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'''池邉 啓二'''(いけべ けいじ、[[1982年]][[8月23日]] - )は、日本の社会人野球選手([[外野手]]左投げ左打ち)である。[[JX-ENEOS野球部]]に所属していた。背番号10。
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高校卒業後は、{{by|2001年}}に[[慶應義塾大学]]に進学[[慶応義塾大学野球部|硬式野球部]]に入部する。1年次からリーグ戦に出場するも、高校時代と比べて成績が振るわなかった<ref name ="eneos"/>。これについては大学時代は(高校時代と比べて)自主性を重んじる風潮で練習量が少なかったことが原因であったためであり<ref name ="eneos"></ref>、練習量を増やすと成績は向上し<ref name="eneos"/>、4年次春リーグではベストナインに輝き<ref name ="eneos"/>、4年次秋リーグでは優勝を経験する。


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その後も、{{by|2014年}}までの在籍した10年間全てで[[都市対抗野球大会]]に出場<ref>自チーム7回・補強選手3回(2005年…[[三菱ふそう川崎硬式野球部|三菱ふそう川崎]]、2006年・2010年…[[東芝硬式野球部|東芝]])</ref>、優勝を5回経験(自チーム3回・補強選手2回)。社会人ベストナインを3度獲得し、また大学・社会人を通じて9回の日本代表選出経験を持つなど、[[西郷泰之]]に次ぐ社会人野球を代表する野手として「'''ミスター社会人'''」と呼ばれた。
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[[2014年]]、秋季神奈川県大会終了後に引退することを発表した<ref>[http://www.kanaloco.jp/article/78723/cms_id/105453 JXの池辺、今季限りで現役引退] [[神奈川新聞]]2014年10月8日掲載 2014年10月9日閲覧</ref><ref>[http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2014/10/09/kiji/K20141009009072270.html “ミスター社会人”池辺が有終V! 代打で凡退も「僕らしい終わり方」] スポニチアネックス 2014年10月9日掲載</ref>。今後はJXで社業に就く。
==日本代表キャリア==

== 日本代表キャリア ==
*[[第2回世界大学野球選手権日本代表]]([[2004年]])
*[[第2回世界大学野球選手権日本代表]]([[2004年]])
*[[第23回アジア野球選手権大会日本代表]]([[2005年]])
*[[第23回アジア野球選手権大会日本代表]]([[2005年]])
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*[[第39回IBAFワールドカップ日本代表]]([[2011年]])
*[[第39回IBAFワールドカップ日本代表]]([[2011年]])


==主な表彰・タイトル==
== 主な表彰・タイトル ==
*[[第76回都市対抗野球大会]](2005年)若獅子賞・大会優秀選手(外野手)
*[[第76回都市対抗野球大会]](2005年)若獅子賞・大会優秀選手(外野手)
*[[第33回社会人野球日本選手権大会]](2006年)大会優秀選手(外野手)
*[[第33回社会人野球日本選手権大会]](2006年)大会優秀選手(外野手)
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*[[都市対抗野球大会]]10年連続出場(2014年)
*[[都市対抗野球大会]]10年連続出場(2014年)


==脚注==
== 脚注 ==
<references />
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2014年11月13日 (木) 18:55時点における版

池邉 啓二
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 和歌山県
生年月日 (1982-08-23) 1982年8月23日(42歳)
身長
体重
180 cm
80 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 外野手
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

池邉 啓二(いけべ けいじ、1982年8月23日 - )は、日本の元社会人野球選手(外野手)。左投げ左打ち。JX-ENEOS野球部に所属していた。背番号10。和歌山県出身。

経歴

和歌山市立高積中時代はライトで八番であった[1]。そのため、強豪校である智辯和歌山高から野球推薦の話があった時は非常に驚いたという[1]

智辯和歌山高に進学すると、2年次には1999年夏の甲子園で5番を打ちベスト4。新チームからは4番を任され、3年次には2000年春の甲子園で2試合連続本塁打を放ち準優勝、同年夏の甲子園では優勝メンバー入りを果たした。武内晋一は高校の1年後輩にあたる。高校通算41本塁打。

高校卒業後は、2001年慶應義塾大学に進学し硬式野球部に入部する。1年次からリーグ戦に出場するも、高校時代と比べて成績が振るわなかった[1]。これについては大学時代は(高校時代と比べて)自主性を重んじる風潮で練習量が少なかったことが原因であったためであり[1]、練習量を増やすと成績は向上し[1]、4年次春リーグではベストナインに輝き[1]、4年次秋リーグでは優勝を経験する。

大学卒業後は、2005年社会人野球新日本石油ENEOSに入団。同年シーズンのスタートにあたるJABA東京スポニチ大会で新人賞を獲得するなど活躍を続け、ルーキーイヤーに社会人ベストナインを獲得した。

その後も、2014年までの在籍した10年間全てで都市対抗野球大会に出場[2]、優勝を5回経験(自チーム3回・補強選手2回)。社会人ベストナインを3度獲得し、また大学・社会人を通じて9回の日本代表選出経験を持つなど、西郷泰之に次ぐ社会人野球を代表する野手として「ミスター社会人」と呼ばれた。

2014年、秋季神奈川県大会終了後に引退することを発表した[3][4]。今後はJXで社業に就く。

日本代表キャリア

主な表彰・タイトル

脚注

  1. ^ a b c d e f JX-ENEOS野球部HPあの人が語る ~わが青春に悔いなし~第3回 池辺 啓二 ~智辯和歌山の大砲~”. 2014年10月10日閲覧。
  2. ^ 自チーム7回・補強選手3回(2005年…三菱ふそう川崎、2006年・2010年…東芝
  3. ^ JXの池辺、今季限りで現役引退 神奈川新聞2014年10月8日掲載 2014年10月9日閲覧
  4. ^ “ミスター社会人”池辺が有終V! 代打で凡退も「僕らしい終わり方」 スポニチアネックス 2014年10月9日掲載