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== 来歴 ==
== 来歴 ==
=== プロ入り前から現役引退まで ===
=== プロ入り前から現役引退まで ===
小学3年生の頃兄がプレーしていた<ref name=popey/>、貴生川サッカー少年団でサッカーを始めた<ref>{{Cite web|和書|url=https://shigaspo.jp/ambassador/name/ihara_masami|title=鉄壁の守備で「アジアの壁」とも呼ばれた元日本代表 サッカー 井原 正巳|website=しがスポーツナビ|accessdate=2023-4-17}}</ref>。[[甲賀市立水口中学校|水口中学]]を経て<ref name=ihara/>、[[滋賀県立守山高等学校]]へと進学した<ref name=ihara>{{Cite web|和書|url=http://www.ihara-masami.com/profile.html|title=井原正巳プロファイル|website=井原正巳公式サイト|accessdate=2023-4-17}}</ref>。高校時代の2学年先輩に[[美濃部直彦]]がいる。1984年に全国高校サッカー選手権に出場した<ref name=popey/>。高校卒業後は[[筑波大学]]へ進学して[[筑波大学蹴球部|蹴球部]]に所属した。大学入り前に行われた、ワールドユースに向けたセレクションのメンバーに選抜されたが、ディフェンダーのポジションには空きがあったことから「やってみないか?」と勧められたことがきっかけとなり<ref name=popey> POPEYE 1993/7/7 p.26 </ref>、フォワードからディフェンダーに転向した<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.meijiyasuda.co.jp/dtf/daily/lifeevent/J_info/220418jl053.html|title=柏レイソル ヘッドコーチ 井原正巳さん|website=明治安田生命|accessdate=2023-4-17}}</ref>。筑波では1986年、1987年に関東リーグと総理大臣杯で連覇を果たした<ref name=popey/>。筑波大学2年時に[[サッカー日本代表|日本代表]]に選出された。
小学3年生の頃兄がプレーしていた<ref name=popey/>、貴生川サッカー少年団でサッカーを始めた<ref>{{Cite web|和書|url=https://shigaspo.jp/ambassador/name/ihara_masami|title=鉄壁の守備で「アジアの壁」とも呼ばれた元日本代表 サッカー 井原 正巳|website=しがスポーツナビ|accessdate=2023-04-17}}</ref>。[[甲賀市立水口中学校|水口中学]]を経て<ref name=ihara/>、[[滋賀県立守山高等学校]]へと進学した<ref name=ihara>{{Cite web|和書|url=http://www.ihara-masami.com/profile.html|title=井原正巳プロファイル|website=井原正巳公式サイト|accessdate=2023-04-17}}</ref>。高校時代の2学年先輩に[[美濃部直彦]]がいる。1984年に全国高校サッカー選手権に出場した<ref name=popey/>。高校卒業後は[[筑波大学]]へ進学して[[筑波大学蹴球部|蹴球部]]に所属した。大学入り前に行われた、ワールドユースに向けたセレクションのメンバーに選抜されたが、ディフェンダーのポジションには空きがあったことから「やってみないか?」と勧められたことがきっかけとなり<ref name=popey> POPEYE 1993/7/7 p.26 </ref>、フォワードからディフェンダーに転向した<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.meijiyasuda.co.jp/dtf/daily/lifeevent/J_info/220418jl053.html|title=柏レイソル ヘッドコーチ 井原正巳さん|website=明治安田生命|accessdate=2023-04-17}}</ref>。筑波では1986年、1987年に関東リーグと総理大臣杯で連覇を果たした<ref name=popey/>。筑波大学2年時に[[サッカー日本代表|日本代表]]に選出された。


