「ユルゲン・コーラー」の版間の差分
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2013年2月14日 (木) 13:56時点における版
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名前 | ||||||
愛称 | 鋼のストッパー、Fussballgott | |||||
ラテン文字 | Jürgen Kohler | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | ドイツ | |||||
生年月日 | 1965年10月6日(59歳) | |||||
出身地 | ランプスハイム | |||||
身長 | 186cm | |||||
体重 | 87kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | DF | |||||
利き足 | 右足 | |||||
代表歴 | ||||||
1986-1998 | ドイツ | 105 (2) | ||||
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
ユルゲン・コーラー(Jürgen Kohler、1965年10月6日 - )は、ドイツ(旧西ドイツ)・ランプスハイム出身の元サッカー選手。選手時代のポジションはディフェンダー。現役時代は「鋼のストッパー」の異名で知られた名ディフェンダーであった。
略歴
1977年、地元のクラブチームであるTBヤーン・ランプシャイムでキャリアをスタート。SVヴァルトホーフ・マンハイム在籍中の1986年9月26日のデンマークで当時の西ドイツ代表としてデビューを飾る。翌年には当時ドイツ・ブンデスリーガのトップチームであった1.FCケルンへ移籍。クリストフ・ダウム監督の下、国際レベルのディフェンダーに成長。さらに1989年にはバイエルン・ミュンヘンに移籍し、着実にドイツを代表するプレーヤーへと成長を遂げた。
1990年にはワールドカップ・イタリア大会に出場し、優勝に貢献。翌年にはセリエA・ユヴェントスFCへの移籍を果たし、マンツーマンディフェンスを重視するジョバンニ・トラパットーニ監督の下、全幅の信頼を獲得し、世界最高のストッパーと称され、セリエAでは最優秀外国人選手賞を獲得する。ただ、94年に就任したマルチェロ・リッピ監督の下では、ロベルト・バッジョ同様冷遇され、翌年・ドイツへ帰国。
その後代表としては1994年のワールドカップ・アメリカ大会、UEFA欧州選手権1996、1998年のワールドカップ・フランス大会に出場。クラブチームでは1995年にボルシア・ドルトムントへ移籍し、2002年に選手生活から引退した。引退試合となった2002年UEFAカップ決勝のフェイエノールト戦では、一発退場処分という結果となった。これに関してコーラーは「服についた小さなシミみたいなものだ」と振り返っている
引退後、ドイツU-21代表監督、バイエル・レバークーゼンのスポーツディレクター、MSVデュイスブルク監督などを歴任したが、いずれも良い結果を残すことは出来ず、全て短期間で退いていた。
2008年の夏よりドイツ3部に所属するVfRアーレンの監督に就任したが、わずか3カ月で辞任。同クラブのスポーツディレクターに就任している。
所属クラブ
- 1977-1983 TBヤーン・ランプスハイム
- 1983-1987 SVヴァルトホーフ・マンハイム
- 1987-1989 1.FCケルン
- 1989-1991 バイエルン・ミュンヘン
- 1991-1995 ユヴェントスFC
- 1995-2002 ボルシア・ドルトムント
獲得タイトル
- FIFAワールドカップ優勝:1回 1990
- UEFA欧州選手権
- トヨタカップ:1回 1997
- UEFAチャンピオンズリーグ優勝:1回 1997
- UEFAカップ
- 優勝:1回 1993
- 準優勝:1回 2002
- ドイツ・ブンデスリーガ優勝:3回 1990、1996、2002
- セリエA優勝:1回 1995
- コッパ・イタリア優勝:1回 1995
- イタリア・スーパーカップ優勝:1回 1995
エピソード
ドイツでよく使われる「サッカーの神」(Fussballgott)という言葉は元々コーラーのために謳われた愛称。ボルシア・ドルトムントの一員として1996-97シーズンのチャンピオンズリーグ準決勝、マンチェスター・ユナイテッド戦において、相手フォワードのエリック・カントナの繰り出すシュートを様々な体勢(1度はピッチに倒れたまま)からブロックし危機を救った。この活躍がドイツのサッカーファンの心を打ち、「ユルゲン・コーラー、サッカーの神!」("Jürgen Kohler, Fussballgott!")とドイツ中のサポーターが謳う様になった。
その後、ドイツ・ブンデスリーガで活躍した他の選手などにも頻繁に「サッカーの神」と謳われる様になったが、「ユルゲン・コーラーこそ唯一のサッカーの神だ!」("Jürgen Kohler ist der einzige Fussballgott!")と他選手にも同じ愛称をつける事に反発するサポーターも多い。