「呂三型潜水艦」の版間の差分
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:::(心得)高塚省吾 大尉:1922年5月2日 - 1923年12月1日 |
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:::(心得)大橋龍男 大尉:1924年5月30日 - 1925年12月1日 |
:::(心得)大橋龍男 大尉:1924年5月30日 - 1925年12月1日 |
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* [[呂号第五潜水艦]] |
* [[呂号第五潜水艦]] |
2012年7月12日 (木) 13:43時点における版
呂三型潜水艦(F2型) | |
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艦級概観 | |
艦種 | 二等潜水艦 |
艦名 | |
前級 | 呂一型潜水艦(F1型) |
次級 | - |
性能諸元 | |
排水量 | 基準:689トン 常備:740トン 水中:1,047トン |
全長 | 65.58m |
全幅 | 6.07m |
吃水 | 4.04m |
機関 | フィアット式ディーゼル2基2軸 水上:2,600馬力 水中:1,200馬力 |
速力 | 水上:14.27kt 水中:8.01kt |
航続距離 | 水上:10ktで3,500海里 水中:4ktで75海里 |
燃料 | 重油 |
乗員 | 43名 |
兵装 | 機銃1挺 45cm魚雷発射管 艦首3門、艦尾2門 魚雷8本 |
備考 | 安全潜航深度:30.5m |
呂三型潜水艦(ろさんがたせんすいかん)は、大日本帝国海軍の潜水艦の艦級。F2型(エフにがた)とも。同型艦3隻。
概要
各国から輸入した潜水艦の運用実績により呂一型潜水艦(F1型)を改良して建造したものである。基本的な能力に差はないが、問題点であった船体が強化されている。また主機は国内でライセンス生産したものを搭載したがその信頼性は低かったという。これらの問題点もあり建造は3隻で打ち切られている。
兵装は7.5cm砲にかわって機銃1挺を装備した。
建造は呂一型と同じ川崎造船所で1922年(大正11年)に3隻竣工、竣工時の名称は第三一潜水艦、第三二潜水艦、第三三潜水艦である。実戦に投入されることはなく、全艦老齢化により、1932年(昭和7年)に除籍。
同型艦
- 1922年(大正11年)7月15日竣工(神戸川崎)。竣工時の艦名は第三一潜水艦。1924年(大正13年)11月1日呂号第三潜水艦に改称。1932年(昭和7年)4月1日除籍。
- 艦長
- 吉富説三 少佐:1925年12月1日 - 1926年11月5日
- 艦長
- 1922年(大正11年)5月5日竣工(神戸川崎)。竣工時の艦名は第三二潜水艦。1924年(大正13年)11月1日呂号第四潜水艦に改称。1932年(昭和7年)4月1日除籍。
- 艤装員長
- (心得)樋口修一郎 大尉:1921年7月1日 - 1922年1月10日
- (心得)高塚省吾 大尉:1922年1月10日 - 1922年5月2日
- 艦長
- (心得)高塚省吾 大尉:1922年5月2日 - 1923年12月1日
- (心得)森野草六郎 大尉:1923年12月1日 - 1924年5月30日
- (心得)大橋龍男 大尉:1924年5月30日 - 1925年12月1日
- 艤装員長
- 1922年(大正11年)3月9日竣工(神戸川崎)。竣工時の艦名は第三三潜水艦。1924年(大正13年)11月1日呂号第五潜水艦に改称。1932年(昭和7年)4月1日除籍。
- 艦長
- 横山菅雄 少佐:1922年9月20日 - 1923年3月10日
- (心得)森徳治 大尉:1923年3月10日 - 10月20日
- 艦長
参考文献
- 雑誌「丸」編集部『写真 日本の軍艦 第12巻 潜水艦』(光人社、1990年) ISBN 4-7698-0462-8
脚注