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元々は[[スウェーデン]]のA/B Gotaverken社で建造され、[[1947年]](昭和22年)に進水した捕鯨母船'''Kosmos III'''。竣工後は[[ノルウェー]]のKosmos whaling companyが所有し、捕鯨に使用された。
元々は[[スウェーデン]]のA/B Gotaverken社で建造され、[[1947年]](昭和22年)に進水した捕鯨母船'''Kosmos III'''。竣工後は[[ノルウェー]]のKosmos whaling companyが所有し、捕鯨に使用された。


[[1961年]](昭和36年)、大洋漁業は綿城丸の代替のために同船を購入。'''第三日丸'''に改名し運航した。
[[1961年]](昭和36年)、大洋漁業は綿城丸の代替のために同船を購入。'''第三日丸'''に改名し運航した。


[[1976年]](昭和51年)6月の[[日本共同捕鯨]]設立に伴い、同社に売却。
[[1976年]](昭和51年)6月の[[日本共同捕鯨]]設立に伴い、同社に売却。
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元々は[[日本水産]]が[[アメリカ合衆国]]からの商業捕鯨撤退の交換条件として出された遠洋漁業に使用するために[[日立造船]][[|因島|広島]]工場で建造され、[[1987年]](昭和62年)12月に竣工した[[トロール船]]'''筑前丸'''。しかしアメリカは[[パックウッド・マグナソン法]]を制定し、代替の遠洋漁業の認可さえも取り消したため、行き場を失っていた。そこで、第三日新丸の代替として日立造船因島工場で捕鯨母船に改造した。これまでの捕鯨母船と比べるとかなり小型である。[[1987年]](昭和62年)から[[2019年]]([[令和]]元年)まで、毎年[[日本鯨類研究所]]に[[傭船]]され、調査捕鯨の調査母船として運用された。2019年7月の日本の商業捕鯨再開以降は、沖合水域での母船式捕鯨の母船として運用されている。
元々は[[日本水産]]が[[アメリカ合衆国]]からの商業捕鯨撤退の交換条件として出された遠洋漁業に使用するために[[日立造船]][[|因島|広島]]工場で建造され、[[1987年]](昭和62年)12月に竣工した[[トロール船]]'''筑前丸'''。しかしアメリカは[[パックウッド・マグナソン法]]を制定し、代替の遠洋漁業の認可さえも取り消したため、行き場を失っていた。そこで、第三日新丸の代替として日立造船因島工場で捕鯨母船に改造し、'''日新丸'''に改名した。これまでの捕鯨母船と比べるとかなり小型である。[[1987年]](昭和62年)から[[2019年]]([[令和]]元年)まで、毎年[[日本鯨類研究所]]に[[傭船]]され、調査捕鯨の調査母船として運用された。2019年7月の日本の商業捕鯨再開以降は、沖合水域での母船式捕鯨の母船として運用されている。


船主は日本水産のままだったが、[[2005年]](平成17年)に[[共同船舶]]に売却された。
船主は日本水産のままだったが、[[2005年]](平成17年)に[[共同船舶]]に売却された。

2020年3月21日 (土) 12:02時点における版

日新丸(にっしんまる)は、日本の捕鯨母船。歴史上で日新丸と命名された捕鯨母船は3隻あるほか、第一日新丸、第二日新丸(初代・2代)および第三日新丸と大洋漁業(現:マルハニチロ)や日本共同捕鯨の持ち船として同名船が多数存在する。共同船舶が保有する3代目の日新丸は、2012年現在で世界唯一の捕鯨母船で、1987年-2019年に行われた日本の調査捕鯨では調査母船となっていた。

日新丸 (初代)

