「埼玉県立上尾高等学校」の版間の差分
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2021年8月30日 (月) 07:42時点における版
埼玉県立上尾高等学校 | |
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過去の名称 | 共立上尾商業高等学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 埼玉県 |
校訓 | 文武不岐、自主自律 |
設立年月日 | 1958年 |
創立記念日 | 11月1日 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制・定時制 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 | 普通科、商業科 |
学期 | 3学期制 |
高校コード | 11163F |
所在地 | 〒362-0073 |
埼玉県上尾市浅間台1-6-1 北緯35度59分3秒 東経139度34分34.4秒 / 北緯35.98417度 東経139.576222度座標: 北緯35度59分3秒 東経139度34分34.4秒 / 北緯35.98417度 東経139.576222度 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
埼玉県立上尾高等学校(さいたまけんりつあげおこうとうがっこう)は、埼玉県上尾市浅間台にある男女共学の高等学校。通称、「上高」(あげこう)。エレベーターやスロープが設置されており、バリアフリー構造となっている。
設置学科
沿革
- 1958年(昭和33年)
- 1960年(昭和35年)4月1日 - 埼玉県へ管理運営移管。校名を埼玉県立上尾高等学校と改称[1]。
- 1961年(昭和36年) -
- 1963年(昭和38年)2月12日 - 昨年3月より着工していた鉄筋四階建ての新校舎が同年1月落成され、落成式が10時より挙行された。工費は6000万円であった[1]。
- 1988年(昭和63年)12月 - 校地の東側にJR北上尾駅が開業する。
- 1990年(平成2年) - 各学年10学級(各学年普通科7学級、商業科3学級)計30学級となる。
- 2007年(平成19年) - 創立50周年記念式典を開催。
部・同好会
野球部は1970年代の中頃から1980年代の中頃を中心に甲子園へ7回(夏4回、春3回)出場の実績がある[4]。創部と同時に元プロ野球選手[5]の野本喜一郎を招聘して強化が進められ、山崎裕之を擁して1963年春の第35回選抜高等学校野球大会に初出場した。1975年夏の第57回全国高等学校野球選手権大会では、今太(こん・ふとし)投手を擁し、高知県の土佐高校や神奈川県の東海大相模高校などを下してベスト4に進出した[4]。野本の退任後、1984年夏の第66回全国高等学校野球選手権大会にも出場を果たしたが、それ以降は甲子園からは遠ざかっている。
- 全日制
- 定時制
著名な卒業生
- 今野登茂子(ミュージシャン、元プリンセス・プリンセスメンバー)
- 五島悦子(女優、レポーター)
- 小柳ゆき(歌手)
- 藍川りの(タレント)
- 大島清(伊奈町長)
- 吉田一郎(さいたま市議会議員、ジャーナリスト)
- 寺門嘉之(海上保安庁羽田特殊救難基地分隊の隊長、1990年環太平洋ライフセービング大会日本代表)
スポーツ
- 山崎裕之(元プロ野球選手・名球会会員)
- 会田照夫(元プロ野球選手)
- 江田幸一(元プロ野球選手)
- 中村昭(元プロ野球選手)
- 山中重信(元プロ野球選手)
- 仁村徹(元プロ野球選手、東北楽天ゴールデンイーグルス二軍チーフコーチ)
- 徳田吉成(元プロ野球選手)
- 森士(浦和学院高野球部監督)
- 福田治男(桐生第一高野球部監督)
- 清水達也(中央大野球部監督)
- 山田英孝(2004年アテネオリンピック、2008年シドニーオリンピックバドミントン男子シングルス日本代表選手)
- 中西洋介(バドミントン選手、日本ナショナルチームコーチ)
- 長井淳子(柔道選手)
- 原加央理(競艇選手)
- 赤石竜我 (2020年東京パラリンピック車イスバスケットボール日本代表選手)
最寄り駅
- JR北上尾駅より徒歩1分
- 正門までは西口から2・3分かかるが、北門までなら普通の速さで歩いても30秒程度である。