

  • 1964年に『二匹の牝犬』で初主演デビュー[2]すると強烈な個性[2][3]で同年のブルーリボン賞新人賞を受賞[2]する。鶴田浩二高倉健が主演するカラー任侠映画梅宮辰夫と緑が主演するモノクロ映画の『夜の青春シリーズ』の二本立ては興行成績が良く[1][2][3]、渡邊監督は評価して好意する[3][4]も、1965年に『夜の青春シリーズ』の『かも』で共演する石橋蓮司1979年に入籍[1][2][9]する。
  • 東映の専属女優として27作品のプログラムピクチャーに出演[10]するが「私はゴダールアンナ・カリーナなどのヌーヴェルヴァーグが大好き[1]でも、『夜の青春シリーズ』みたいな映画ばかりやらされて我慢が限界」に至り[1]、「私はこういうのやりたくないです」と岡田に訴えて「そんなことじゃ映画界ではやっていけないから、東映を出て映画館の切符売りにでも何でもなっちまえ」と叱咤されるも「いいです切符売りになります」と返答して1968年に東映を解雇される[1]。当時"第二のマコ"とも評された大原麗子が順調に成長しており、緑の役目は既に終わったと見られていた[3][11]。岡田の東映が制作するプログラムピクチャーは「儲けるためなら芸術性も娯楽性も平然と犠牲にする製作方針で、脱ぐ必要も無いのに、ただもうやたらに脱がせれば良いという卑しさと次元の低さに失望した」と批判する[3]
  • 実際の東映との契約状況は、1967年4月から1969年3月まで[12]、スケジュールさえ折り合えば他社出演を許すという条件付き専属女優として契約を結んでいた[12]。前記のような理由から二年の間、東映でまともな企画は与えられず、その二年間の東映出演は脇役が2、3本であった[12]。ところが他社、テレビからは、演技力が確かで、ユニークなムードを持ち、納得すれば全裸になることも辞さないなどと評され、引っ張りだこで[12]、出演オファーが殺到した[12]
  • 1976年石橋蓮司と共に劇団「第七病棟」を設立し、石橋が演出する唐十郎山崎哲の作品を、使用を止めた建物を改造した劇場で主演[2]してアングラ演劇のスターとして活躍すると、映画出演は数年に一作品[3]になる。長い同棲生活を経て一人娘の小学校進学を機に1979年に石橋と入籍[2][9]するも、2012年に別居するが不仲ではない[14][15]と離婚は否定している。

人物

  • 華奢な肢体に大粒な瞳の身体が放つ独特な小悪魔的に甘い声と存在感[7]1960年代から70年代にかけて個性的な役柄を多く演じ、「小悪魔路線」の加賀まりこと共に人気を博する。「現代の愛の不毛を表現できる女優は彼女以外にはいない」と梅宮辰夫が評価[3]する、「虚ろな表情と倦怠的な雰囲気」は70年代に流行する若者気質の先取[3]として桃井かおり烏丸せつこら「無気力演技派女優」のルーツ[3]とも評される。