日新丸(初代)
日新丸(初代)
基本情報
船種 捕鯨母船
クラス 日新丸型捕鯨母船
船籍 大日本帝国の旗 大日本帝国
所有者 大洋漁業
運用者 大洋漁業
 大日本帝国海軍
建造所 川崎造船所
母港 東京港/東京都
姉妹船 第二日新丸
航行区域 遠洋
信号符字 JGFL
IMO番号 42336(※船舶番号)
建造期間 214日
就航期間 2778日
経歴
起工 1936年2月26日
進水 1936年8月1日
竣工 1936年9月28日
最後 1944年5月6日被雷沈没
要目
総トン数 16,764トン
純トン数 13,220トン
載貨重量 22,190トン
垂線間長 163.07m
型幅 22.56m
型深さ 14.86m
高さ 12.19m(水面から1番デリックポスト最上端まで)
25.6m(水面から1番マスト最上端まで)
17.98m(水面から2番デリックポスト最上端まで)
30.78m(水面から2番マスト最上端まで)
機関方式 川崎MANディーゼル機関 1基
推進器 1軸
出力 7,120BHP
最大速力 14.471ノット
航続距離 13ノットで15,600海里
1941年11月25日徴用。
高さは米海軍識別表[1]より(フィート表記)
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需要

林兼商店(後の大洋捕鯨)が捕鯨事業の開始にあたり、川崎造船所に大型の捕鯨母船を発注した。こうして建造されたのが「日新丸」である。川崎造船所は建造にあたってイギリスのFurness Shipbuilding Co., Ltd.からノルウェー船籍の捕鯨母船「Sir James Clark Ross」(14,362トン)の設計図を購入し、それを原形とした。原形船は2軸推進だが主機製作の関係で1軸推進としたため船尾材、舵等は新たに設計され、遮浪甲板から覆甲板に変更するなどのアレンジを加えた船型となった[2]1936年(昭和11年)2月26日に起工された「日新丸」は、翌秋の出漁期にあわせるために建造工事が急がれ、起工から156日目の8月1日に進水した。9月28日竣工。竣工後は同年秋の1936年度南氷洋捕鯨から投入され、それから4年間は南氷洋捕鯨に従事した。1937年(昭和12年)2月には「パノラマ大模型 日新丸の鯨狩」という題名で少年倶楽部の付録に採用されている。

国際情勢の悪化により1941年(昭和16年)度南氷洋捕鯨は中止となり[3]、同年11月25日、「日新丸」は海軍に徴用されて海軍一般徴用船となる。徴用後の同年12月から翌1942年(昭和17年)11月まで南洋方面への輸送任務に従事。4月11日、北緯33度27分 東経135度37分 / 北緯33.450度 東経135.617度 / 33.450; 135.617の潮岬沖で米潜トラウト(USS Trout, SS-202)に発見され、魚雷1本が船尾に命中したものの、沈没には至らなかった[4][5]。11月下旬からは昭南ミリと本土の間での油輸送に従事する。1943年(昭和18年)2月7日、ミリで停泊中の「日新丸」は再度米潜トラウトに発見され、魚雷を1本が日新丸の後部に命中して煙が上がり、中破した[6][7][8]。20日、ミリを出港し、24日に昭南に到着。セレター軍港で修理を受ける。

1944年(昭和19年)5月4日、タンカー橘丸(共同企業、6,539トン)、応急タンカー白馬山丸(太洋興業、6,650トン)、貨物船天晨丸(瑞光商船、4,236トン)他輸送船12隻と共にミ02船団を編成し、水雷艇第38号哨戒艇海防艦淡路の護衛でミリを出港。「日新丸」は船団中最大の船舶であった。6日朝、船団は米潜クレヴァル(USS Crevalle, SS-291)に発見される。8時1分、クレヴァルは「日新丸」へ向け魚雷を発射。うち2本が後部に命中した「日新丸」は5分で沈没し、積荷の多量の石油を喪失した。船員15名が戦死。沈没地点はボルネオ北岸沖、北緯07度19分 東経116度52分 / 北緯7.317度 東経116.867度 / 7.317; 116.867

第二日新丸 (初代)

