「ルフトハンザ・エアポート・エクスプレス」の版間の差分
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[[ルフトハンザドイツ航空]](ルフトハンザ)の[[ハブ空港]]として機能する[[フランクフルト空港]]と[[デュッセルドルフ空港]]の両空港間の距離は、約200kmと飛行機では短距離であり、旅客数の割に採算が取りにくい状況にあった<ref name="トリビア154" />。これを解決するため、ルフトハンザが[[ドイツ連邦鉄道]](DB)の列車を貸し切り、発着容量が限界にあったフランクフルト空港からの短距離航空便を代替することとなった<ref>「[http://www.iatss.or.jp/common/pdf/research/h2648.pdf 欧米における交通分野のグリーンインフラストラクチャー事例調査]」、国際交通安全学会、2015年3月。22頁</ref>。この画期的な試みは世界の航空業界や鉄道業界で話題となり、鉄道と航空の連携のモデルケースとして注目を集めた。 |
[[ルフトハンザドイツ航空]](ルフトハンザ)の[[ハブ空港]]として機能する[[フランクフルト空港]]と[[デュッセルドルフ空港]]の両空港間の距離は、約200kmと飛行機では短距離であり、旅客数の割に採算が取りにくい状況にあった<ref name="トリビア154" />。これを解決するため、ルフトハンザが[[ドイツ連邦鉄道]](DB)の列車を貸し切り、発着容量が限界にあったフランクフルト空港からの短距離航空便を代替することとなった<ref>「[http://www.iatss.or.jp/common/pdf/research/h2648.pdf 欧米における交通分野のグリーンインフラストラクチャー事例調査]」、国際交通安全学会、2015年3月。22頁</ref>。この画期的な試みは世界の航空業界や鉄道業界で話題となり、鉄道と航空の連携のモデルケースとして注目を集めた。 |
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[[1982年]]、[[フランクフルト空港駅]] - [[デュッセルドルフ中央駅]]間で[[西ドイツ国鉄403形電車|403形]]電車を使用した「ルフトハンザ・エアポート・エクスプレス」の運行を開始した<ref name="トリビア154">杉山淳一「[https://news.mynavi.jp/article/trivia-154/ 鉄道トリビア 第154回 航空会社の国内便が電車だった!?]」 マイナビニュース、2012年6月9日</ref>。1日4往復が設定され<ref name="トリビア154" />、途中[[ボン]](当時の西ドイツの[[首都]])や[[ケルン]]にも停車し、両都市間を約2時間半で結んだ。翌年には[[デュッセルドルフ国際空港]]の地下にある[[デュッセルドルフ空港ターミナル駅]](本線の[[デュッセルドルフ空港駅]]とは別の駅)まで運転区間が延長されている。この列車は[[ライン川左岸線]]を経由するため、風光明媚な[[ライン川]]西岸の古城風景や[[ローレライ]]など、航空便にはない眺望を楽しめることとなった<ref name="トリビア154" />。 |
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列車の運転はDBの乗務員が担当するが、車内の接客サービスはルフトハンザの[[客室乗務員]]による航空便と同等のサービスが提供された<ref name="トリビア154" />。列車には航空便名を付与すると同時に、[[列車種別]]は全車一等車の[[TEE]]として扱われた。一般の列車の時刻表には掲載されず、乗車の際にはルフトハンザの航空便として航空券を取得する必要があり、通常の鉄道の乗車券では利用できない。 |
列車の運転はDBの乗務員が担当するが、車内の接客サービスはルフトハンザの[[客室乗務員]]による航空便と同等のサービスが提供された<ref name="トリビア154" />。列車には航空便名を付与すると同時に、[[列車種別]]は全車一等車の[[TEE]]として扱われた。一般の列車の時刻表には掲載されず、乗車の際にはルフトハンザの航空便として航空券を取得する必要があり、通常の鉄道の乗車券では利用できない。 |
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== 車両 == |
