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{{政治家 |
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[[File:Hideo Arima.jpg|thumb|有馬秀雄]] |
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| 各国語表記 = ありま ひでお |
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| 画像 = ファイル:Hideo_Arima.jpg |
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| 画像説明 = 衆議院事務局『衆議院要覧 昭和三年十二月(乙)』より |
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| 国略称 = {{JPN}} |
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| 生年月日 = [[1869年]][[5月4日]] |
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| 出生地 = {{JPN}} [[筑後国]][[三潴郡]][[久留米城]]下<br />(現・[[福岡県]][[久留米市]]) |
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| 出身校 = [[帝国大学農科大学]]実科卒業{{Efn|name=最終学歴}}<br />(現・[[東京大学大学院農学生命科学研究科・農学部|東京大学農学部]]) |
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| 前職 = [[実業家]] |
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| 所属政党 = ([[無所属]]→)<br />[[立憲政友会]] |
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| 称号・勲章 = |
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| 職名 = [[日本の国会議員#衆議院議員|衆議院議員]] |
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| 国旗 = 日本 |
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| 選挙区 = (福岡県久留米市選挙区→)<br />(福岡県第2区→)<br />(福岡県第12区→)<br />福岡県第3区 |
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| 当選回数 = 4回 |
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| 就任日 = [[1912年]] - [[1914年]][[12月25日]]<br />[[1920年]] - [[1924年]][[1月31日]]<br />[[1927年]] |
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| 国旗2 = 東京都 |
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| 就任日2 = [[1943年]][[10月]] |
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| 退任日2 = [[1944年]]10月 |
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| 職名3 = 東京都議会議員 |
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| 国旗3 = 東京都 |
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| 選挙区3 = [[向島区]]選挙区 |
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| 就任日3 = 1943年 |
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| 退任日3 = ? |
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| 職名4 = [[ファイル:Emblem_of_Tokyo_Metropolis.svg|25px]] 第47代 [[東京市会]]議長 |
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| 就任日4 = [[1942年]]10月 |
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| 退任日4 = 1943年[[6月]] |
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| 職名5 = [[ファイル:Emblem_of_Tokyo_Metropolis.svg|25px]] 東京市会議員 |
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| 就任日5 = [[1932年]][[11月5日]] |
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| 退任日5 = ? |
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| 選挙区5 = 向島区選挙区 |
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| その他職歴1 = [[寺島町#町長|寺島町長]]<br />寺島村長 |
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| 就任日6 = [[1921年]][[12月14日]] - [[1925年]][[2月5日]]<br />[[1931年]] |
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| 退任日6 = 1932年[[9月30日]] |
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| その他職歴2 = [[ファイル:Emblem_of_Tokyo_Prefecture_(1931–1943).svg|25px]] [[東京府]]会議員 |
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| 就任日7 = ? |
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| 退任日7 = ? |