第二日新丸(初代)
第二日新丸(初代)
基本情報
船種 捕鯨母船
クラス 日新丸型捕鯨母船
船籍 大日本帝国の旗 大日本帝国
所有者 大洋漁業
運用者 大洋漁業
 大日本帝国海軍
建造所 川崎造船所
母港 東京港/東京都
姉妹船 日新丸
航行区域 遠洋
信号符字 JTSL
IMO番号 43915(※船舶番号)
建造期間 295日
就航期間 2247日
経歴
起工 1936年12月16日
進水 1937年6月9日
竣工 1937年10月6日
最後 1943年11月30日廃船
要目
総トン数 17,553トン
純トン数 14,315トン
載貨重量 21,989トン
垂線間長 163.07m
型幅 22.56m
型深さ 14.86m
高さ 12.19m(水面から1番デリックポスト最上端まで)
25.6m(水面から1番マスト最上端まで)
17.98m(水面から2番デリックポスト最上端まで)
30.78m(水面から2番マスト最上端まで)
喫水 10.521m
機関方式 川崎MANディーゼル機関 1基
推進器 1軸
出力 7,210BHP
最大速力 13.616ノット
航続距離 13ノットで15,600海里
1941年12月2日徴用。
高さは米海軍識別表[9]より(フィート表記)
テンプレートを表示

「第二日新丸」は川崎造船所1936年(昭和11年)12月16日に起工。1937年(昭和12年)6月9日に進水し、同年10月6日に竣工した。先に竣工した姉妹船の日新丸は波浪で揺れやすいといった意見があったため、「第二日新丸」では船首楼と後部甲板室を1層追加と船体を大型化して揺れを若干改善。それに伴い船内の配置や設備が変更された。またデリックの能力も日新丸では過大気味であったためか全般的に小さくしている[2]。 竣工後は1937年度南氷洋捕鯨から投入され、それから3年間は南氷洋捕鯨に従事した。

国際情勢の悪化により1941年(昭和16年)度南氷洋捕鯨は中止となり[3]、同年12月2日、「第二日新丸」は海軍に徴用されて海軍一般徴用船となる。徴用直後から翌1942年(昭和17年)12月まで南洋方面への輸送任務に従事。以降は昭南ミリと本土の間での油輸送に従事する。1943年(昭和18年)4月14日、「第二日新丸」は応急タンカー徳和丸(日東汽船、1,943トン)、同日鶴丸(日産汽船、1,946トン)と共に第147船団を編成し、護衛を受けず六連を出港。17日18時13分、「第二日新丸」は北緯23度56分 東経124度19分 / 北緯23.933度 東経124.317度 / 23.933; 124.317石垣島白保崎南方50海里の海上で浮遊機雷に触れ大破する[10]。機雷の爆発で船体は3つに分かれ、前部と後部が沈没し、一番大きい中央部のみが浮いていた。船団は「第二日進丸」を置き去りにして馬公へ向かい、「第二日進丸」は漂流する。18日6時、救援のため第36号哨戒艇が会合し警戒を受ける。同日17時15分、駆逐艦早苗が来着し、第36号哨戒艇は早苗に「第二日進丸」の警戒を任せ、第252船団の護衛のため離脱。22日0600、北緯23度25分 東経122度39分 / 北緯23.417度 東経122.650度 / 23.417; 122.650の地点で第39号哨戒艇が来着し、早苗から「第二日進丸」の警戒任務を引き継ぎ、早苗は基隆に向かった。23日朝、北緯23度48分 東経122度42分 / 北緯23.800度 東経122.700度 / 23.800; 122.700与那国島南方沖で、2隻は米潜シーウルフ(USS Seawolf, SS-197)に発見される。シーウルフは第39号哨戒艇を雷撃し、同艦は被雷沈没した。シーウルフは最後に残った魚雷を「第二日新丸」に向けて発射し、命中はしたものの不発だった[11]。同日、基隆から早苗が来着し第39号哨戒艇の生存者救助と「第二日新丸」の警戒を行う。24日18時、駆逐艦帆風が来着し、早苗は任務を引き継ぎ高雄へ向かった。25日8時、救難船兼曳船の立神が到着し、「第二日新丸」は同艦に曳航される。25日、高潮の際に立神と翔鳳丸の2隻で浅瀬に座礁させられる。その後離礁され、28日に立神に曳航されて基隆に到着。11月30日に廃船となった[12]。触雷時船員41名戦死。

