「岩倉街道」の版間の差分
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岩倉街道は、[[1667年]]([[寛文]]七年)にできたとされている(『尾張徇行記』)<ref>『名古屋叢書 続編 第5巻 尾張徇行記(2)』名古屋市教育委員会、1966年11月、44頁</ref>。しかし、部分的にはそれ以前から存在したと考えられる{{sfn|池田誠一|2007|p=}}。岩倉街道の需要は、尾張地方北部方面から枇杷島の青果市場に野菜を運搬する輸送路であることのほか、庄内川に唯一架橋されていた枇杷島橋と接続していたことにあったとされる{{sfn|池田誠一|2007|pp=106-107}}。明治時代に至ると、三等国道岩倉街道として小田井村から[[丹羽郡]][[小折村]]に至る3[[里]]24[[町]]55[[尺]](14[[キロメートル]]強)の区間が指定された{{sfn|愛知県|1914|p=88}}。のち、愛知県道に改められ、丹羽郡[[布袋町]]を起点に西春日井郡西枇杷島町を終点とし、[[国道22号|国道17号線]](当時)に合流する3里6町16間の道路となっている{{sfn|愛知県|1914|p=97}}。[[1886年]](明治19年)8月には、かねてからの沿線住民の請願により、[[勝間田稔]]知事により街道の改良が命ぜられ、翌年12月に竣工を迎えている{{sfn|愛知県|1914|p=92}}。この全長752間3尺(約1.37キロメートル)の改良工事により、距離は190間(約0.35キロメートル)短縮され、道幅は15尺となった{{sfn|愛知県|1914|p=92}}。大正時代には、岩倉方面から枇杷島の青物市場に野菜を売りに来た人々がその日のうち豆腐屋、提灯屋、味噌たまり屋などの商店が立ち並びそこで日用品の多くを調達していた{{sfn|歴史的環境研究会|1983|p=3}}。また、大正頃にはその名称も県道布袋枇杷島線と改められた{{sfn|西春日井郡|1923|p=110}}。 |
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岩倉街道は、[[1667年]]([[寛文]]七年)にできたとされている(『尾張徇行記』)<ref>『名古屋叢書 続編 第5巻 尾張徇行記(2)』名古屋市教育委員会、1966年11月、44頁</ref>。しかし、部分的にはそれ以前から存在したと考えられる{{sfn|池田誠一|2007|p=}}。岩倉街道の需要は、[[尾張国|尾張地方]]北部方面から[[枇杷島]]の青果市場に野菜を運搬する輸送路であることのほか、[[庄内川]]に唯一架橋されていた[[枇杷島橋]]と接続していたことにあったとされる{{sfn|池田誠一|2007|pp=106-107}}。 |
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[[明治時代]]に至ると、三等国道岩倉街道として小田井村から[[丹羽郡]][[小折村]]に至る3[[里]]24[[町]]55[[尺]](14[[キロメートル]]強)の区間が指定された{{sfn|愛知県|1914|p=88}}。のち、愛知県道に改められ、丹羽郡[[布袋町]]を起点に西春日井郡西枇杷島町を終点とし、[[国道22号|国道17号線]](当時)に合流する3里6町16間の道路となっている{{sfn|愛知県|1914|p=97}}。 |
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[[1886年]](明治19年)8月には、かねてからの沿線住民の請願により、[[勝間田稔]]知事により街道の改良が命ぜられ、翌年12月に竣工を迎えている{{sfn|愛知県|1914|p=92}}。この全長752間3尺(約1.37キロメートル)の改良工事により、距離は190間(約0.35キロメートル)短縮され、道幅は15尺となった{{sfn|愛知県|1914|p=92}}。 |
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[[大正時代]]には、岩倉方面から枇杷島の青物市場に野菜を売りに来た人々がその日のうち豆腐屋、提灯屋、味噌たまり屋などの商店が立ち並びそこで日用品の多くを調達していた{{sfn|歴史的環境研究会|1983|p=3}}。また、大正頃にはその名称も県道布袋枇杷島線と改められた{{sfn|西春日井郡|1923|p=110}}。 |
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==道路の通称名の使用== |
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===柳街道(岩倉街道)=== |
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[[江南市]]では[[愛知県道157号小口岩倉線]]で「柳街道(岩倉街道)」という道路の通称名を使用している。 |
[[江南市]]では[[愛知県道157号小口岩倉線]]で「柳街道(岩倉街道)」という道路の通称名を使用している。 |
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== ギャラリー == |
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File:Biwajima-bashi2.JPG|[[枇杷島橋]] |
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File:Iwakura_Kaido_20170910-03.jpg|中小田井町並み保存地区 |
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File:Iwakura_Kaido_20171103-14.jpg|庄内川堤防への坂 |
