コンテンツにスキップ

「フィリップ (ベルギー王)」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
Redenaeay (会話 | 投稿記録)
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集
Kitty1976 (会話 | 投稿記録)
編集の要約なし
51行目: 51行目:


2012年6月に300人のベルギー人ビジネスマンを連れて夫妻で来日、日本とベルギーの経済関係の強化の働きかけを行ったほか、マティルド妃は[[東日本大震災]]の被災地[[宮城県]]を訪問した<ref>[http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/release/24/6/0608_03.html フィリップ・ベルギー王国皇太子同妃両殿下の来日]外務省公式ウェブサイト</ref>。
2012年6月に300人のベルギー人ビジネスマンを連れて夫妻で来日、日本とベルギーの経済関係の強化の働きかけを行ったほか、マティルド妃は[[東日本大震災]]の被災地[[宮城県]]を訪問した<ref>[http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/release/24/6/0608_03.html フィリップ・ベルギー王国皇太子同妃両殿下の来日]外務省公式ウェブサイト</ref>。

2016年10月11日から14日まで、マチルド王妃とともに国王として初来日(国賓)。


== 子女 ==
== 子女 ==
92行目: 94行目:
[[Category:ベルジック家]]
[[Category:ベルジック家]]
[[Category:ベルギーのブラバント公]]
[[Category:ベルギーのブラバント公]]
[[Category:大勲位菊花章頸飾受章者]]
[[Category:オックスフォード大学出身の人物]]
[[Category:オックスフォード大学出身の人物]]
[[Category:スタンフォード大学出身の人物]]
[[Category:スタンフォード大学出身の人物]]

2017年1月30日 (月) 14:00時点における版

フィリップ
Philippe
ベルギー国王
フィリップ(2013年)
在位 2013年7月21日

全名 Philippe Léopold Louis Marie
フィリップ・レオポルド・ルイ・マリー
出生 (1960-04-15) 1960年4月15日(64歳)
ベルギーの旗 ベルギーブリュッセル
配偶者 マティルド
子女 エリザベート
ガブリエル
エマニュエル
エレオノール
家名 ベルジック家
父親 アルベール2世
母親 パオラ
宗教 キリスト教カトリック教会
テンプレートを表示
ベルギー王室



フィリップフランス語Philippe Léopold Louis Marie, オランダ語:Filips Leopold Lodewijk Maria、 (1960-04-15) 1960年4月15日(64歳) - )は、ベルギーの国王(在位2013年7月21日 - )。アルベール2世パオラ王妃の長子で、妹にアストリッド王女、弟にロラン王子がいる。

来歴

はじめイギリスのオックスフォード大学トリニティ・カレッジに留学、その後アメリカのスタンフォード大学大学院に留学した。

帰国後の1980年に空軍中尉に任官。空挺部隊などに配属した後、1989年空軍大佐に進級。2001年にはベルギー・空3軍の少将に進級した。

1999年12月4日、デュデケム・ダコ伯爵令嬢マティルドと結婚した。

2004年、ベルギー北部のフランデレン地域の独立を目指すフラームス・ベランフを念頭に置いて「一部の政党は、国をばらばらにしたいと考えている。彼らは私を相手にすることになるだろう。私は恐ろしくもなれる。油断はしない」と語り、同党支持者を怒らせたことがある[1]

2013年7月3日、父アルベール2世は7月21日の建国記念日をもってフィリップ王子に譲位すると表明した[2]。当日、アルベール2世の退位布告への署名の後、フィリップは即位の宣誓を行い、予定通り第7代ベルギー国王に即位した[3]

用心深く付き合いづらい性格といわれ、言語戦争とも呼ばれる国内の分離独立運動に対しては、寛大で友好的だった父アルベール2世のような政治的手腕を発揮できないのではという指摘もある[1]。アルベール2世が譲位に踏み切った背景には、国王としての年齢的な理由もさることながら、まだ自身の目の黒いうちに政治に関する経験の浅いフィリップに少しでも多くの政治経験を積ませるための配慮があり、2014年に予定されている次の総選挙の1年前というタイミングを選ぶに至ったとみる向きもある[4]

日本との関係

ブリュッセルで行われた1999年12月の成婚式には、日本から皇太子徳仁親王と同雅子妃が参列している。

2002年6月には夫妻で来日し、FIFAワールドカップ日本代表ベルギー代表戦(埼玉スタジアム2002)を皇太子夫妻とともに観戦した[5]

2005年6月には愛・地球博賓客として来日した[6]

2012年6月に300人のベルギー人ビジネスマンを連れて夫妻で来日、日本とベルギーの経済関係の強化の働きかけを行ったほか、マティルド妃は東日本大震災の被災地宮城県を訪問した[7]

2016年10月11日から14日まで、マチルド王妃とともに国王として初来日(国賓)。

子女

出典

  1. ^ a b Claire ROSEMBERG; Philippe SIUBERSKI (2013年7月22日). “ベルギー新国王を迎える政治的時限爆弾”. AFPBB News. http://www.afpbb.com/article/life-culture/life/2957221/11065008 2013年7月22日閲覧。 
  2. ^ ベルギー国王が退位を表明、21日に皇太子に譲位AFP通信 2013年7月3日 2013年7月5日閲覧)
  3. ^ “ベルギー新国王が即位 「言語対立」統合に期待”. 産経新聞. (2013年7月21日). http://sankei.jp.msn.com/world/news/130721/erp13072117130002-n1.htm 2013年7月22日閲覧。 
  4. ^ “ベルギー国王が退位を表明、21日に皇太子に譲位”. AFPBB News. (2013年7月4日). http://www.afpbb.com/article/politics/2954177/11002270 2013年7月23日閲覧。 
  5. ^ 外務省公式ウェブサイト
  6. ^ ベルギー王国フィリップ皇太子殿下の訪日について外務省公式ウェブサイト
  7. ^ フィリップ・ベルギー王国皇太子同妃両殿下の来日外務省公式ウェブサイト

外部リンク