筑波大学時代、当時ディフェンダーだった[[中山雅史]]とセンターバックでコンビを組んでいた。二人はユース代表でもセンターバックを務め<ref name="number">Number 2013年10月17日号 no.839 p.22-26</ref>、アルバイトも同じ所でするなど公私共に仲が良かった<ref name="number"/>。
筑波大学時代、当時ディフェンダーだった[[中山雅史]]とセンターバックでコンビを組んでいた。二人はユース代表でもセンターバックを務め<ref name="number">Number 2013年10月17日号 no.839 p.22-26</ref>、アルバイトも同じ所でするなど公私共に仲が良かった<ref name="number"/>。
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=== ジュビロ、レッズ時代 ===
=== ジュビロ、レッズ時代 ===
前身の日産時代から10シーズンをマリノスでプレーし「ミスターマリノス」とまで言われたが<ref>{{Cite web|和書|url=https://web.gekisaka.jp/news/jleague/detail/?46378-27320-fl|title=井原氏が横浜FM復帰、ユース監督就任へ|website=ゲキサカ|date=2008-12-3|accessdate=2023-4-17}}</ref>、マリノスからのコーチ就任要請を蹴って、2000年に[[ジュビロ磐田]]へ移籍。
前身の日産時代から10シーズンをマリノスでプレーし「ミスターマリノス」とまで言われたが<ref>{{Cite web|和書|url=https://web.gekisaka.jp/news/jleague/detail/?46378-27320-fl|title=井原氏が横浜FM復帰、ユース監督就任へ|website=ゲキサカ|date=2008-12-03|accessdate=2023-04-17|archive-url=https://web.archive.org/web/20230418133902/https://web.gekisaka.jp/news/jleague/detail/?46378-27320-fl |archive-date=2023-04-18 |url-status=dead |url-status-date=2024-09-23}}</ref>、マリノスからのコーチ就任要請を蹴って、2000年に[[ジュビロ磐田]]へ移籍。


2001年からは、以前日本代表で共に戦った[[福田正博]]が在籍していた[[浦和レッドダイヤモンズ]]に移籍した。5月19日の[[ガンバ大阪]]戦での移籍後初ゴールは<ref>{{cite news | url=https://data.j-league.or.jp/SFMS02/?match_card_id=5776 | publisher =data.j-league | title =2001Jリーグ ディビジョン1 1stステージ 第10節 | accessdate =17 April 2020}}</ref>、現役最後のゴールとなった。同年行われた[[2002 FIFAワールドカップ|2002年W杯]]1次リーグの組み合わせ抽選会ではアジア代表としてドロワーを務めた。
2001年からは、以前日本代表で共に戦った[[福田正博]]が在籍していた[[浦和レッドダイヤモンズ]]に移籍した。5月19日の[[ガンバ大阪]]戦での移籍後初ゴールは<ref>{{cite news | url=https://data.j-league.or.jp/SFMS02/?match_card_id=5776 | publisher =data.j-league | title =2001Jリーグ ディビジョン1 1stステージ 第10節 | accessdate =17 April 2020}}</ref>、現役最後のゴールとなった。同年行われた[[2002 FIFAワールドカップ|2002年W杯]]1次リーグの組み合わせ抽選会ではアジア代表としてドロワーを務めた。
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[[1990 FIFAワールドカップ・アジア予選]]では[[サッカー朝鮮民主主義人民共和国代表|朝鮮民主主義人民共和国]]に競り負け1次予選敗退。1992年の[[AFCアジアカップ1992]]ではグループリーグ最終戦の[[サッカーイラン代表|イラン]]戦で、グループリーグ敗退濃厚な中、試合終盤に起死回生となる[[三浦知良]]の決勝ゴールをアシストして決勝トーナメント進出に貢献<ref>{{cite news | url=https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/football/jfootball/2020/06/01/___split_10/| publisher =Sportiva | title =日本サッカーの未来が懸かった一戦。 窮地を救ったカズの魂の右足|date =1 June 2020|accessdate=2024-1-9}}</ref>、決勝では[[サッカーサウジアラビア代表|サウジアラビア]]を破って初のアジア制覇に貢献した。
[[1990 FIFAワールドカップ・アジア予選]]では[[サッカー朝鮮民主主義人民共和国代表|朝鮮民主主義人民共和国]]に競り負け1次予選敗退。1992年の[[AFCアジアカップ1992]]ではグループリーグ最終戦の[[サッカーイラン代表|イラン]]戦で、グループリーグ敗退濃厚な中、試合終盤に起死回生となる[[三浦知良]]の決勝ゴールをアシストして決勝トーナメント進出に貢献<ref>{{cite news | url=https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/football/jfootball/2020/06/01/___split_10/| publisher =Sportiva | title =日本サッカーの未来が懸かった一戦。 窮地を救ったカズの魂の右足|date =1 June 2020|accessdate=2024-1-9}}</ref>、決勝では[[サッカーサウジアラビア代表|サウジアラビア]]を破って初のアジア制覇に貢献した。


