コンテンツにスキップ

「草野豹一郎」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
一粒 (会話 | 投稿記録)
m編集の要約なし
8行目: 8行目:
草野が唱えた共同意思主体説によった最初の[[判例]]は、共産党地下組織の幹部が銀行襲撃を計画し、それを部下に指令、指令に応じて部下が襲撃した事案(1936年5月28日の大審院連合判決 刑集15巻 715頁)であるとされている。この共同意思主体説は、[[共犯]]現象を「共同意思主体の形成」による活動と見ることと、[[責任]]の帰属を共同者個人について論ずることと見ることは、[[民法]]の[[組合]]理論を引き合いに出して矛盾しないと正当化・理論化しているところにある。その後、団体理論を個人責任を旨とする刑法に持ち込んだことに批判の声が上がったため、[[判例]]では、「共同意思主体の形成」という理論化を回避する形で受け継がれている<ref>「-- 資料で学ぶ刑法総論 -- 刑法マテリアルズ」 [[西原春夫]]、[[新倉修]]、[[山口厚]]、[[井田良]]、[[松宮孝明]] [[柏書房]] P399~ </ref>。
草野が唱えた共同意思主体説によった最初の[[判例]]は、共産党地下組織の幹部が銀行襲撃を計画し、それを部下に指令、指令に応じて部下が襲撃した事案(1936年5月28日の大審院連合判決 刑集15巻 715頁)であるとされている。この共同意思主体説は、[[共犯]]現象を「共同意思主体の形成」による活動と見ることと、[[責任]]の帰属を共同者個人について論ずることと見ることは、[[民法]]の[[組合]]理論を引き合いに出して矛盾しないと正当化・理論化しているところにある。その後、団体理論を個人責任を旨とする刑法に持ち込んだことに批判の声が上がったため、[[判例]]では、「共同意思主体の形成」という理論化を回避する形で受け継がれている<ref>「-- 資料で学ぶ刑法総論 -- 刑法マテリアルズ」 [[西原春夫]]、[[新倉修]]、[[山口厚]]、[[井田良]]、[[松宮孝明]] [[柏書房]] P399~ </ref>。


弟子筋にあたる人物として、[[西原春夫]]、[[下村康正]]など現在まで多岐に渡る。
弟子筋にあたる人物として、[[西原春夫]](早大)、[[下村康正]](中大)など現在まで多岐に渡る。


== 著書 ==
== 著書 ==
14行目: 14行目:
* 『刑事判例研究』(全5巻、[[1934年]] - [[1940年]])
* 『刑事判例研究』(全5巻、[[1934年]] - [[1940年]])
* 『刑法要論』([[1956年]])
* 『刑法要論』([[1956年]])

== 関連項目 ==
* [[共犯]]
* [[共犯の本質]]


==参考文献==
==参考文献==
*<references />
*<references />
*「戦前期日本官僚制の制度・組織・人事」 [[秦郁彦]] [[東京大学出版会]]
* 「戦前期日本官僚制の制度・組織・人事」 [[秦郁彦]] [[東京大学出版会]]


{{DEFAULTSORT:くさの ひよういちろう}}
{{DEFAULTSORT:くさの ひよういちろう}}

2007年12月9日 (日) 03:14時点における版

草野豹一郎(くさの ひょういちろう 1886年10月7日~1951年9月12日)は、日本裁判官刑法学者弁護士

略歴・人物

検事・草野宣隆の長男。東京・麹町生まれ。東京府立一中、京都 三高を経て、東京帝国大学法科大学独法科卒。1912年8月、司法官試補として東京地裁属。1914年、東京地裁予備判事。以後、東京地裁裁判所部長、司法省参事官と刑事局兼務などで刑事担当判事を経て、1924年12月、大審院判事就任。この間、中央大学、早稲田大学東京商科大学講師。

大審院判事時代には、共同意思主体説を前提とした共謀共同正犯論を判例としてはじめて確立した。1940年1月、長崎控訴院長、1943年3月、大阪控訴院長就任。1945年、退職、弁護士に。1946年、中央大学法学部教授就任。極東国際軍事裁判(東京裁判)において、清瀬一郎に代わり、佐藤賢了の弁護を担当した。

草野が唱えた共同意思主体説によった最初の判例は、共産党地下組織の幹部が銀行襲撃を計画し、それを部下に指令、指令に応じて部下が襲撃した事案(1936年5月28日の大審院連合判決 刑集15巻 715頁)であるとされている。この共同意思主体説は、共犯現象を「共同意思主体の形成」による活動と見ることと、責任の帰属を共同者個人について論ずることと見ることは、民法組合理論を引き合いに出して矛盾しないと正当化・理論化しているところにある。その後、団体理論を個人責任を旨とする刑法に持ち込んだことに批判の声が上がったため、判例では、「共同意思主体の形成」という理論化を回避する形で受け継がれている[1]

弟子筋にあたる人物として、西原春夫(早大)、下村康正(中大)など現在まで多岐に渡る。

著書

関連項目

参考文献

  • ^ 「-- 資料で学ぶ刑法総論 -- 刑法マテリアルズ」 西原春夫新倉修山口厚井田良松宮孝明 柏書房 P399~