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File:Iwakura_Kaido_20171103-15.jpg|中小田井町並み保存地区 |
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File:Iwakura_Kaido_20171103-18.jpg|中小田井町並み保存地区内の綿新商店 |
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File:Iwakura Kaido 20171103-07.jpg|[[北名古屋市]]九之坪地区を通る岩倉街道 |
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File:Iwakura Kaido 20171103-21.jpg|岩倉街道・九之坪地区 |
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2021年8月24日 (火) 12:22時点における版
岩倉街道(いわくらかいどう)は、日本の街道。現在の愛知県清須市から犬山市までを結んでいる[1]。
地理
名古屋城下から岩倉へ通じる街道で、始点は枇杷島橋の西詰であるが、終点についてははっきりしていない[2]。小田井・九之坪・石仏・小折などを経て犬山に至る[3]。『大口町史』によれば、小折から江南市・丹羽郡扶桑町を経て犬山市犬山出来町に至る街道は柳街道の別名があったという[4]。
通過自治体
歴史
近世
岩倉街道は、1667年(寛文七年)にできたとされている(『尾張徇行記』)[5]。しかし、部分的にはそれ以前から存在したと考えられる[6]。岩倉街道の需要は、尾張地方北部方面から枇杷島の青果市場に野菜を運搬する輸送路であることのほか、庄内川に唯一架橋されていた枇杷島橋と接続していたことにあったとされる[7]。
近代
- 明治時代
明治時代に至ると、三等国道岩倉街道として小田井村から丹羽郡小折村に至る3里24町55尺(14キロメートル強)の区間が指定された[8]。のち、愛知県道に改められ、丹羽郡布袋町を起点に西春日井郡西枇杷島町を終点とし、国道17号線(当時)に合流する3里6町16間の道路となっている[9]。 1886年(明治19年)8月には、かねてからの沿線住民の請願により、勝間田稔知事により街道の改良が命ぜられ、翌年12月に竣工を迎えている[10]。この全長752間3尺(約1.37キロメートル)の改良工事により、距離は190間(約0.35キロメートル)短縮され、道幅は15尺となった[10]。
- 大正時代
大正時代には、岩倉方面から枇杷島の青物市場に野菜を売りに来た人々がその日のうち豆腐屋、提灯屋、味噌たまり屋などの商店が立ち並びそこで日用品の多くを調達していた[11]。また、大正頃にはその名称も県道布袋枇杷島線と改められた[12]。
道路の通称名の使用
柳街道(岩倉街道)
江南市では愛知県道157号小口岩倉線で「柳街道(岩倉街道)」という道路の通称名を使用している。
ギャラリー
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起点付近に設置された道標
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中小田井町並み保存地区
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庄内川堤防への坂
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中小田井町並み保存地区
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中小田井町並み保存地区内の綿新商店
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北名古屋市九之坪地区を通る岩倉街道
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岩倉街道・九之坪地区
脚注
- ^ “岩倉街道について”. 名古屋市山田図書館 (2012年8月). 2017年11月25日閲覧。
- ^ 池田誠一 2007, p. 107.
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1989, p. 179.
- ^ 大口町史編纂委員会 1982, p. 205.
- ^ 『名古屋叢書 続編 第5巻 尾張徇行記(2)』名古屋市教育委員会、1966年11月、44頁
- ^ 池田誠一 2007.
- ^ 池田誠一 2007, pp. 106–107.
- ^ 愛知県 1914, p. 88.
- ^ 愛知県 1914, p. 97.
- ^ a b 愛知県 1914, p. 92.
- ^ 歴史的環境研究会 1983, p. 3.
- ^ 西春日井郡 1923, p. 110.
参考文献
- 愛知県 編『愛知県史 上巻』愛知県、1914年。
- 池田誠一『なごやの古道・街道を歩く』風媒社、2007年2月、106-113頁。ISBN 978-4-8331-0127-1。
- 歴史的環境研究会『小田井地区(岩倉街道)-名古屋市歴史的景観地区調査報告』1983年、1-3頁。
- 『名古屋叢書続編 第5巻 尾張徇行記(2)』。
- 大口町史編纂委員会『大口町史』大口町役場、1982年2月。
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 23 愛知県』角川書店、1989年3月、179頁。ISBN 4-04-001230-5。
- 西区制70周年記念誌編纂委員会『西区70年のあゆみ』名古屋市西区役所、1978年10月、71-72頁。
- 西春日井郡『西春日井郡誌』西春日井郡、1923年。
関連項目
外部リンク
- ウィキメディア・コモンズには、岩倉街道に関するカテゴリがあります。