[[1994 FIFAワールドカップ・アジア予選]]では、1993年5月5日開催の一次予選、[[サッカースリランカ代表|スリランカ]]戦で代表初ゴールを挙げるなど、一次予選、二次予選の全試合に先発フル出場したが、あと一歩のところでW杯出場権を逃す「[[ドーハの悲劇]]」を経験した。1994年のアジア大会ではベスト8で敗退したが、その準々決勝の韓国戦で終盤に一時は同点となる目の覚めるようなスーパーロングシュートを決めた<ref>{{Cite web|和書|url=https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/football/jfootball/2020/05/27/___split___pk/index_3.php|title=井原が明かす韓国戦の豪快ミドルと悪夢のPK、ファルカンのスピード解任|website=SPORTIVA|date=2020-5-27|accessdate=2023-5-3}}</ref>。1995年以降、[[柱谷哲二]]が代表を退いて以降は、[[加茂周]]代表監督によってキャプテンに指名され、以降代表を外れるまでキャプテンを務めた<ref>{{Cite web|和書|url=https://sakumaga.sakura.ad.jp/entry/2020/08/18/120000|title=井原正巳が考える「理想のリーダー像」元サッカー日本代表キャプテンインタビュー|website=さくマガ|date=2020-8-18|accessdate=2023-5-3}}</ref>。
[[1994 FIFAワールドカップ・アジア予選]]では、1993年5月5日開催の一次予選、[[サッカースリランカ代表|スリランカ]]戦で代表初ゴールを挙げるなど、一次予選、二次予選の全試合に先発フル出場したが、あと一歩のところでW杯出場権を逃す「[[ドーハの悲劇]]」を経験した。1994年のアジア大会ではベスト8で敗退したが、その準々決勝の韓国戦で終盤に一時は同点となる目の覚めるようなスーパーロングシュートを決めた<ref>{{Cite web|和書|url=https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/football/jfootball/2020/05/27/___split___pk/index_3.php|title=井原が明かす韓国戦の豪快ミドルと悪夢のPK、ファルカンのスピード解任|website=SPORTIVA|date=2020-05-27|accessdate=2023-05-03}}</ref>。1995年以降、[[柱谷哲二]]が代表を退いて以降は、[[加茂周]]代表監督によってキャプテンに指名され、以降代表を外れるまでキャプテンを務めた<ref>{{Cite web|和書|url=https://sakumaga.sakura.ad.jp/entry/2020/08/18/120000|title=井原正巳が考える「理想のリーダー像」元サッカー日本代表キャプテンインタビュー|website=さくマガ|date=2020-08-18|accessdate=2023-05-03}}</ref>。


