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「埼玉県立上尾高等学校」の版間の差分

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'''埼玉県立上尾高等学校'''(さいたまけんりつあげおこうとうがっこう)は、[[埼玉県]][[上尾市]][[浅間台 (上尾市)|浅間台]]にある男女共学の高等学校。通称、「上高」(あげこう)。エレベーターやスロープが設置されており、バリアフリー構造となっている。
'''埼玉県立上尾高等学校'''(さいたまけんりつあげおこうとうがっこう)は、[[埼玉県]][[上尾市]][[浅間台 (上尾市)|浅間台]]にある男女共学の高等学校。通称、「上高」(あげこう)。エレベーターやスロープが設置されており、バリアフリー構造となっている。
しかし、体育科の教え方はほぼ軍隊のようになっており、冷酷無比な教え方にキツイ内容、ボイスランニングというのを永遠とやらされることもある。


== 設置学科 ==
== 設置学科 ==

2019年5月22日 (水) 13:40時点における版

埼玉県立上尾高等学校
過去の名称 共立上尾商業高等学校
国公私立の別 公立学校
設置者 埼玉県の旗 埼玉県
併合学校 埼玉県立浦和高等学校上尾分校
設立年月日 1958年
創立記念日 11月1日
共学・別学 男女共学
課程 全日制・定時制
単位制・学年制 学年制
設置学科 普通科、商業科
学期 3学期制
高校コード 11163F
所在地 362-0073
埼玉県上尾市浅間台1-6-1
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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埼玉県立上尾高等学校の位置(埼玉県内)
埼玉県立上尾高等学校

埼玉県立上尾高等学校(さいたまけんりつあげおこうとうがっこう)は、埼玉県上尾市浅間台にある男女共学の高等学校。通称、「上高」(あげこう)。エレベーターやスロープが設置されており、バリアフリー構造となっている。 しかし、体育科の教え方はほぼ軍隊のようになっており、冷酷無比な教え方にキツイ内容、ボイスランニングというのを永遠とやらされることもある。

設置学科

  • 全日制
  • 定時制
    • 普通科 (1クラス×4学年)(組なし)(全日制1年1-4組と教室共有)

沿革

1965年頃の上尾高等学校とその周辺。周囲は武蔵野の雑木林や耕地が広がる。校庭にはアカマツの大木も見られる。
  • 1958年(昭和33年) - 学校事務組合(北足立郡上尾町(現上尾市)、桶川町(現桶川市)、伊奈村(現伊奈町)の2町1村)共立上尾商業高等学校創設。普通科と商業科の二科を設置。
  • 1960年(昭和35年) - 埼玉県へ管理運営移管。校名を埼玉県立上尾高等学校と改称。
  • 1961年(昭和36年) - 埼玉県立浦和高等学校上尾分校(定時制課程普通科)を併合。
  • 1988年(昭和63年) - 校地の東側にJR北上尾駅が開業する。
  • 1990年(平成2年) - 各学年10学級(各学年普通科7学級、商業科3学級)計30学級となる。
  • 2007年(平成19年) - 創立50周年記念式典を開催。

部・同好会

野球部は1970年代の中頃から1980年代の中頃を中心に甲子園へ7回(夏4回、春3回)出場の実績がある[1]。創部と同時に元プロ野球選手の野本喜一郎を招聘して強化が進められ、山崎裕之を擁して1963年春の第35回選抜高等学校野球大会に初出場すると、1975年夏の第57回全国高等学校野球選手権大会では高知県の土佐高校や神奈川県の東海大相模高校などを下してベスト4に進出した[1]。野本の退任後、1984年夏の第66回全国高等学校野球選手権大会にも出場を果たしたが、これ以降は甲子園からは遠ざかっている。

出場回
1963年春第35回大会1974年夏第56回大会1975年夏第57回大会1979年夏第61回大会1980年春第52回大会1982年春第54回大会1984年夏第66回大会

著名な卒業生

スポーツ

最寄り駅

  • JR北上尾駅より徒歩1分
    正門までは西口から2・3分かかるが、北門までなら普通の速さで歩いても30秒程度である。

脚注

  1. ^ a b 森岡浩『高校野球甲子園全出場校大事典』東京堂出版、2000年、80-81頁。ISBN 978-4490105414 

関連項目

外部リンク