「ハロルド・マクミラン」の版間の差分
MelancholieBot (会話 | 投稿記録) m ロボットによる 追加: gl:Harold Macmillan, oc:Harold Macmillan |
XeBot~jawiki (会話 | 投稿記録) m ロボットによる 追加: ar:هارولد ماكميلان |
||
84行目: | 84行目: | ||
[[Category:1986年没]] |
[[Category:1986年没]] |
||
[[ar:هارولد ماكميلان]] |
|||
[[be:Гаральд Макмілан]] |
[[be:Гаральд Макмілан]] |
||
[[ca:Harold Macmillan]] |
[[ca:Harold Macmillan]] |
2009年8月2日 (日) 23:12時点における版
ハロルド・マクミラン Maurice Harold Macmillan | |
ファイル:Macmillan cph.3b40592.jpg | |
イギリス
第65代 首相 | |
任期 | 1957年1月11日 – 1963年10月19日 |
---|---|
出生 | 1894年2月10日 イングランド、チェルシー |
死去 | 1986年12月29日(92歳没) イングランド |
政党 | 保守党 |
ハロルド・マクミラン(Maurice Harold Macmillan, 1894年2月10日 - 1986年12月29日)は、イギリスの政治家。第二次世界大戦後、保守党内閣の国防相、外相、蔵相を歴任し、首相(在任1957年1月~1963年10月)を務めた。 1984年ストックトン伯爵に叙せられる。
経歴
首相就任まで
1894年2月10日イギリスのロンドンで生まれる。彼の生まれたマクミラン家は出版社を代々経営する一家として有名である。イートン校、オックスフォード大学ベリオール・カレッジを卒業し、第一次世界大戦には陸軍大尉として従軍した。ソンムの戦いでは至近距離から銃弾を受けて重傷を負い、この傷は生涯彼の体に残った。そのため、彼には少し体を斜めにして歩く癖があり、時々痛みに苦しむこともあった[1]。
1924年庶民院議員として政界入りした。第2次チャーチル内閣で初めて住宅相として閣僚入りし、名声を博す。54年には国防相に就任。イーデン内閣では外相に任命されるものの、数ヶ月でポストを外され、蔵相に異動させられてしまう。これにより、次期首相の芽はなくなったとまで言われたが、このおかげで外相としてスエズ危機の責任を負うことを免れている。
首相時代
1957年、アンソニー・イーデン首相がスエズ動乱でイギリス軍の出兵が国際的に非難を浴び引責辞任する。後継者問題ではマクミランか、ラブ・バトラー外相の2人が有力だった。しかし、バトラーは長老議員の評判が悪かったこと、また、イーデン同様スエズ危機の責任もマイナスとなったため、ソ-ルズベリー卿らの女王への推薦により、首相に就任した。
外交面では、マクミランはイギリスが大英帝国の夢を捨てて、「小英国」としてヨーロッパの一員に相応しい路線を模索した。イギリスの欧州経済共同体(EEC)加盟を策するもシャルル・ド・ゴールに拒否され実現せず、結局1960年に欧州自由貿易連合(EFTA)を発足させた。また、スエズ危機で冷えこんだアメリカとの関係修復にも力を注ぎ、アイゼンハワー大統領とは、サッチャー・レーガン時代並みの親しい親交を結んだ。マクミランは第2次大戦中に北アフリカ総督代理を務めており、ヨーロッパ戦線の最高司令官だったアイゼンハワーとは旧知の仲で、非常にウマがあったという[2]。さらに、ケネディ大統領とは親子ほど年齢が違う間ではあったが、非常に緊密な関係を保った。1960年アフリカ訪問時に有名な「いまや変革の風がこの大陸を吹きぬけている」という演説を行い、アフリカの英領植民地の独立を促すとともに、南アフリカのアパルトヘイト(人種隔離政策)を批判した。
内政面では、マクミランも戦後の保守党がとった市場経済と計画経済の混合した混合経済を志向し、イギリス国内の経済危機を乗り切ろうとし、1959年の総選挙で保守党を勝利に導いた。しかし、その後は、インフレーションと失業率が昂進し確実にイギリス病が国内経済を蝕んでいったことは否めない。1963年にプロヒューモ事件の責任を取って、総辞職した。
1986年12月29日ウェストサセックス州バーチグローブ(Birch Grove)で死去した。92歳。
関連項目
脚注
公職 | ||
---|---|---|
先代 ヒュー・ダルトン |
住宅・地方自治大臣 1951 – 1954 |
次代 ダンカン・サンディズ |
先代 ハロルド・アレキサンダー |
国防大臣 1954 – 1955 |
次代 セルウィン・ロイド |
先代 アンソニー・イーデン |
外務英連邦大臣 1955 | |
先代 ラブ・バトラー |
財務大臣 1955 – 1957 |
次代 ピーター・ソーニークロフト |
先代 アンソニー・イーデン |
イギリスの首相 1957 – 1963 |
次代 ダグラス=ヒューム |
党職 | ||
先代 アンソニー・イーデン |
保守党 (イギリス)党首 1957 – 1963 |
次代 ダグラス=ヒューム |
外交職 | ||
先代 新設 |
北アフリカ総督代理 1942 – 1945 |
次代 ハロルド・バルフォア |
学職 | ||
先代 E・F・L・ウッド |
オックスフォード大学学長 1960 – 1986 |
次代 ロイ・ジェンキンス |
イギリスの爵位 | ||
先代 新設 |
ストックトン伯爵 1984 – 1986 |
次代 アレクサンダー・マクミラン |