出演作品

テレビドラマ

映画

舞台

吹き替え

ラジオドラマ

  • 二分割幽霊奇譚(1985年、NHK-FM『ふたりの部屋』) - あずまくらこ

音楽

7インチシングル盤

発売日 A/B面 タイトル 作詞家 作曲家 編曲家 レコード会社 規格品番 備考
1967年5月5日 A面 女泣かせの雨 平田淳 鈴木淳 安形和巳 東芝 TP-1437
B面 おえつ 丹古晴己 鈴木淳 安形和巳 東芝 TP-1437
1967年9月5日 A面 女はかなしい 丹古晴己 吉川実 安形和巳 東芝 TP-1517
B面 一人ぼっちの泪 平田淳 東京之助 大西修 東芝 TP-1517
1968年1月10日 A面 あなたひとり 丹古晴己 進藤昇 安形和巳 東芝 TP-1582
B面 いつわりの恋 志賀大介 鈴木淳 大西修 東芝 TP-1582
1968年5月1日 A面 愛されたいの 平田淳 東京之助 小谷充 東芝 TP-1639
B面 信じていいの ジョーヤ増渕 ジョーヤ増渕 小谷充 東芝 TP-1639
1970年11月5日 A面 酔いどれ船 寺山修司 田辺信一 田辺信一 東芝 TP-2351
B面 引越し 寺山修司 田辺信一 田辺信一 東芝 TP-2351
1973年1月25日[17] A面 やさしいにっぽん人 東陽一 海老沼裕田山雅光 キャニオン M-7 CİNE DISC
MONO
B面 やさしいにっぽん人 OST キャニオン M-7 CİNE DISC
/MONO

CD

1967年から1970年までに東芝から発表したシングル両面10曲に、キャニオンレーベル:CİNE DISC)より1973年に発売されたシングル「やさしいにっぽん人」からサウンド・トラックと共に2トラック、1967年のTBSテレビドラマ『マコ!愛してるゥ』の主題歌「ウーン愛してる」を加えた計13曲を収録。6作品は初CD化。

ゲスト参加

オムニバスアルバム

受賞歴

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n 「映画女優 緑魔子の時代【前編】 緑魔子インタビュー」『映画秘宝』、洋泉社、2009年6月、76-77頁。 「映画女優 緑魔子の時代【後編】 緑魔子インタビュー」『映画秘宝』、洋泉社、2009年7月、78-79頁。 
  2. ^ a b c d e f g h i j k 『日本映画俳優全集・女優編』キネマ旬報社、1980年、652頁。 
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 『悪趣味邦画劇場〈映画秘宝2〉』洋泉社、1995年、257-258頁。ISBN 978-4-89691-170-1 
  4. ^ a b c 岡田茂『波瀾万丈の映画人生 岡田茂自伝』角川書店、2004年、158-159頁。ISBN 4-04-883871-7 
  5. ^ 吉行『対談浮世草子』(集英社文庫)P.318
  6. ^ 悪女礼讃 ~スクリーンの妖花たち|作品解説1/ラピュタ阿佐ケ谷
  7. ^ a b c 緑魔子伝説 - ラピュタ阿佐ヶ谷INTRO | 特集上映『緑魔子伝説』
  8. ^ a b 大下英治『高倉健の背中 監督・降旗康男に遺した男の立ち姿』朝日新聞出版、2017年1月、108頁。ISBN 978-4-02-251417-2 
  9. ^ a b 日刊ゲンダイ|石橋蓮司 緑魔子 飛んでる2人の「未婚の母」騒動
  10. ^ 『歌謡曲番外地 Vol.1』シンコーミュージック・エンタテイメント、2007年、114頁。ISBN 978-4-401-75112-9 
  11. ^ “緑魔子さん(花もよう芸能人国記:59 はだかに反撥、フリーへ〈宮崎県〉”. 朝日新聞西部本社夕刊 (朝日新聞西部本社): p. 2. (1991年5月Ⅰ4日) 
  12. ^ a b c d e “緑魔子 東映捨ててジプシー生活 大忙しの他社出演 よさを出せない自社の企画”. 日刊スポーツ (日刊スポーツ新聞社): p. 13. (1969年1月31日) 
  13. ^ La PASSIONE 増村保造×白坂依志夫の仕事/ラピュタ阿佐ケ谷
  14. ^ 日刊スポーツ紙 2012年10月2日掲載 石橋蓮司インタビュー
  15. ^ 石橋蓮司 30代女性と半同居報道!緑魔子との離婚は否定
  16. ^ 朝日新聞人物データベース
  17. ^ 1971年公開映画やさしいにっぽん人』(監督東陽一/東プロ)主題歌。録音・発表自体は1971年だったが、当時緑魔子のレコード契約が残っていたため、契約終了の1973年まで待つこととなった。

外部リンク