[[1998 FIFAワールドカップ・アジア予選]]最終予選では、第2戦のUAE戦でFKを頭で合わせると、このボールはゴールに向かい、間違いなくゴールラインを割って得点となるところであったが(決勝ゴールになる可能性が高かった。)、オフサイドのポジションに居た[[小村徳男]]がゴール欲しさからかボールを触って押し込んだたため、ノーゴルの判定<ref> 週刊サッカーマガジン 1997//10/8 p.11 </ref>、この決果0-0の引き分けに終わる。この様なこともあり、苦戦を強いられながらも、アウェイでの[[サッカーウズベキスタン代表|ウズベキスタン]]戦では、ロングフィードで試合終了間際に[[呂比須ワグナー]]の同点ゴールをアシスト<ref>呂比須 小学館、1998年 ISBN 9784093794824 p.168</ref>。最終節の[[サッカーカザフスタン代表|カザフスタン]]戦で代表で最後となるゴールを決め<ref>{{cite news | url=http://samuraiblue.jp/timeline/19971108/ | publisher =samuraiblue.jpl | title =日本 vs カザフスタン 1997年11月8日| accessdate =17 April 2020}}</ref>[[ジョホールバルの歓喜|第3代表決定戦]]進出に貢献すると、[[サッカーイラン代表|イラン代表]]と決戦を制し、日本のW杯初出場へ導いた。3戦全敗となった1998 FIFAワールドカップでは、大会直前に負傷したが<ref>{{cite news | url=https://news.livedoor.com/article/detail/18248017/?p=2 | publisher /news.livedoor.com= | title =カズ落選、アトランタ世代の台頭…井原正巳はW杯初出場チームをどうまとめ上げたのか? | accessdate =12 May 2020}}</ref>、キャプテンとして<ref name="Ihara"/> 全試合に先発フル出場した。
[[1998 FIFAワールドカップ・アジア予選]]最終予選では、第2戦のUAE戦でFKを頭で合わせると、このボールはゴールに向かい、間違いなくゴールラインを割って得点となるところであったが(決勝ゴールになる可能性が高かった。)、オフサイドのポジションに居た[[小村徳男]]がゴール欲しさからかボールを触って押し込んだたため、ノーゴルの判定<ref> 週刊サッカーマガジン 1997//10/8 p.11 </ref>、この決果0-0の引き分けに終わる。この様なこともあり、苦戦を強いられながらも、アウェイでの[[サッカーウズベキスタン代表|ウズベキスタン]]戦では、ロングフィードで試合終了間際に[[呂比須ワグナー]]の同点ゴールをアシスト<ref>呂比須 小学館、1998年 ISBN 9784093794824 p.168</ref>。最終節の[[サッカーカザフスタン代表|カザフスタン]]戦で代表で最後となるゴールを決め<ref>{{cite news | url=http://samuraiblue.jp/timeline/19971108/ | publisher =samuraiblue.jpl | title =日本 vs カザフスタン 1997年11月8日| accessdate =17 April 2020}}</ref>[[ジョホールバルの歓喜|第3代表決定戦]]進出に貢献すると、[[サッカーイラン代表|イラン代表]]と決戦を制し、日本のW杯初出場へ導いた。3戦全敗となった1998 FIFAワールドカップでは、大会直前に負傷したが<ref>{{cite news | url=https://news.livedoor.com/article/detail/18248017/?p=2 | publisher /news.livedoor.com= | title =カズ落選、アトランタ世代の台頭…井原正巳はW杯初出場チームをどうまとめ上げたのか? | accessdate =12 May 2020}}</ref>、キャプテンとして<ref name="Ihara"/> 全試合に先発フル出場した。
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== プレースタイルと評価 ==
== プレースタイルと評価 ==
その鉄壁の守備から「アジアの壁」といわれ、冷静な判断と鋭い読み、向かってくる相手選手からボールを奪う上手さ、体をぶつけられても倒れない強さなど、ディフェンダーとしての要素を全て備えていた<ref>田嶋幸三『これだけは知っておきたい(30) サッカーの大常識』株式会社ポプラ社、2006年、123ページ、{{ISBN2| 4-591-09115-5}}</ref>、警告を受けることは余り無かったが、激しい当たりなど、肉弾戦も繰り広げた<ref>{{cite news | url=https://number.bunshun.jp/articles/-/843212?page=3 | publisher =number.bunshun.jp | title=井原正巳の献身とジョホールバル 1998W杯予選 | accessdate =3 May 2020}}</ref>。[[永島昭浩]]は、総合的に判断すると歴代最高のDFであったと評価した<ref name="SD"/>。[[ルイス・カルロス・ペレイラ|ペレイラ]]も同様に、当時のJリーグの選手の中では最高のDFとして名前を挙げた<ref>{{Cite web|和書|url=https://number.bunshun.jp/articles/-/857551?page=4|title=「子供が礼儀正しく育ったよ」名手ブラジル人DFと妻が感謝する“Jリーグと日本愛”「イハラはクレバー、ナカヤマは非常に危険で…」ファン人気とか意識してる選手はいたね|website=NUMBER|date=2023-5-20|accessdate=2023-5-20}}</ref>。また[[洪明甫]]か井原か、どちらがアジア最高のリベロか、という比較が日本、韓国メディアで盛んに行われていた<ref>DEAR KAZU 僕を育てた55通の手紙 p.161-164ページ</ref>。
その鉄壁の守備から「アジアの壁」といわれ、冷静な判断と鋭い読み、向かってくる相手選手からボールを奪う上手さ、体をぶつけられても倒れない強さなど、ディフェンダーとしての要素を全て備えていた<ref>田嶋幸三『これだけは知っておきたい(30) サッカーの大常識』株式会社ポプラ社、2006年、123ページ、{{ISBN2| 4-591-09115-5}}</ref>、警告を受けることは余り無かったが、激しい当たりなど、肉弾戦も繰り広げた<ref>{{cite news | url=https://number.bunshun.jp/articles/-/843212?page=3 | publisher =number.bunshun.jp | title=井原正巳の献身とジョホールバル 1998W杯予選 | accessdate =3 May 2020}}</ref>。[[永島昭浩]]は、総合的に判断すると歴代最高のDFであったと評価した<ref name="SD"/>。[[ルイス・カルロス・ペレイラ|ペレイラ]]も同様に、当時のJリーグの選手の中では最高のDFとして名前を挙げた<ref>{{Cite web|和書|url=https://number.bunshun.jp/articles/-/857551?page=4|title=「子供が礼儀正しく育ったよ」名手ブラジル人DFと妻が感謝する“Jリーグと日本愛”「イハラはクレバー、ナカヤマは非常に危険で…」ファン人気とか意識してる選手はいたね|website=NUMBER|date=2023-05-20|accessdate=2023-05-20}}</ref>。また[[洪明甫]]か井原か、どちらがアジア最高のリベロか、という比較が日本、韓国メディアで盛んに行われていた<ref>DEAR KAZU 僕を育てた55通の手紙 p.161-164ページ</ref>。


