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=== 5歳 ===
=== 5歳 ===
[[2002年]]は中山記念から始動。60キロを背負ったこともあり、5着に敗れるが、再びアグネスデジタルと共に香港に渡り[[クイーンエリザベス2世カップ]]に出走、2番人気と3番人気であったが、アグネスデジタルを破り日本馬ワンツーを決める。しかし安田記念では5着、秋に入って連覇を狙った毎日王冠では[[マグナーテン]]の2着、[[天皇賞]]・秋では8着、マイルチャンピオンシップでは2着と日本国内では結果が出ず、年末は香港に渡り、今度は香港カップに出走したが内で終始包まれて抜けるに抜け出せず、脚を余して5着に敗れた。
[[2002年]]は中山記念から始動。60キロを背負ったこともあり、5着に敗れるが、再びアグネスデジタルと共に香港に渡り[[クイーンエリザベス2世カップ]]に出走、2番人気と3番人気であったが、アグネスデジタルを破り日本馬ワンツーを決める。しかし安田記念では5着、秋に入って連覇を狙った毎日王冠では[[マグナーテン]]の2着、[[天皇賞]]・秋では8着、マイルチャンピオンシップでは勝った[[トウカイポイント]]にクビ差およばずの2着と日本国内では結果が出ず、年末は香港に渡り、今度は香港カップに出走したが内で終始包まれて抜けるに抜け出せず、脚を余して5着に敗れた。


=== 6歳 ===
=== 6歳 ===

2009年3月11日 (水) 23:56時点における版

エイシンプレストン
2001年6月3日 東京競馬場
品種 サラブレッド
性別
毛色 鹿毛
生誕 1997年4月9日
グリーンダンサー
ワランティアプライド
生国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
生産者 ジョセフ E. ゲール
馬主 平井豊光
調教師 北橋修二
競走成績
生涯成績 32戦10勝
獲得賞金 4億9106万7000円
2460万香港ドル
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朝日杯3歳ステークス(1999年12月12日)

エイシンプレストンEishin Preston 香港表記:栄進寳蹄)は、日本競走馬である。現在は日本で種牡馬となっている。アメリカで生産され、日本で調教された外国産馬である。香港で国際G1を3勝したほか、1999年朝日杯3歳ステークスを制し、JRA賞最優秀3歳牡馬に選出されている。デビューから全ての競走で福永祐一が騎手を務めた。馬名の由来は冠名+アメリカの地名。

*馬齢表記が2001年で変更されたので、競走名を除き現在の表記で統一する。

現役時代

2歳

1999年11月6日京都競馬場でデビュー。この時はダイタクリーヴァに4馬身差をつけられる完敗の2着だったが、2戦目の折り返しの新馬戦に勝利。そして、1勝馬の身で朝日杯3歳ステークスに挑戦。2番手から抜け出した1番人気の公営・笠松所属馬でデイリー杯3歳ステークスを勝ったレジェンドハンターを中団から差し切り、1分34秒7のタイムで優勝。同年のJRA賞最優秀3歳牡馬(旧称。現在のJRA賞最優秀2歳牡馬)を受賞した。

3歳

2000年は初距離となる芝1800mのきさらぎ賞で始動。1番人気に支持されるが、8着に敗れる。しかし、マイル戦に戻ったアーリントンカップニュージーランドトロフィー4歳ステークスを連勝し、NHKマイルカップに期待がかかったが、レース前に骨折が判明し、半年の休養を余儀なくされる。

骨折が完治し、秋のスワンステークス復帰。ほぼ最後方から最速上がりを出して6着に追い込み、得意のマイル戦となるマイルチャンピオンシップで4番人気に支持されるが、5着に終わる。

