「ノート:国家神道」の版間の差分
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:すみません、定義について様々な学者の学説を載せていたら結構長くなってしまいましたので、概要節の中に「定義」として小節を特立し、残りの部分を「内容」という小節に振り分けました。もし、この処置にご異議などありましたら、コメントをお願いします。--[[利用者:竹野和貴|竹野和貴]]([[利用者‐会話:竹野和貴|会話]]) 2022年7月30日 (土) 19:50 (UTC) |
:すみません、定義について様々な学者の学説を載せていたら結構長くなってしまいましたので、概要節の中に「定義」として小節を特立し、残りの部分を「内容」という小節に振り分けました。もし、この処置にご異議などありましたら、コメントをお願いします。--[[利用者:竹野和貴|竹野和貴]]([[利用者‐会話:竹野和貴|会話]]) 2022年7月30日 (土) 19:50 (UTC) |
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== 冒頭付近(概要などを含む)の総論的記述 == |
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大原(1994)に依拠して客観的事実のように(つまり、「大原によれば……」と断らずに)書いている部分が見受けられます。 |
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[[国家神道#語誌]]などにもある通り、大原康男より後の研究などは多くあり、「戦後の造語」説は控えめに見て定説とは言い難いでしょう。戦前の日本では使われたことのない用語だ、などとする大原康男の意見を現時点で異論のない事実であるように書くべきではないと思われます。大原康男がかつてこういう意見を発表した、という風に一連の流れの中で書くことはともかくとして。 |
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端的に言えば、研究史の一部として大原康男を紹介するのは構いませんが、現時点でこの記事の冒頭などで短く総論を書く時には、大原康男より新しい研究を踏まえる必要があります。論争がある場合、「○○なのか、○○なのか、論争が続いている」といったまとめ方も検討する余地があります。--[[特別:投稿記録/2001:240:2460:BD32:10E2:46B6:D53D:BD6B|2001:240:2460:BD32:10E2:46B6:D53D:BD6B]] 2024年11月2日 (土) 00:38 (UTC) |
2024年11月2日 (土) 00:38時点における版
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「国家神道」の用例に関する疑問
疑問点を付した箇所に「陸軍省」とあり、また、この節の最後のあたりには「陸軍上層部」の語があります。陸軍の例としては加藤玄智の「国家的神道」が挙げられており、確かに加藤は陸軍士官学校の教授ではありますが、彼に関して言うならばあくまでも「陸軍省」「陸軍上層部」というよりは「神道学」の立場によるものと解したほうがよいのではないでしょうか? 神道学者であった加藤以外に、陸軍省・陸軍上層部において、「国家神道」「国家的神道」の語を用いた例があれば、ぜひ示していただきたいです。「陸軍省」「陸軍上層部」への言及を削るのが適切か分からなかったため、まずはノートに書いておきます。--御統眞澄(会話) 2019年9月3日 (火) 13:52 (UTC)
国家神道の定義について
概要節冒頭の国家神道の定義に、「研究者の間での共通の理解としては、明治維新後に近代国家を建設するにあたって、神道的な実践を国民統合の支柱とした近代特有の国家宗教・民族宗教の形を指すのが伝統的な理解である」とありますが、こういった理解はいわゆる「広義の国家神道」論者(村上重良、島薗進ら)の見解であり、一方でこういった理解に対して、あまりに漠然としたものであると疑義を呈し、国家神道を「戦前の国家によって管理され、国家の法令によって行われた神社行政」を指すものとして限定的に用いるいわゆる「狭義の国家神道」の理解も、近年主流になりつつあります(阪本是丸、新田均、山口輝臣、磯前順一など)。
従って、上述の定義を「研究者の共通理解」としてまとめてしまうことは、あまりに性急であると思われますので、「広義の国家神道」と「狭義の国家神道」の両論を併記する形で上述の部分を修正させていただきたいと思います。 --竹野和貴(会話) 2022年7月30日 (土) 17:16 (UTC)
- すみません、定義について様々な学者の学説を載せていたら結構長くなってしまいましたので、概要節の中に「定義」として小節を特立し、残りの部分を「内容」という小節に振り分けました。もし、この処置にご異議などありましたら、コメントをお願いします。--竹野和貴(会話) 2022年7月30日 (土) 19:50 (UTC)
冒頭付近(概要などを含む)の総論的記述
大原(1994)に依拠して客観的事実のように(つまり、「大原によれば……」と断らずに)書いている部分が見受けられます。
国家神道#語誌などにもある通り、大原康男より後の研究などは多くあり、「戦後の造語」説は控えめに見て定説とは言い難いでしょう。戦前の日本では使われたことのない用語だ、などとする大原康男の意見を現時点で異論のない事実であるように書くべきではないと思われます。大原康男がかつてこういう意見を発表した、という風に一連の流れの中で書くことはともかくとして。
端的に言えば、研究史の一部として大原康男を紹介するのは構いませんが、現時点でこの記事の冒頭などで短く総論を書く時には、大原康男より新しい研究を踏まえる必要があります。論争がある場合、「○○なのか、○○なのか、論争が続いている」といったまとめ方も検討する余地があります。--2001:240:2460:BD32:10E2:46B6:D53D:BD6B 2024年11月2日 (土) 00:38 (UTC)