第一日新丸

第一日新丸(大攬丸)
基本情報
船種 タンカー/捕鯨母船
クラス 3TL型戦時標準タンカー
船籍 日本
所有者 大阪商船
大洋漁業
運用者 大阪商船
大洋漁業
建造所 三菱重工業長崎造船所
母港 大阪港/大阪府
東京港/東京都
姉妹船 3TL型戦時標準タンカー5隻
航行区域 遠洋
信号符字 JXNW→JDDF
IMO番号 58435(※船舶番号)
改名 大攬丸→第一日新丸→錦城丸
建造期間 1019日
経歴
起工 1945年1月5日
進水 1946年8月28日
竣工 1946年10月20日
最後 1965年3月売却解体
要目
総トン数 10,912トン(1946年)
11,781トン
全長 150.8m
垂線間長 150.0m
型幅 20.4m
型深さ 12.0m
機関方式 三井B&W式ディーゼル機関 1基(1948年)
川崎MANディーゼル機関 1基(1958年)
ボイラー 21号水管缶 2基(1946年)
主機関 タービン機関 1基(1946年)
推進器 1軸
出力 5,400BHP(1948年)
8,000BHP(1958年)
最大出力 10,000SHP(1946年)
定格出力 8,000SHP(1946年)
最大速力 14.0ノット
航海速力 12.0ノット
航続距離 16ノットで8,000海里(計画)
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三菱重工業長崎造船所大阪商船の石油タンカーである3TL型戦時標準船大攬丸(だいらん丸)として建造中に長崎市への原子爆弾投下に遭い放置。終戦後の南極海捕鯨再開に伴い、大洋漁業が購入して捕鯨母船へ改造し第一日新丸と改名、1946年(昭和21年)10月15日に竣工。

1948年(昭和23年)8月、従来のボイラーと主機を撤去し、三井製ディーゼル機関を装備。

1951年(昭和26年)6月11日に石油タンカーへ改造すると同時にB.V.船級取得改造工事を受け、錦城丸と改名。

1954年(昭和29年)4月30日川崎造船所で再度捕鯨母船へ改造。

1958年(昭和33年)10月、川崎製ディーゼル機関に換装。

1965年(昭和40年)3月、解体のため三菱商事に売却され、のちに大阪で解体された。

日新丸 (2代)

日新丸(2代)
基本情報
船種 タンカー/捕鯨母船
クラス 日新丸型捕鯨母船
船籍 日本
所有者 大洋漁業
運用者 大洋漁業
建造所 川崎造船所
母港 東京港/東京都
姉妹船 なし
航行区域 遠洋
信号符字 JCMC
IMO番号 67661(※船舶番号)
建造期間 347日
経歴
起工 1950年10月19日
進水 1951年6月21日
竣工 1951年9月30日
最後 1973年4月売却
要目
総トン数 16,777トン
載貨重量 22,993トン
垂線間長 175.0m
型幅 23.40m
型深さ 12.62m
喫水 10.6m
機関方式 川崎MANディーゼル機関 1基
推進器 1軸
出力 10,060PS
最大速力 14.0ノット
航海速力 13.0ノット
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1951年(昭和26年)9月30日川崎造船所にて竣工。

1971年(昭和46年)に鯨油タンカーに改造。

1973年(昭和48年)4月、中華人民共和国の企業に売却。以降の消息は不明だが、1981年(昭和56年)時点では現役だった。

第二日新丸 (2代目)

南アフリカ共和国船籍の捕鯨母船アブラハム・ラーセンを買収した。1961年10月30日ソロモン海域で火災が発生し、キャッチャーボートで日本の佐世保重工業に曳航され修復。

