「ルフトハンザ・エアポート・エクスプレス」の版間の差分
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西ドイツ国鉄403形電車より、列車に特化する事項を一部転記 |
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列車の運行は[[ドイツ連邦鉄道]](DB)が行い、車内の接客サービスはルフトハンザ航空が担当した<ref name="トリビア154" />。一般の列車の時刻表には掲載されず、ルフトハンザ航空の航空券の予約発券による乗車方法が取られた。 |
列車の運行は[[ドイツ連邦鉄道]](DB)が行い、車内の接客サービスはルフトハンザ航空が担当した<ref name="トリビア154" />。一般の列車の時刻表には掲載されず、ルフトハンザ航空の航空券の予約発券による乗車方法が取られた。 |
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1日4往復が設定され、途中、[[ケルン]]や[[ボン]](当時の西ドイツの[[首都]])にも停車し、両都市間を約2時間半で結んだ。列車には航空便名が付与されると同時に、全車一等車であることから[[列車種別]]としてTEEの格付けが行われた<ref>当然ながら、乗車の際にはルフトハンザの航空便として航空券を取得する必要があり、通常の鉄道の乗車券では利用できない。</ref>。当初は[[デュッセルドルフ中央駅]] - [[フランクフルト空港駅]]の間で運行され、翌年には[[デュッセルドルフ国際空港]]に隣接する[[デュッセルドルフ空港駅]]まで運転区間が延長されている。 |
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乗務員は[[運転士]]を除き、ルフトハンザの[[客室乗務員]]が乗車した。車内サービスもルフトハンザが担当し、航空便と同等のサービスが提供された。この列車は[[ライン川]]西岸の風光明媚な路線を経由するため、古城風景や[[ローレライ]]など、航空便にはない眺望を楽しめることとなった。この画期的な試みは世界の航空業界や鉄道業界で話題となり、鉄道と航空の連携のモデルケースとして注目を集めた。この成功を受け、後にフランクフルト・アム・マイン - [[シュトゥットガルト]]間にも運転されるようになる<ref>こちらは通常の機関車+客車の編成であるが、やはり専用塗装が施され、同等のサービスが提供された。</ref>。 |
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[[1990年代]]の[[ドイツ再統一|東西ドイツ統一]]を機にドイツ経済は低迷期に入り、鉄道や航空の利用客が減少し始め、403形電車の老朽化や[[ICE]]の開業による競争激化も相まって、「ルフトハンザ・エアポートエクスプレス」は[[1993年]]5月を最後に運転を終了することとなった。 |
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利用は好調であったが、[[1993年]]に運行を終了した<ref name="トリビア154" />。廃止後もルフトハンザ航空はフランクフルト - シュトットガルト間の[[ICE]]の列車の一部座席で「AIRRailサービス」を行っている<ref name="トリビア154" />。 |
利用は好調であったが、[[1993年]]に運行を終了した<ref name="トリビア154" />。廃止後もルフトハンザ航空はフランクフルト - シュトットガルト間の[[ICE]]の列車の一部座席で「AIRRailサービス」を行っている<ref name="トリビア154" />。 |
2018年6月18日 (月) 14:21時点における版
ルフトハンザ・エアポート・エクスプレス | |
---|---|
403形電車 | |
国 | ドイツ |
運行者 |
ドイツ連邦鉄道 ルフトハンザドイツ航空 |
始発 | フランクフルト空港 |
終着 |
デュッセルドルフ シュトゥットガルト |
運行開始 | 1982年3月 |
運行終了 | 1993年5月 |
ルフトハンザ・エアポート・エクスプレス(Lufthansa Airport Express)は、ドイツのフランクフルト空港とデュッセルドルフ、シュトゥットガルトを結んでいた列車である。ルフトハンザドイツ航空の航空便扱いで運行されていた。
歴史
ルフトハンザドイツ航空はフランクフルト空港とデュッセルドルフ空港をハブ空港としており、両空港間を移動する利用者も多数いたが、両都市間の距離は約200kmと航空機では短く、採算が取れない状況にあった[1]。これを解決するため、鉄道を活用し両都市間に航空便の代替扱いの列車が登場することとなった。
1982年にフランクフルト - デュッセルドルフ間で「ルフトハンザ・エアポート・エクスプレス」の運行を開始した[1]。車両は403形電車が用いられ、1日4往復が運行された[1]。1990年にはフランクフルト - シュトゥットガルト間でも運行を開始し、この系統では機関車牽引の客車列車による運行となった[1]。
列車の運行はドイツ連邦鉄道(DB)が行い、車内の接客サービスはルフトハンザ航空が担当した[1]。一般の列車の時刻表には掲載されず、ルフトハンザ航空の航空券の予約発券による乗車方法が取られた。
1日4往復が設定され、途中、ケルンやボン(当時の西ドイツの首都)にも停車し、両都市間を約2時間半で結んだ。列車には航空便名が付与されると同時に、全車一等車であることから列車種別としてTEEの格付けが行われた[2]。当初はデュッセルドルフ中央駅 - フランクフルト空港駅の間で運行され、翌年にはデュッセルドルフ国際空港に隣接するデュッセルドルフ空港駅まで運転区間が延長されている。
乗務員は運転士を除き、ルフトハンザの客室乗務員が乗車した。車内サービスもルフトハンザが担当し、航空便と同等のサービスが提供された。この列車はライン川西岸の風光明媚な路線を経由するため、古城風景やローレライなど、航空便にはない眺望を楽しめることとなった。この画期的な試みは世界の航空業界や鉄道業界で話題となり、鉄道と航空の連携のモデルケースとして注目を集めた。この成功を受け、後にフランクフルト・アム・マイン - シュトゥットガルト間にも運転されるようになる[3]。
1990年代の東西ドイツ統一を機にドイツ経済は低迷期に入り、鉄道や航空の利用客が減少し始め、403形電車の老朽化やICEの開業による競争激化も相まって、「ルフトハンザ・エアポートエクスプレス」は1993年5月を最後に運転を終了することとなった。
利用は好調であったが、1993年に運行を終了した[1]。廃止後もルフトハンザ航空はフランクフルト - シュトットガルト間のICEの列車の一部座席で「AIRRailサービス」を行っている[1]。
車両
デュッセルドルフ方面ではインターシティー用の電車として登場した403形を改造の上で用いた。シュトゥットガルト方面では機関車牽引で、牽引機に111形と103形、客車はユーロフィーマ客車が投入された。
塗装はいずれもルフトハンザのイメージカラーである黄色が塗られた。