4歳

2001年京都金杯から始動するが、14着に惨敗。ここで、陣営はダートを試してみることにし、根岸ステークスに出走。しかし、2秒4差の12着と再び惨敗。11着馬から6馬身離されてしまう。その後も中山記念5着、ダービー卿チャレンジトロフィー2着、京王杯スプリングカップ6着、安田記念10着と苦戦するが、そのまま続戦し、米子ステークスで1年2ヶ月ぶりの勝利。その勢いで北九州記念も勝利。関屋記念では3着に終わるが、秋に入り毎日王冠も制する。マイルチャンピオンシップはゼンノエルシドの2着に終わったが、年末、中華人民共和国の香港の沙田競馬場で行われる香港マイルに出走した。同馬は6番人気であったが、中段から鋭く伸びて2着に0.5秒差をつけて優勝。海外G1初制覇となった。 ちなみに、同日の香港ヴァーズステイゴールドが、香港カップアグネスデジタルが勝っており、日本調教馬が1日で3勝する活躍であった。

5歳

2002年は中山記念から始動。60キロを背負ったこともあり、5着に敗れるが、再びアグネスデジタルと共に香港に渡りクイーンエリザベス2世カップに出走、2番人気と3番人気であったが、アグネスデジタルを破り日本馬ワンツーを決める。しかし安田記念では5着、秋に入って連覇を狙った毎日王冠ではマグナーテンの2着、天皇賞・秋では8着、マイルチャンピオンシップでは勝ったトウカイポイントにクビ差およばずの2着と日本国内では結果が出ず、年末は香港に渡り、今度は香港カップに出走したが内で終始包まれて抜けるに抜け出せず、脚を余して5着に敗れた。

6歳

2003年は斤量などの問題で適鞍がなく、中山ダート1800Mで行われたフェブラリーステークスから始動するが、勝ったゴールドアリュールから6秒2も離されるシンガリ負け。4歳時の根岸ステークス同様、ダート適性の無さを見せた。その後、香港のクイーンエリザベス2世カップ連覇を目指すが、SARS問題が発生、香港にも渡航自粛勧告が出されるなど、遠征が危ぶまれたが、無事に遠征し、出走。1番人気に推され見事に連覇を達成する。

しかし、その後休養。秋に復帰するも毎日王冠3着、天皇賞・秋5着と結果が出ず、香港カップに出走するもファルブラヴの7着。結局このレースを最後に引退となった。

競走成績

  • 2歳時(1999年) - 3戦2勝
    • 朝日杯3歳ステークス(JRA-GI)
  • 3歳時(2000年) - 5戦2勝
    • ニュージーランドトロフィー4歳ステークス(JRA-GII)、アーリントンカップ(JRA-GIII)
  • 4歳時(2001年) - 12戦4勝
    • 香港マイル(国際G1)、毎日王冠(国際GII)、北九州記念(JRA-GIII)、マイルチャンピオンシップ(JRA-GI)2着
  • 5歳時(2002年) - 7戦1勝
    • クイーンエリザベス2世カップ(国際G1)、マイルチャンピオンシップ(JRA-GI)2着
  • 6歳時(2003年) - 5戦1勝
    • クイーンエリザベス2世カップ(国際G1)

通算JRA27戦7勝・香港5戦3勝

種牡馬時代

2004年より種牡馬として、北海道静内町レックススタッドで繁養され、48頭に種付けを行った。

2005年、ファーストクロップとなる産駒が誕生した。

2007年7月22日小倉競馬場で行われた2歳新馬戦でエーシンプリリードが勝利し、この勝利が中央・地方を通じた産駒の初勝利となった。

2009年より栄進牧場にて繁養される。

エイシンプレストン血統ニジンスキー系/Northern Dancer3×4=18.75%) (血統表の出典)

Green Dancer
1972 鹿毛
父の父
Nijinsky
1967 鹿毛
Northern Dancer Nearctic
Natalma
Flaming Page Bull Page
Flaring Top
父の母
Green Valley
1967 黒鹿毛
Val de Loir Vieux Manoir
Vali
Sly Pola Spy Song
Ampola

Warranty Applied
1986 栗毛
Monteverdi
1977 栗毛
Lyphard Northern Dancer
Goofed
Janina Match
Jennifer
母の母
Implied Warranty
1979 栗毛
Blood Royal Ribot
Natashka
Garden Fresh Better Self
Rosy Fingered F-No.3


先代
アドマイヤコジーン1998年
JRA賞最優秀3歳牡馬
1999年
次代
メジロベイリー2000年