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デュッセルドルフ方面では、インターシティー用の[[電車]]として登場したが1979年より団体用のみで用いていた[[西ドイツ国鉄403形電車|403形]]を用いた<ref>島田和衛「[http://www.iatss.or.jp/common/pdf/publication/iatss-review/14-2-07.pdf 航空と鉄道の一体輸送]」IATSS Review Vol. 14 No.2、1988年6月。</ref>。1990年運行開始のシュトゥットガルト方面では機関車牽引で、牽引機は当初は[[西ドイツ国鉄111形電気機関車|111形]]であったが、翌1991年に高速新線経由となり[[西ドイツ国鉄103型電気機関車|103形]]に置き換わっている。客車は[[ユーロフィーマ客車]]が投入された。 |
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塗装はいずれもルフトハンザのイメージカラーである黄色が塗られた。 |
塗装はいずれもルフトハンザのイメージカラーである黄色が塗られた。 |
2018年9月8日 (土) 17:52時点における版
ルフトハンザ・エアポート・エクスプレス | |
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403形電車 | |
国 | ドイツ |
運行者 |
ドイツ連邦鉄道 ルフトハンザドイツ航空 |
始発 | フランクフルト空港 |
終着 |
デュッセルドルフ シュトゥットガルト |
運行開始 | 1982年3月 |
運行終了 | 1993年5月 |
ルフトハンザ・エアポート・エクスプレス(Lufthansa Airport Express)は、ドイツのフランクフルト空港とデュッセルドルフ、シュトゥットガルトを結んでいた列車である。ルフトハンザドイツ航空の航空便扱いで運行されていた。
歴史
ルフトハンザドイツ航空(ルフトハンザ)のハブ空港として機能するフランクフルト空港とデュッセルドルフ空港の両空港間の距離は、約200kmと飛行機では短距離であり、旅客数の割に採算が取りにくい状況にあった[1]。これを解決するため、ルフトハンザがドイツ連邦鉄道(DB)の列車を貸し切り、発着容量が限界にあったフランクフルト空港からの短距離航空便を代替することとなった[2]。この画期的な試みは世界の航空業界や鉄道業界で話題となり、鉄道と航空の連携のモデルケースとして注目を集めた。
1982年、フランクフルト空港駅 - デュッセルドルフ中央駅間で403形電車を使用した「ルフトハンザ・エアポート・エクスプレス」の運行を開始した[1]。1日4往復が設定され[1]、途中ボン(当時の西ドイツの首都)やケルンにも停車し、両都市間を約2時間半で結んだ。翌年にはデュッセルドルフ国際空港の地下にあるデュッセルドルフ空港ターミナル駅(本線のデュッセルドルフ空港駅とは別の駅)まで運転区間が延長されている。この列車はライン川左岸線を経由するため、風光明媚なライン川西岸の古城風景やローレライなど、航空便にはない眺望を楽しめることとなった[1]。
列車の運転はDBの乗務員が担当するが、車内の接客サービスはルフトハンザの客室乗務員による航空便と同等のサービスが提供された[1]。列車には航空便名を付与すると同時に、列車種別は全車一等車のTEEとして扱われた。一般の列車の時刻表には掲載されず、乗車の際にはルフトハンザの航空便として航空券を取得する必要があり、通常の鉄道の乗車券では利用できない。
1990年にはフランクフルト - シュトゥットガルト間でも運行を開始し、この系統では機関車牽引の客車列車による運行となった[1]。
利用は好調であったが、1990年代の東西ドイツ統一を機にドイツ経済は低迷期に入り、鉄道や航空の利用客が減少し始め、403形電車の老朽化やICEの開業による競争激化も相まって、「ルフトハンザ・エアポートエクスプレス」は1993年[1]の5月を最後に運転を終了することとなった。
廃止後もルフトハンザ航空はフランクフルト - シュトットガルト間のICEの列車の一部座席で「AIRRailサービス」を行っている[1]。
車両
デュッセルドルフ方面では、インターシティー用の電車として登場したが1979年より団体用のみで用いていた403形を用いた[3]。1990年運行開始のシュトゥットガルト方面では機関車牽引で、牽引機は当初は111形であったが、翌1991年に高速新線経由となり103形に置き換わっている。客車はユーロフィーマ客車が投入された。
塗装はいずれもルフトハンザのイメージカラーである黄色が塗られた。
脚注
- ^ a b c d e f g h 杉山淳一「鉄道トリビア 第154回 航空会社の国内便が電車だった!?」 マイナビニュース、2012年6月9日
- ^ 「欧米における交通分野のグリーンインフラストラクチャー事例調査」、国際交通安全学会、2015年3月。22頁
- ^ 島田和衛「航空と鉄道の一体輸送」IATSS Review Vol. 14 No.2、1988年6月。