2020年にサッカーダイジェストが企画した、これまでのJリーグ歴代ベストイレブンを選ぶ企画では、様々な人物からJリーグ歴代のベストイレブンに選出された<ref name="SD">{{cite news | url=https://www.soccerdigestweb.com/news/detail/id=73491 | publisher =www.soccerdigestweb.com | title=永島昭浩が選ぶJ歴代ベスト11 | accessdate =20 May 2020}}</ref><ref>{{cite news | url=https://www.soccerdigestweb.com/news/detail/id=72715 | publisher =www.soccerdigestweb.com | title=英国の熟練記者が選ぶJ歴代ベスト11 | accessdate =3 May 2020}}</ref><ref>{{cite news | url=https://www.soccerdigestweb.com/news/detail/id=72695 | publisher =www.soccerdigestweb.com | title=平畠啓史が選ぶJ歴代ベスト11 | accessdate =3 May 2020}}</ref><ref>{{cite news | url=https://www.soccerdigestweb.com/news/detail/id=72478 | publisher=www.soccerdigestweb.com | title=早野宏史が選ぶJ歴代ベスト11 | accessdate =3 May 2020}}</ref><ref>{{cite news | url=https://www.soccerdigestweb.com/news/detail/id=72545 | publisher=www.soccerdigestweb.com | title=福田正博が選ぶJ歴代ベスト11 | accessdate =3 May 2020}}</ref><ref>{{cite news | url=https://www.soccerdigestweb.com/news/detail/id=72671 | publisher =www.soccerdigestweb.com | title=清水秀彦が選ぶJ歴代ベスト11 | accessdate =3 May 2020}}</ref><ref>{{cite news | url=https://www.soccerdigestweb.com/news/detail/id=72814 | publisher =www.soccerdigestweb.com | title=小島伸幸が選ぶJ歴代ベスト11 | accessdate =3 May 2020}}</ref><ref>{{cite news | url=https://www.soccerdigestweb.com/news/detail/id=72286 | publisher =www.soccerdigestweb.com | title=仲川輝人が選ぶJ歴代ベスト11 | accessdate =3 May 2020}}</ref><ref>{{cite news | url=https://www.soccerdigestweb.com/news/detail/id=72383 | publisher =www.soccerdigestweb.com | title=福西崇史が選ぶJ歴代ベスト11 | accessdate =3 May 2020}}</ref><ref>{{cite news | url=https://www.soccerdigestweb.com/news/detail/id=72378 | publisher =www.soccerdigestweb.com |title=ぺこぱのシュウペイが選ぶJ歴代ベスト11 | accessdate =3 May 2020}}</ref>。また[[阿部勇樹]]は幼少期の頃に好きだった選手として名前を挙げた<ref>{{cite news | url=https://number.bunshun.jp/articles/-/12193 | publisher =number.bunshun.jp | title=阿部勇樹 理想への階段 | accessdate =3 May 2020}}</ref>。
2020年にサッカーダイジェストが企画した、これまでのJリーグ歴代ベストイレブンを選ぶ企画では、様々な人物からJリーグ歴代のベストイレブンに選出された<ref name="SD">{{cite news | url=https://www.soccerdigestweb.com/news/detail/id=73491 | publisher =www.soccerdigestweb.com | title=永島昭浩が選ぶJ歴代ベスト11 | accessdate =20 May 2020}}</ref><ref>{{cite news | url=https://www.soccerdigestweb.com/news/detail/id=72715 | publisher =www.soccerdigestweb.com | title=英国の熟練記者が選ぶJ歴代ベスト11 | accessdate =3 May 2020}}</ref><ref>{{cite news | url=https://www.soccerdigestweb.com/news/detail/id=72695 | publisher =www.soccerdigestweb.com | title=平畠啓史が選ぶJ歴代ベスト11 | accessdate =3 May 2020}}</ref><ref>{{cite news | url=https://www.soccerdigestweb.com/news/detail/id=72478 | publisher=www.soccerdigestweb.com | title=早野宏史が選ぶJ歴代ベスト11 | accessdate =3 May 2020}}</ref><ref>{{cite news | url=https://www.soccerdigestweb.com/news/detail/id=72545 | publisher=www.soccerdigestweb.com | title=福田正博が選ぶJ歴代ベスト11 | accessdate =3 May 2020}}</ref><ref>{{cite news | url=https://www.soccerdigestweb.com/news/detail/id=72671 | publisher =www.soccerdigestweb.com | title=清水秀彦が選ぶJ歴代ベスト11 | accessdate =3 May 2020}}</ref><ref>{{cite news | url=https://www.soccerdigestweb.com/news/detail/id=72814 | publisher =www.soccerdigestweb.com | title=小島伸幸が選ぶJ歴代ベスト11 | accessdate =3 May 2020}}</ref><ref>{{cite news | url=https://www.soccerdigestweb.com/news/detail/id=72286 | publisher =www.soccerdigestweb.com | title=仲川輝人が選ぶJ歴代ベスト11 | accessdate =3 May 2020}}</ref><ref>{{cite news | url=https://www.soccerdigestweb.com/news/detail/id=72383 | publisher =www.soccerdigestweb.com | title=福西崇史が選ぶJ歴代ベスト11 | accessdate =3 May 2020}}</ref><ref>{{cite news | url=https://www.soccerdigestweb.com/news/detail/id=72378 | publisher =www.soccerdigestweb.com |title=ぺこぱのシュウペイが選ぶJ歴代ベスト11 | accessdate =3 May 2020}}</ref>。また[[阿部勇樹]]は幼少期の頃に好きだった選手として名前を挙げた<ref>{{cite news | url=https://number.bunshun.jp/articles/-/12193 | publisher =number.bunshun.jp | title=阿部勇樹 理想への階段 | accessdate =3 May 2020}}</ref>。