  • 総トン数 27,035トン

第三日新丸

第三日新丸
基本情報
船種 捕鯨母船
クラス 第三日新丸型捕鯨母船
船籍 ノルウェー
日本
所有者 Kosmos whaling company
大洋漁業
日本共同捕鯨
運用者 Kosmos whaling company
大洋漁業
日本共同捕鯨
建造所 A/B Gotaverken
母港 サンデフィヨルド港/サンデフィヨルド
東京港/東京都
姉妹船 なし
航行区域 遠洋
信号符字 JNTO
IMO番号 5253494
86899(※船舶番号)
改名 Kosmos III→第三日新丸
経歴
進水 1947年11月
最後 1991年売却解体
要目
総トン数 23,108トン
載貨重量 23,332トン
全長 194.6m
垂線間長 182.77m
型幅 23.77m
型深さ 17.68m
満載喫水 9.6m
機関方式 ディーゼル機関 1基
推進器 1軸
出力 6,750BHP
最大速力 13.2ノット
航海速力 12.0ノット(満載)
テンプレートを表示

元々はスウェーデンのA/B Gotaverken社で建造され、1947年(昭和22年)に進水した捕鯨母船Kosmos III。竣工後はノルウェーのKosmos whaling companyが所有し、捕鯨に使用された。

1961年(昭和36年)、大洋漁業は綿城丸の代替のために同船を購入。第三日新丸に改名し運航した。

1976年(昭和51年)6月の日本共同捕鯨設立に伴い、同社に売却。

第三日新丸の船団による第四十二次南氷洋捕鯨が1987年(昭和62年)3月14日に終了し、南氷洋商業捕鯨の幕が下りた。1991年平成3年)、解体のため中国の企業に売却された。

日新丸 (3代)

日新丸(3代)
日新丸(3代)の概要図
基本情報
船種 捕鯨母船
クラス 筑前丸型トロール船
船籍 日本
所有者 日本水産
共同船舶
運用者 日本水産
共同船舶
建造所 日立造船因島工場
母港 東京港/東京都
姉妹船 なし
航行区域 遠洋
信号符字 JJCJ
IMO番号 8990079
130177(※船舶番号)
MMSI番号 431501779
改名 筑前丸→日新丸
経歴
起工 1987年4月
進水 1987年8月
竣工 1987年12月
現況 現役
要目
総トン数 7,659トン(1987年)
8,030トン(2005年)
載貨重量 5,999トン(1987年)
全長 129.58m
垂線間長 117.0m
型幅 19.40m
型深さ 11.70m
機関方式 日立M-B&W式ディーゼル機関 1基
推進器 1軸
出力 7,320BHP
最大速力 17.49ノット
航海速力 14.3ノット
テンプレートを表示

元々は日本水産アメリカ合衆国からの商業捕鯨撤退の交換条件として出された遠洋漁業に使用するために日立造船[[|因島|広島]]工場で建造され、1987年(昭和62年)12月に竣工したトロール船筑前丸。しかしアメリカはパックウッド・マグナソン法を制定し、代替の遠洋漁業の認可さえも取り消したため、行き場を失っていた。そこで、第三日新丸の代替として日立造船因島工場で捕鯨母船に改造し、日新丸に改名した。これまでの捕鯨母船と比べるとかなり小型である。1987年(昭和62年)から2019年令和元年)まで、毎年日本鯨類研究所傭船され、調査捕鯨の調査母船として運用された。2019年7月の日本の商業捕鯨再開以降は、沖合水域での母船式捕鯨の母船として運用されている。

