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「ブレムセブルー条約」の版間の差分

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これは当時、継続していた[[三十年戦争]]に対しても、[[女王]]は同様に戦争終結を主点に置いていた。この条約にしても、女王の示した態度は、寛大でありすぎたと言えなくもない。
これは当時、継続していた[[三十年戦争]]に対しても、[[女王]]は同様に戦争終結を主点に置いていた。この条約にしても、女王の示した態度は、寛大でありすぎたと言えなくもない。


とは言え、この戦争と条約は、スウェーデンとデンマークの立場を全く逆転させるものであった事は間違いない。デンマークは、[[バルト海]]から追いやられ、スウェーデンがバルト海で[[覇権]]を確立したのである。この条約をもって、スウェーデンはバルト海の盟主、「'''[[バルト帝国]]'''」の主人となった事は、明白な事実となった。
とは言え、この戦争と条約は、スウェーデンとデンマークの立場を全く逆転させるものであった事は間違いない。デンマークは、[[バルト海]]から追いやられ、スウェーデンがバルト海で[[覇権]]を確立したのである。この条約をもって、スウェーデンはバルト海の盟主、「'''[[バルト帝国]]'''」の主人となった事は、明白な事実であった。


[[Category:スウェーデンの歴史|ふれむせふるしようやく]]
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2006年2月17日 (金) 02:42時点における版

ブレムセブルー条約(ブロムセブロー条約とも言う)とは、トルシュテンソン戦争の結果、1645年2月8日スウェーデンデンマーク両国に締結された和平条約である。

デンマークは、スウェーデンに、ノルウェー領のイェムトランド、ハルイェダーレン、ハランドを割譲した。デンマーク本領からは、エーレスンド海峡の自由通航権及びゴットランドを割譲している。

スウェーデンは、スカンディナヴィア半島南端スコーネ地方を占領していたが、これは返還された。この領土策定に関しては、スウェーデン宰相オクセンシェルナら、幕僚には不満があったとされている。この頃になると、グスタフ・アドルフの遺児クリスティーナ親政を開始し、オクセンシェルナら守旧派を疎んじ始めたからである。この戦争においても、戦争終結をまず前面に押し出し、デンマークへの和解を急がせている。 これは当時、継続していた三十年戦争に対しても、女王は同様に戦争終結を主点に置いていた。この条約にしても、女王の示した態度は、寛大でありすぎたと言えなくもない。

とは言え、この戦争と条約は、スウェーデンとデンマークの立場を全く逆転させるものであった事は間違いない。デンマークは、バルト海から追いやられ、スウェーデンがバルト海で覇権を確立したのである。この条約をもって、スウェーデンはバルト海の盟主、「バルト帝国」の主人となった事は、明白な事実であった。