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「札幌郡」の版間の差分

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2021年8月16日 (月) 06:25時点における版

北海道札幌郡の位置(黄:明治期)

札幌郡(さっぽろぐん)は、北海道石狩国石狩支庁管内にあった

郡域

1879年明治12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、下記の区域にあたる。

  • 札幌市中央区・北区・東区の各一部、白石区・厚別区・豊平区・清田区・南区・西区・手稲区の各全域
  • 北広島市の全域
  • 江別市の大部分(石狩川以北の篠津・中島・八幡・美原を除く)

歴史

郡発足までの沿革

蝦夷征討が盛んであった飛鳥時代から平安時代初期にかけて、札幌郡域内(現在の江別市)では江別古墳群が築かれた。ここからは須恵器などの副葬品が出土し、その構造も胆振国千歳郡(現・恵庭市)の茂漁古墳群や北東北末期古墳と同様の群集墳で、現在確認されているものの中では日本最北の古墳である。また、2011年4月北海道大学構内で同様の古墳が発見[1]された。なお、斉明天皇のころ阿倍比羅夫が蝦夷を討ち後方羊蹄(しりべし)に政所を置き郡領を任命して帰ったと『日本書紀』にあり、これを札幌や江別に比定する説[2]もある(#外部リンクも参照。参考:奄美群島の歴史#古代)。

江戸時代の札幌郡域は西蝦夷地に属し、松前藩によって石狩十三場所のうち下記の八場所が開かれ、交易の中心や藩の出先機関として置かれた運上屋では、住民の撫育政策としてオムシャも行われた。

  • ハッシャブ場所 - 石狩川(現・茨戸川)左岸、発寒川合流地付近。(現・札幌市北区
  • シノロ場所 - 石狩川(現・茨戸川)左岸、篠路川合流地付近。(現・札幌市北区)
  • ナイホウ場所 - 伏古川上流付近。(現・札幌市東区
  • 上サッポロ場所 - 豊平川流域。(現・札幌市)
  • 下サッポロ場所 - 豊平川流域。(現・札幌市)
  • 上ツイシカリ場所 - 石狩川左岸、豊平川(現・世田豊平川)合流地付近。(現・江別市など)
  • 下ツイシカリ場所 - 石狩川左岸、豊平川(現・世田豊平川)合流地付近。(現・江別市など)

江戸時代後期になると、文化4年国防上の理由から札幌郡域は公儀御料(幕府直轄領)とされた。文政4年には一旦松前藩領に復したものの、安政2年再び公儀御料となり庄内藩が警固をおこなった。同年、篠路神社の前身の若宮八幡が、安政3年には発寒神社の前身の稲荷社が創建されている。その他、安政年間には本願寺札幌別院の前身の西本願寺札幌出張所(別名・薄野別院)や札幌元村の本龍寺などが建立された。

また後志国小樽郡銭函から札幌郡を経て胆振国千歳郡に至る札幌越新道(別名・千歳新道。銭函 - 現在の札幌市内は国道5号、札幌市内 - 千歳は札幌本道国道36号の前身)も 箱館奉行によって開削[3]され、小樽場所請負人・恵比須屋半兵衛は銭函 - ホシポツケ間、石狩場所請負人・阿部屋博次郎はホシポツケ - 島松間、勇払場所請負人・山田文右衛門は島松 - 千歳間の工事を手掛けた。このとき、幕命により志村鐵一吉田茂八豊平川の渡し守となっている。

慶応2年になると、美泉定山によって定山渓温泉が開かれ、また札幌元村が開村する際幕臣・大友亀太郎によって大友掘(後の創成川)が開削されている。札幌元村では慶応年間に本龍寺境内の妙見堂が建立された。戊辰戦争箱館戦争)終結直後の1869年大宝律令国郡里制を踏襲し札幌郡が置かれた。

郡発足以降の沿革

北海道一・二級町村制施行時の札幌郡の町村(1.豊平村 2.江別村 3.札幌村 4.篠路村 5.琴似村 6.手稲村 7.藻岩村 8.白石村 9.広島村 *:札幌区 紫:札幌市 青:区域が発足時と同じ市町村)

変遷表

自治体の変遷
明治30年11月5日 明治30年 - 明治45年 大正1年 - 昭和19年 昭和20年 - 昭和29年 昭和30年 - 昭和63年 平成1年 - 現在 現在
山鼻村 明治39年4月1日
藻岩村
明治43年4月1日
旧山鼻村域を
札幌区に編入
円山村   昭和13年4月15日
町制 円山町
昭和16年4月1日
札幌市に編入
上白石村 明治35年4月1日
白石村
明治43年4月1日
旧上白石村域の
一部を札幌区に編入
札幌市
白石村   白石村 昭和25年7月1日
札幌市に編入
札幌村 明治35年4月1日
札幌村
明治43年4月1日
一部を札幌区に編入
札幌市 札幌市
苗穂村   昭和9年4月1日
一部を札幌市に編入
丘珠村 札幌村 昭和25年4月1日
一部を札幌市に編入
雁来村 札幌村 昭和30年3月1日
札幌市に編入
篠路村 篠路村 篠路村 篠路村
明治39年4月1日
一部を琴似村に編入
琴似村 昭和17年2月11日
町制 琴似町
琴似町
琴似村 明治39年4月1日
琴似村
発寒村
豊平村 明治35年4月1日
豊平村
  明治43年4月1日
一部を札幌区に編入
札幌市 札幌市 札幌市
平岸村 明治41年6月1日
町制 豊平町
豊平町 豊平町 昭和36年5月1日
札幌市に編入
月寒村
上手稲村 明治35年4月1日
手稲村
手稲村 昭和26年11月1日
町制 手稲町
昭和42年3月1日
札幌市に編入
下手稲村
山口村
江別村 明治35年4月1日
江別村
大正5年1月1日
町制 江別町
昭和29年7月1日
市制 江別市
江別市 江別市 江別市
対雁村
篠津村(石狩郡)
広島村 広島村 広島村 広島村 昭和43年9月1日
町制 広島町
平成8年9月1日
市制
即日改称 北広島市
北広島市

関連項目


脚注

  1. ^ 2011年4月北海道大学医学部陽子線研究施設付近で発見された古墳(札幌市K39遺跡)
  2. ^ 北海道歴史家協議会編「歴史家―第四号」河野廣道 胆振鉏=勇払又は江別、後方羊蹄=江別と苫小牧の間とする説など
  3. ^ 『北海道道路誌』北海道庁 大正14年(1925年)6月10日出版
  4. ^ 角川日本地名大辞典 北海道編・上巻』、601頁。

参考文献

外部リンク