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{{政治家
[[File:Hideo Arima.jpg|thumb|有馬秀雄]]
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| 画像 = ファイル:Hideo_Arima.jpg
| 画像説明 = 衆議院事務局『衆議院要覧 昭和三年十二月(乙)』より
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==経歴==
==経歴==
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その後、旧藩主・[[摂津有馬氏|有馬伯爵家]]の家令となり、同家の財政の立て直しに尽力した{{R|久人}}。久留米[[第六十一国立銀行|六十一銀行]]の頭取を務め{{R|貴参}}、旧久留米藩の士族授産企業・赤松社の活動にも貢献した{{R|久人}}。
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=== 出典 ===
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2024年11月22日 (金) 00:32時点における版

有馬秀雄
ありま ひでお
衆議院事務局『衆議院要覧 昭和三年十二月(乙)』より
生年月日 1869年5月4日
出生地 日本の旗 日本 筑後国三潴郡久留米城
(現・福岡県久留米市
没年月日 (1954-12-10) 1954年12月10日(85歳没)
出身校 帝国大学農科大学実科卒業[注釈 1]
(現・東京大学農学部
前職 実業家
所属政党無所属→)
立憲政友会

選挙区 (福岡県久留米市選挙区→)
(福岡県第2区→)
(福岡県第12区→)
福岡県第3区
当選回数 4回
在任期間 1912年 - 1914年12月25日
1920年 - 1924年1月31日
1927年 - 1930年1月21日

東京都の旗 初代 東京都議会議長
在任期間 1943年10月 - 1944年10月

東京都の旗 東京都議会議員
選挙区 向島区選挙区
在任期間 1943年 - ?

第47代 東京市会議長
在任期間 1942年10月 - 1943年6月

東京市会議員
選挙区 向島区選挙区
在任期間 1932年11月5日 - ?

その他の職歴
寺島町長
寺島村長

1921年12月14日 - 1925年2月5日
1931年 - 1932年9月30日
東京府会議員
(? - ?)
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有馬 秀雄(ありま ひでお、1869年5月4日明治2年3月23日[1]〉- 1954年昭和29年〉12月10日[2][3])は、日本実業家政治家衆議院議員東京府南葛飾郡寺島町長

経歴

筑後国三潴郡久留米城下(現:福岡県久留米市)で、久留米藩重臣・有馬重固の長男として生まれ、同藩重臣・有馬孝三郎の養嗣子となる[4]1889年(明治22年)、久留米尋常中学校を卒業し[4]1892年(明治25年)、帝国大学農科大学実科を卒業[5][注釈 1]

その後、旧藩主・有馬伯爵家の家令となり、同家の財政の立て直しに尽力した[4]。久留米六十一銀行の頭取を務め[2]、旧久留米藩の士族授産企業・赤松社の活動にも貢献した[4]

1912年(明治45年)5月、第11回衆議院議員総選挙で福岡県久留米選挙区から出馬して当選[2][4]。当選後は無所属だったが、その後立憲政友会に入った[6][7]。その後、第14回第15回補欠選挙)、第16回総選挙でも当選し、衆議院議員を4期務めた[2]。この間、1921年大正10年)12月14日から、1925年(大正14年)2月5日まで寺島村長・町長を務めた[8]

その後、東京府南葛飾郡寺島町に在住となった[5]1931年(昭和6年)から再び寺島町長となり、1932年(昭和7年)9月30日まで務めた[8]。その後、東京市の市域拡大に伴い、同年11月5日に向島区(現・墨田区)選出の東京市会議員となった[9]。また、1942年(昭和17年)10月から1943年(昭和18年)6月まで第47代市会議長を務めた[10]。東京市会議長在任中の1942年(昭和17年)に、第11代全国市会議長会長を務めた[11]東京都発足後は、向島区選出の都議会議員となった[12]。また、1943年10月から1944年(昭和19年)10月まで初代都議会議長を務めた[13]。そのほか、東京府会議員も務めた[2][4]。1954年12月10日21時20分、心臓麻痺のため死去した[3]

脚注

注釈

  1. ^ a b 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』30頁では「明治25年駒場農林学校実科卒」とあるが、明治23年には帝国大学農科大学に改組されている[2]

出典

  1. ^ 衆議院『第四十三回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1920年、30頁。
  2. ^ a b c d e f 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』30頁。
  3. ^ a b 国会 8(1)(81) 27コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  4. ^ a b c d e f 『久留米人物誌』63頁。
  5. ^ a b 『人事興信録 第14版 上』ア142頁。
  6. ^ 衆議院議員党籍録 第1回帝国議会~第92回帝国議会 76コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  7. ^ 衆議院議員党籍録 第1回帝国議会~第92回帝国議会 77コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  8. ^ a b 墨田区史 本編 262コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  9. ^ 東京市会議員要覧 昭和12年5月(第17期選出) 127コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  10. ^ 東京都政秘話 141コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  11. ^ 歴代会長”. 全国市議会議長会. 2024年10月29日閲覧。
  12. ^ 東京都議会史 第1巻 36コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  13. ^ 東京都政概要 昭和24年版 16コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション

参考文献

  • 人事興信所編『人事興信録 第14版 上』人事興信所、1943年。
  • 篠原正一『久留米人物誌』久留米人物誌刊行委員会、1981年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。