「三浦泰年」の版間の差分
Dabbler~jawiki (会話 | 投稿記録) m →個人成績 |
|||
128行目: | 128行目: | ||
{{1994 FIFAワールドカップ アジア地区最終予選日本代表}} |
{{1994 FIFAワールドカップ アジア地区最終予選日本代表}} |
||
{{静岡FCのメンバー}} |
|||
{{DEFAULTSORT:みうら やすとし}} |
{{DEFAULTSORT:みうら やすとし}} |
2010年2月15日 (月) 13:39時点における版
| ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
名前 | ||||||
愛称 | ヤス | |||||
カタカナ | ミウラ ヤストシ | |||||
ラテン文字 | MIURA Yasutoshi | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1965年7月15日(59歳) | |||||
出身地 | 静岡県静岡市 | |||||
身長 | 171cm | |||||
体重 | 69kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | DF/MF | |||||
利き足 | 右足 | |||||
代表歴 | ||||||
1993 | 日本 | 3 (0) | ||||
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
三浦 泰年(みうら やすとし、1965年7月15日 - )は、静岡県静岡市(現・静岡市葵区)出身の元サッカー選手、サッカー解説者。通称はヤス。
"カズ"こと現・横浜FCの三浦知良は実弟。二人合わせて「ヤスカズ兄弟」とも称される。
マネジメントはレプロエンタテインメントが行っている。
略歴
1984年に静岡学園高校を卒業後、ブラジルのサントスFCでのサッカー留学を経て、1986年に読売サッカークラブ(現・東京ヴェルディ)に入団。1990年に入団する実弟・三浦知良(カズ)とともに日本リーグ最終盤期を支えた。
Jリーグ発足に伴い、1992年に前身となるチームを持たず新規に立ち上げられた清水エスパルスに移籍し初代主将を務めることとなった。『清水東三羽烏』と呼ばれた堀池巧、長谷川健太、大榎克己らとともに清水の主力選手だったが、1996年にヴェルディ川崎に復帰した。
しかし1998年はリーグ戦出場16試合と出場機会が減り、シーズン終了後に戦力外通告を受ける。1999年にアビスパ福岡に移籍。精神的支柱として貢献したが、2001年には最終節でのJ2降格を経験。これを受け2002年からはJ1のヴィッセル神戸に移籍。神戸では読売・V川崎時代に続き3度目となる「カズとの兄弟チームメイト」となったが、出場機会を多くは得られず2003年シーズンを最後に現役引退。
翌年からは新たに三木谷浩史代表取締役によるクリムゾングループによる運営となった"新生"ヴィッセル神戸で『チーム統括本部長』に招かれチームの強化を担当する事となった。しかし監督や選手の入退団が多くなり、2005年途中には成績不振の対策として清水時代から親交のあるエメルソン・レオン監督をブラジルから獲得し、自らも統括本部長からコーチに肩書きを変えベンチ入りして指導に当たるなどしたが、チームはシーズン中最下位を抜け出せずに事態は好転せず、レオン監督解任と同時に神戸を退団した(神戸はこの年J2へ降格)。
2006年より、父・納谷宣雄がGMを務めている静岡FCのテクニカルアドバイザー(総監督)に就任している。そのほか、週刊サッカーダイジェスト紙での解説記事の執筆、サッカー中継の解説や、PUMAの主催するサッカー教室のコーチなどの活動もしている。
試合解説時ではピッチ上の選手や監督の視点に立って選手のプレーを評価する傾向にある。そうした解説スタイルは時に辛辣さを含む。 また、得点機になると「入った!!」と歓声をあげることがあるが、実際には得点に至らないことが多い。また、解説よりはゲストとして応援、感想を述べることが多い。特に当人が好きなアーセナルの試合では顕著で、アーセナル贔屓の発言が多くなり、相手のチームに関しては一切解説しなくなる。
所属クラブ
- 1981年-1983年 静岡学園高校
- 1984年-1985年 サントスFC(ブラジル)
- 1986年-1992年 読売クラブ
- 1992年-1995年 清水エスパルス
- 1996年-1998年 ヴェルディ川崎
- 1999年-2001年 アビスパ福岡
- 2002年-2003年 ヴィッセル神戸
個人成績
このテンプレートは利用者空間内にあるため使用しないで下さい。:今後はコピー先のTemplate:サッカー選手国内成績表_topを使用して下さい。 |
国内大会個人成績 | |||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
ブラジル | リーグ戦 | ブラジル杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
1984 | サントス | 全国選手権 | |||||||||
1985 | サントス | 全国選手権 | |||||||||
日本 | リーグ戦 | JSL杯/ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
1986-87 | 読売 | JSL1部 | 5 | 1 | |||||||
1987-88 | 読売 | JSL1部 | 13 | 1 | |||||||
1988-89 | 読売 | JSL1部 | 15 | 2 | |||||||
1989-90 | 読売 | JSL1部 | 19 | 0 | |||||||
1990-91 | 読売 | 7 | JSL1部 | 22 | 1 | 2 | 0 | ||||
1991-92 | 読売 | 7 | JSL1部 | 7 | 0 | 5 | 0 | ||||
1992 | 清水 | - | J | - | 11 | 0 | 2 | 1 | 13 | 1 | |
1993 | 清水 | - | J | 19 | 1 | 4 | 0 | 4 | 0 | 27 | 1 |
1994 | 清水 | - | J | 37 | 2 | 1 | 0 | 1 | 0 | 39 | 2 |
1995 | 清水 | - | J | 48 | 2 | - | 1 | 0 | 49 | 1 | |
1996 | V川崎 | - | J | 19 | 1 | 15 | 0 | 5 | 2 | 39 | 3 |
1997 | V川崎 | 15 | J | 21 | 0 | 5 | 0 | 1 | 0 | 27 | 0 |
1998 | V川崎 | 15 | J | 16 | 0 | 2 | 1 | 2 | 0 | 20 | 1 |
1999 | 福岡 | 28 | J1 | 23 | 4 | 3 | 0 | 2 | 1 | 28 | 5 |
2000 | 福岡 | 5 | J1 | 25 | 1 | 1 | 0 | 2 | 1 | 28 | 2 |
2001 | 福岡 | 5 | J1 | 26 | 0 | 4 | 0 | 1 | 0 | 31 | 0 |
2002 | 神戸 | 21 | J1 | 7 | 0 | 1 | 0 | 1 | 0 | 9 | 0 |
2003 | 神戸 | 21 | J1 | 17 | 5 | 5 | 0 | ||||
通算 | ブラジル | 全国選手権 | |||||||||
日本 | J1 | 258 | 11 | 52 | 1 | ||||||
日本 | JSL1部 | 81 | 5 | ||||||||
総通算 |
代表歴
試合数
- 国際Aマッチ 3試合 0得点(1993)
日本代表 | 国際Aマッチ | その他 | 期間通算 | |||
---|---|---|---|---|---|---|
年 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 |
1993 | 3 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 |
通算 | 3 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 |
外部参照リンク
J1記念ゴール | ||
前回: 2500ゴール 江尻篤彦 |
3000ゴール 三浦泰年 1996.8.28 |
次回: 3500ゴール 高木琢也 |