船主は日本水産のままだったが、2005年(平成17年)に共同船舶に売却された。

火災事故

1998年(平成10年)11月20日珊瑚海にて製油工場付近で出火し、火災区間の封鎖に失敗して自力航行が不可能となった。乗組員を第25利丸に移し、第1京丸を使って消火に当たらせた。火は11月29日に消し止められたが、甲板手一名が自殺を遂げた。11月30日タグボートニューカレドニアヌメアへ曳航され、12月2日に入港。12月7日グリーンピースのメンバー4人が同船と第1京丸に侵入し、1人は第1京丸の砲台に自らの体を括り付け、他は同船のプロペラをで固定した。その後も同会はデモ活動を続け、アンカーチェーンにぶら下っていた活動家を交代させた(第1京丸側が放水で対抗)。この際にグリーンピース妨害船に乗っていた日本人女性が調査捕鯨船団に対して脅迫状を交付したため水産庁、鯨研は抗議し、その後グリーンピース・ジャパンが謝罪した。地元裁判所から撤退命令もあり、撤収した。12月8日同船はヌメアを出航し、12月20日日立造船因島工場に入渠。同地で修復され、1月5日に再び南氷洋へ出航した。[13]。造船所及び各機械メーカーの全面協力により正月休暇を返上しての突貫工事で応急復旧を行ったが全面的な修復はその年の帰国後になった

2007年(平成19年)2月25日再び南極海ロス海において工場甲板部から出火し、作業員1名が死亡している。2月24日に自力航行が可能になったものの、その年の南極海鯨類捕獲調査は中止となった。

ハラール

2013年(平成25年)11月24日ハラールの認証書を取得した[14]

妨害活動

日新丸新造計画

1987年(昭和62年)の三代目日新丸の就航から年数が経過し、老朽化が進んでいることから、代替船の建造が検討されている。3倍の大きさの16,000トン級捕鯨母船の建造計画もあったが、実現には至っていない。

2019年(令和元年)、三代目日新丸を保有する共同船舶は、2024年(令和6年)を目処に代船建造を行う考えを示した。

脚注

  1. ^ Kyokuyo_Maru_class
  2. ^ a b 本邦建造捕鯨母船の系譜
  3. ^ a b #松井p.79
  4. ^ The Official Chronology of the U.S. Navy in World War II Chapter IV: 1942” (英語). HyperWar. 2011年11月19日閲覧。
  5. ^ #横鎮1704(1)pp.22-24
  6. ^ #戦史54
  7. ^ The Official Chronology of the U.S. Navy in World War II Chapter V: 1943” (英語). HyperWar. 2011年11月20日閲覧。
  8. ^ #SS-202, USS TROUTp.109,116
  9. ^ Kyokuyo_Maru_class
  10. ^ Nikkaku_Maru
  11. ^ #SS-197, USS SEAWOLF, Part 1p.244
  12. ^ 写真提供:藤木洋一/船の科学館「写真シリーズ 思い出の日本貨物船その242」『世界の艦船』第846集(2016年10月特大号) 海人社 155頁
  13. ^ 2003年10月小島敏男著成山堂書店「調査捕鯨母船 日新丸よみがえる」ISBN 4425881311ISBN 978-4425881314
  14. ^ “調査捕鯨母船「日新丸」、ハラル認証を取得”. (2014年1月23日). http://www.afpbb.com/articles/-/3007075 2014年1月30日閲覧。 

参考文献

船尾のスロープから解剖甲板へ鯨を引き上げる日新丸(3代)。
  • (Issuu) SS-197, USS SEAWOLF, Part 1. Historic Naval Ships Association. http://issuu.com/hnsa/docs/ss-197_seawolf_part1?mode=a_p 
  • (Issuu) SS-202, USS TROUT. Historic Naval Ships Association. http://issuu.com/hnsa/docs/ss-202_trout?mode=a_p 
  • アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
    • Ref.C08030316700『自昭和十七年四月一日至昭和十七年四月三十日 横須賀鎮守府戦時日誌』。 
  • 松井邦夫『日本・油槽船列伝』成山堂書店、1995年。ISBN 4-425-31271-6 
  • 防衛研究所戦史室編『戦史叢書62 南西方面海軍作戦 第二段作戦以降朝雲新聞社、1972年。 

関連項目

外部リンク