2024年9月25日 (水) 06:37時点における版

井原 正巳
名前
愛称 アジアの壁
カタカナ イハラ マサミ
ラテン文字 IHARA Masami
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1967-09-18) 1967年9月18日(57歳)[1]
出身地 滋賀県甲賀郡水口町(現:甲賀市[1]
身長 182cm[1]
体重 74kg[1]
選手情報
ポジション DF
利き足 右足
ユース
1983-1985 日本の旗 守山高校
1986-1989 日本の旗 筑波大学
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1990-1999 日本の旗 日産/横浜F・マリノス[注 1] 267 (5)
2000 日本の旗 ジュビロ磐田 20 (1)
2001-2002 日本の旗 浦和レッズ 54 (1)
通算 341 (7)
代表歴2
1988-1999[2] 日本の旗 日本 122 (5)
監督歴
2009,2013 日本の旗 柏レイソル(代行)
2015-2018 日本の旗 アビスパ福岡
2022 日本の旗 柏レイソル(代行)
2023- 日本の旗 柏レイソル
1. 国内リーグ戦に限る。2003年1月1日現在。
2. 1999年7月5日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

井原 正巳(いはら まさみ、1967年9月18日 - )は、滋賀県甲賀郡水口町(現:甲賀市)出身[3]の元プロサッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはディフェンダー。元日本代表。現在はJリーグ柏レイソルの監督を務めている。

1990年代のJリーグを代表するディフェンダー(センターバック)で「アジアの壁」と呼ばれ[4]、キャプテンとして1998 FIFAワールドカップに出場した。サッカー日本代表のA代表CAP数122は遠藤保仁に抜かれるまで歴代1位であった[5]

