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また[[アイスホッケーチェコスロバキア代表|チェコスロバキア代表]]の主力としても活躍し、国際試合289試合に出場し155得点をあげている。[[アイスホッケー世界選手権]]に1970年から1981年まで代表として出場し優勝3回、オールスターに4回選ばれた。102試合で110ポイント(52得点、58アシスト)は歴代7位の記録となっている<ref>{{cite web|url=http://old.radio.cz/en/html/ms_statistika.html |title=Ice Hockey World Championship 2004 |publisher=old.radio.cz |accessdate=2011-08-20 }}</ref>。1976年には10試合に出場し20ポイントをあげた。 |
また[[アイスホッケーチェコスロバキア代表|チェコスロバキア代表]]の主力としても活躍し、国際試合289試合に出場し155得点をあげている。[[アイスホッケー世界選手権]]に1970年から1981年まで代表として出場し優勝3回、オールスターに4回選ばれた。102試合で110ポイント(52得点、58アシスト)は歴代7位の記録となっている<ref>{{cite web|url=http://old.radio.cz/en/html/ms_statistika.html |title=Ice Hockey World Championship 2004 |publisher=old.radio.cz |accessdate=2011-08-20 }}</ref>。1976年には10試合に出場し20ポイントをあげた。 |
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また[[オリンピックアイスホッケー競技|オリンピック]]にも[[札幌オリンピックにおけるアイスホッケー競技|札幌オリンピック]]、[[インスブルックオリンピック (1976年) におけるアイスホッケー競技|インスブルックオリンピック]]、[[レークプラシッドオリンピック (1980年) におけるアイスホッケー競技|レーク |
また[[オリンピックアイスホッケー競技|オリンピック]]にも[[札幌オリンピックにおけるアイスホッケー競技|札幌オリンピック]]、[[インスブルックオリンピック (1976年) におけるアイスホッケー競技|インスブルックオリンピック]]、[[レークプラシッドオリンピック (1980年) におけるアイスホッケー競技|レークプラシッドオリンピック]]と3回出場、銀メダル1個、銅メダル1個を獲得した。また1976年の[[カナダカップ (アイスホッケー)|カナダカップ]]では7試合に出場し3得点、4アシストをあげた。 |
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[[ドイツ連邦共和国|西ドイツ]]の[[カウフボイレン]]のコーチに就任、1985年には選手としても復帰、1986年から1989年まで古巣のパルドゥビツェのコーチを務めた。 |
[[ドイツ連邦共和国|西ドイツ]]の[[カウフボイレン]]のコーチに就任、1985年には選手としても復帰、1986年から1989年まで古巣のパルドゥビツェのコーチを務めた。 |
2011年8月21日 (日) 10:22時点における版
獲得メダル | ||
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チェコスロバキア | ||
男子アイスホッケー | ||
オリンピック | ||
銀 | 1972 札幌 | 団体 |
銅 | 1976 インスブルック | 団体 |
アイスホッケー世界選手権 | ||
銅 | 1970 ストックホルム | 団体 |
銀 | 1971 スイス | 団体 |
金 | 1972 プラハ | 団体 |
銅 | 1973 モスクワ | 団体 |
銀 | 1974 ヘルシンキ | 団体 |
銀 | 1975 西ドイツ | 団体 |
金 | 1976 カトヴィツェ | 団体 |
金 | 1977 ウィーン | 団体 |
銀 | 1978 プラハ | 団体 |
銀 | 1979 モスクワ | 団体 |
銅 | 1981 スウェーデン | 団体 |
ヴラジミール・マルチネッツ(Vladimír Martinec 1949年12月22日- )はチェコスロバキアのリベレツ州出身のアイスホッケー選手。ポジションはライトウィング。チェコスロバキアの最優秀ホッケー選手に与えられるゴールデン・ホッケー・スティックに4回選ばれた。
チェコスロバキア1部リーグのパルドゥビツェで1967年から1981年までのキャリアの大部分をプレーした(1978年から1979年まではイフラヴァでプレー)。この間539試合に出場し343得点をあげた。
またチェコスロバキア代表の主力としても活躍し、国際試合289試合に出場し155得点をあげている。アイスホッケー世界選手権に1970年から1981年まで代表として出場し優勝3回、オールスターに4回選ばれた。102試合で110ポイント(52得点、58アシスト)は歴代7位の記録となっている[1]。1976年には10試合に出場し20ポイントをあげた。
またオリンピックにも札幌オリンピック、インスブルックオリンピック、レークプラシッドオリンピックと3回出場、銀メダル1個、銅メダル1個を獲得した。また1976年のカナダカップでは7試合に出場し3得点、4アシストをあげた。
西ドイツのカウフボイレンのコーチに就任、1985年には選手としても復帰、1986年から1989年まで古巣のパルドゥビツェのコーチを務めた。
受賞
- 世界選手権優勝3回(1972年、1976年、1979年)
- 世界選手権オールスター4回(1974年-1977年)
- 世界選手権得点王及び最優秀フォワード(1976年)
- 国際アイスホッケー連盟殿堂(2001年)
- イズベスチヤ杯得点王及び最優秀フォワード(1979年)[2]
- チェコスロバキアリーグ優勝1回(1973年)
- チェコスロバキアリーグ得点王(1979年、42得点)[3]
- ゴールデン・ホッケー・スティック4回(1973年、1975年、1976年、1979年)
脚注
- ^ “Ice Hockey World Championship 2004”. old.radio.cz. 2011年8月20日閲覧。
- ^ “ISVESTIA TOURNAMENT: 1970-1980”. chidlovski.com. 2011年8月20日閲覧。
- ^ “Czechoslovakia 1978/79”. hokej.snt.cz. 2011年8月20日閲覧。
外部リンク
受賞 | ||
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先代 フランティセク・ポスピシル |
ゴールデン・ホッケー・スティック 1973年 |
次代 イジー・ホレセク |
先代 イジー・ホレセク |
ゴールデン・ホッケー・スティック 1975年, 1976年 |
次代 ミラン・ノヴィー |
先代 イヴァン・フリンカ |
ゴールデン・ホッケー・スティック 1979年 |
次代 ペテル・シュチャストニー |