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2012年12月2日 (日) 00:35時点における版

臥龍橋
基本情報
日本の旗 日本
所在地 山形県寒河江市]
交差物件 寒河江川
建設 1937年
座標 北緯38度24分26.7秒 東経140度14分22.6秒 / 北緯38.407417度 東経140.239611度 / 38.407417; 140.239611
構造諸元
形式 アーチ
材料 鉄筋コンクリート
全長 52m
5.5m
関連項目
橋の一覧 - 各国の橋 - 橋の形式
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臥龍橋(がりゅうきょう)は、山形県寒河江市の山形県道379号日和田松川線にあるで、日本百名橋の1つである。かつて刎橋であったことで知られる。

概要

右岸には移設された白岩龍脊橋の碑があり、左岸には白岩トンネルがある。

出羽三山の巡礼者が通る「六十里越街道」にあたり、1年間におよそ3万人が往来したという。1827年(文政2年)8月に代官の手代・相沢恭昌が担当となり、長さ43.6m、幅4.5m、両岸とも4段の刎橋が架けられ、名所となった。1858年(安政5年)に同仕様の架けかえを経て、1889年(明治22年)に木造アーチ橋に架けかえられた。なお、『白岩本郷絵図』には、刎橋とみられる橋が描かれており、文政より前に刎橋が架けられた可能性がある。

歴史

寒河江川の流れが速いため、橋の位置と橋名は文政の刎橋まで変動し、少なくとも13回の架け替えが行われた。また、渡船の時期もあった。

現在の橋は1937年(昭和12年)に鉄筋コンクリート製アーチ橋として架けかえられたもので、スパン長は日本国内3位だった。1968年(昭和43年)、南西側に新臥龍橋が架けられた。

参考文献

  • 松村博『日本百名橋』鹿島出版会

関連項目