来歴

プロ入り前から現役引退まで

小学3年生の頃兄がプレーしていた[6]、貴生川サッカー少年団でサッカーを始めた[7]水口中学を経て[8]滋賀県立守山高等学校へと進学した[8]。高校時代の2学年先輩に美濃部直彦がいる。1984年に全国高校サッカー選手権に出場した[6]。高校卒業後は筑波大学へ進学して蹴球部に所属した。大学入り前に行われた、ワールドユースに向けたセレクションのメンバーに選抜されたが、ディフェンダーのポジションには空きがあったことから「やってみないか?」と勧められたことがきっかけとなり[6]、フォワードからディフェンダーに転向した[9]。筑波では1986年、1987年に関東リーグと総理大臣杯で連覇を果たした[6]。筑波大学2年時に日本代表に選出された。

筑波大学時代、当時ディフェンダーだった中山雅史とセンターバックでコンビを組んでいた。二人はユース代表でもセンターバックを務め[10]、アルバイトも同じ所でするなど公私共に仲が良かった[10]

日産、横浜マリノス時代

大学卒業後は日産自動車サッカー部(現:横浜F・マリノス)に入部、一時はボランチも経験したが、ディフェンダーとしてプレーした。1991-92年、19992-93年シーズンには天皇杯とアジアカップウィナーズカップの連覇に貢献した。

1993年Jリーグ開幕節 (5月15日) のヴェルディ川崎戦に出場、同年5月29日のジェフユナイテッド市原戦ではJリーグのオウンゴール第1号を記録した[11]。1994年5月4日のヴェルディ川崎戦でJリーグ初ゴールを挙げた[12]。1995年はJリーグ1stステージで優勝を果たすと、Jリーグチャンピオンシップでは、ヴェルディ川崎戦の2ndレグでダイビングヘッドによる決勝ゴールを決め、マリノス初のJリーグ年間優勝に大きく寄与した[13]

ジュビロ、レッズ時代

前身の日産時代から10シーズンをマリノスでプレーし「ミスターマリノス」とまで言われたが[14]、マリノスからのコーチ就任要請を蹴って、2000年にジュビロ磐田へ移籍。

2001年からは、以前日本代表で共に戦った福田正博が在籍していた浦和レッドダイヤモンズに移籍した。5月19日のガンバ大阪戦での移籍後初ゴールは[15]、現役最後のゴールとなった。同年行われた2002年W杯1次リーグの組み合わせ抽選会ではアジア代表としてドロワーを務めた。

2002年、2ndステージ、チームは開幕から引き分けを含め、9試合負けなしで一時は首位に立ったが、10節で鹿島に敗れると、6連敗でシーズンを終えた[16]。またこの年のJリーグカップでは決勝に進出したが、鹿島に敗れた。Jリーグ最終節、古巣横浜F・マリノス戦で先発フル出場をしたのを最後に[17]、チームメイトの福田正博と共に現役を引退した。Jリーグ通算297試合、5得点。2004年1月4日、国立競技場で引退試合が開催され、この時ゴールを決めた[18]

代表経歴

大学2年時に日本代表に選出され[3]、1988年1月27日のアラブ首長国連邦との親善試合でAマッチ初出場を果たした[19]1990 FIFAワールドカップ・アジア予選では朝鮮民主主義人民共和国に競り負け1次予選敗退。1992年のAFCアジアカップ1992ではグループリーグ最終戦のイラン戦で、グループリーグ敗退濃厚な中、試合終盤に起死回生となる三浦知良の決勝ゴールをアシストして決勝トーナメント進出に貢献[20]、決勝ではサウジアラビアを破って初のアジア制覇に貢献した。

1994 FIFAワールドカップ・アジア予選では、1993年5月5日開催の一次予選、スリランカ戦で代表初ゴールを挙げるなど、一次予選、二次予選の全試合に先発フル出場したが、あと一歩のところでW杯出場権を逃す「ドーハの悲劇」を経験した。1994年のアジア大会ではベスト8で敗退したが、その準々決勝の韓国戦で終盤に一時は同点となる目の覚めるようなスーパーロングシュートを決めた[21]。1995年以降、柱谷哲二が代表を退いて以降は、加茂周代表監督によってキャプテンに指名され、以降代表を外れるまでキャプテンを務めた[22]