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⚫ | }}'''有馬 秀雄'''(ありま ひでお、[[1869年]][[5月4日]]〈[[明治]]2年[[3月23日 (旧暦)|3月23日]]<ref>衆議院『第四十三回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1920年、30頁。</ref>〉- [[1954年]]〈[[昭和]]29年〉[[12月10日]]<ref name="貴参">『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』30頁。</ref><ref name=":1">{{国立国会図書館デジタルコレクション|2695024/27|国会 8(1)(81) 27コマ|format=EXTERNAL}}</ref>)は、[[日本]]の[[実業家]]、[[政治家]]。[[衆議院|衆議院議員]]、[[東京府]][[南葛飾郡]][[寺島町#町長|寺島町長]]。 |
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==経歴== |
==経歴== |
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その後、旧藩主・[[摂津有馬氏|有馬伯爵家]]の家令となり、同家の財政の立て直しに尽力した{{R|久人}}。久留米[[第六十一国立銀行|六十一銀行]]の頭取を務め{{R|貴参}}、旧久留米藩の士族授産企業・赤松社の活動にも貢献した{{R|久人}}。 |
その後、旧藩主・[[摂津有馬氏|有馬伯爵家]]の家令となり、同家の財政の立て直しに尽力した{{R|久人}}。久留米[[第六十一国立銀行|六十一銀行]]の頭取を務め{{R|貴参}}、旧久留米藩の士族授産企業・赤松社の活動にも貢献した{{R|久人}}。 |
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[[1912年]] |
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2024年11月22日 (金) 00:32時点における版
有馬秀雄 ありま ひでお | |
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衆議院事務局『衆議院要覧 昭和三年十二月(乙)』より | |
生年月日 | 1869年5月4日 |
出生地 |
日本 筑後国三潴郡久留米城下 (現・福岡県久留米市) |
没年月日 | 1954年12月10日(85歳没) |
出身校 |
帝国大学農科大学実科卒業[注釈 1] (現・東京大学農学部) |
前職 | 実業家 |
所属政党 |
(無所属→) 立憲政友会 |
選挙区 |
(福岡県久留米市選挙区→) (福岡県第2区→) (福岡県第12区→) 福岡県第3区 |
当選回数 | 4回 |
在任期間 |
1912年 - 1914年12月25日 1920年 - 1924年1月31日 1927年 - 1930年1月21日 |
初代 東京都議会議長 | |
在任期間 | 1943年10月 - 1944年10月 |
選挙区 | 向島区選挙区 |
在任期間 | 1943年 - ? |
第47代 東京市会議長 | |
在任期間 | 1942年10月 - 1943年6月 |
選挙区 | 向島区選挙区 |
在任期間 | 1932年11月5日 - ? |
その他の職歴 | |
寺島町長 寺島村長 (1921年12月14日 - 1925年2月5日 1931年 - 1932年9月30日) | |
東京府会議員 (? - ?) |
有馬 秀雄(ありま ひでお、1869年5月4日〈明治2年3月23日[1]〉- 1954年〈昭和29年〉12月10日[2][3])は、日本の実業家、政治家。衆議院議員、東京府南葛飾郡寺島町長。
経歴
筑後国三潴郡久留米城下(現:福岡県久留米市)で、久留米藩重臣・有馬重固の長男として生まれ、同藩重臣・有馬孝三郎の養嗣子となる[4]。1889年(明治22年)、久留米尋常中学校を卒業し[4]、1892年(明治25年)、帝国大学農科大学実科を卒業[5][注釈 1]。
その後、旧藩主・有馬伯爵家の家令となり、同家の財政の立て直しに尽力した[4]。久留米六十一銀行の頭取を務め[2]、旧久留米藩の士族授産企業・赤松社の活動にも貢献した[4]。
1912年(明治45年)5月、第11回衆議院議員総選挙で福岡県久留米選挙区から出馬して当選[2][4]。当選後は無所属だったが、その後立憲政友会に入った[6][7]。その後、第14回、第15回(補欠選挙)、第16回総選挙でも当選し、衆議院議員を4期務めた[2]。この間、1921年(大正10年)12月14日から、1925年(大正14年)2月5日まで寺島村長・町長を務めた[8]。
その後、東京府南葛飾郡寺島町に在住となった[5]。1931年(昭和6年)から再び寺島町長となり、1932年(昭和7年)9月30日まで務めた[8]。その後、東京市の市域拡大に伴い、同年11月5日に向島区(現・墨田区)選出の東京市会議員となった[9]。また、1942年(昭和17年)10月から1943年(昭和18年)6月まで第47代市会議長を務めた[10]。東京市会議長在任中の1942年(昭和17年)に、第11代全国市会議長会長を務めた[11]。東京都発足後は、向島区選出の都議会議員となった[12]。また、1943年10月から1944年(昭和19年)10月まで初代都議会議長を務めた[13]。そのほか、東京府会議員も務めた[2][4]。1954年12月10日21時20分、心臓麻痺のため死去した[3]。
脚注
注釈
出典
- ^ 衆議院『第四十三回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1920年、30頁。
- ^ a b c d e f 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』30頁。
- ^ a b 『国会 8(1)(81) 27コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ a b c d e f 『久留米人物誌』63頁。
- ^ a b 『人事興信録 第14版 上』ア142頁。
- ^ 『衆議院議員党籍録 第1回帝国議会~第92回帝国議会 76コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 『衆議院議員党籍録 第1回帝国議会~第92回帝国議会 77コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ a b 『墨田区史 本編 262コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 『東京市会議員要覧 昭和12年5月(第17期選出) 127コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 『東京都政秘話 141コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ “歴代会長”. 全国市議会議長会. 2024年10月29日閲覧。
- ^ 『東京都議会史 第1巻 36コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 『東京都政概要 昭和24年版 16コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
参考文献
- 人事興信所編『人事興信録 第14版 上』人事興信所、1943年。
- 篠原正一『久留米人物誌』久留米人物誌刊行委員会、1981年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。