1998 FIFAワールドカップ・アジア予選最終予選では、第2戦のUAE戦でFKを頭で合わせると、このボールはゴールに向かい、間違いなくゴールラインを割って得点となるところであったが(決勝ゴールになる可能性が高かった。)、オフサイドのポジションに居た小村徳男がゴール欲しさからかボールを触って押し込んだたため、ノーゴルの判定[23]、この決果0-0の引き分けに終わる。この様なこともあり、苦戦を強いられながらも、アウェイでのウズベキスタン戦では、ロングフィードで試合終了間際に呂比須ワグナーの同点ゴールをアシスト[24]。最終節のカザフスタン戦で代表で最後となるゴールを決め[25]第3代表決定戦進出に貢献すると、イラン代表と決戦を制し、日本のW杯初出場へ導いた。3戦全敗となった1998 FIFAワールドカップでは、大会直前に負傷したが[26]、キャプテンとして[3] 全試合に先発フル出場した。

1999年、コパアメリカではグループリーグの2試合に出場したが、ボリビア戦で後半83分に、この試合で2度目の警告を受けて退場処分になった[27]。次の代表戦となったイラン戦は出場停止であったが、『フィリップ・トルシエ監督は「出場停止であるという理由のみで招集しなかった訳ではない。」とコメント[28]、以降再び招集されることはなかった。

引退後

引退後はNHKサッカー解説、TBSラジオ番組『スポーツBOMBER!』パーソナリティー(2003年度から下半期・木曜日担当)、日本サッカー協会認定のJFAアンバサダーびわこ成蹊スポーツ大学客員教授、公共広告機構(現:ACジャパン)・骨髄バンクCMなど各方面で活躍するかたわら、S級ライセンスを取得し指導者の道を歩んでいる。日本各地の少年サッカー教室に参加するなどサッカーの普及にも力を注いでいる。2005年には洪明甫と共に日韓親善大使に選ばれた。2006年4月にJFA 公認S級コーチのライセンスを取得した[1]

これにより、日本代表及びJリーグ監督に就任出来る事になった。 2009年2月、柏レイソルのヘッドコーチに就任[1]。同年7月、監督の高橋真一郎が解任され、後任監督が決定するまでの代行監督を務めた。2013年にはシーズン中に監督の辞意を表明したネルシーニョに代わって天皇杯の1試合指揮をとった(その後ネルシーニョは辞意を撤回)。2014年限りで柏との契約を満了し退任。

2015年よりアビスパ福岡の監督に就任[29]。 最終的には2位磐田と並ぶ勝ち点82の成績を収めたが、得失点差により順位は3位となりJ1自動昇格は叶わず、J1昇格プレーオフに回ることとなった。 そのプレーオフの決勝戦において、4位のセレッソ大阪と1-1で引き分けたが、年間順位で上回った為チームを5年ぶりのJ1の舞台に導いた。

2016年シーズンは5年ぶりとなるJ1の舞台で指揮を執ったが、J11stステージで2勝5分10敗、2ndステージで2勝2分13敗と苦しみ、1年でJ2降格となった。

2017年シーズンは21勝11分10敗で4位となり、J1昇格プレーオフに進出。決勝戦で名古屋グランパスと1年でのJ1復帰を賭けて対戦。試合は0-0の引き分けで終了し、レギュレーションによりJ2残留となった。

2018年11月17日、J2第42節・FC岐阜戦終了後の会見で、J1昇格を逃したことに対する責任を取り、辞任を表明[30][31]。 11月19日、アビスパ福岡の公式サイト上で2018シーズンをもって退任することが発表された[32]

2018年12月13日、柏レイソルのヘッドコーチに復帰した[33]。2022年4月、左アキレス腱を断裂して手術を受けたネルシーニョが復帰した29日までの間、代行監督を務めた。柏での監督代行はこれで3度目となった。 2023年5月17日、チームの成績不振(リーグ戦2勝5分6敗の16位)で退任する事になったネルシーニョ監督の後任として、柏レイソルの監督に就任した[34]。8月以降の公式戦の成績は、7勝8分け2敗で、最終順位は17位と、何とかJ1残留を決めた[35]。一方の天皇杯では、決勝に進出したが、川崎フロンターレにPK戦の末に惜敗した。天皇杯決勝進出と、8月以降成績が持ち直し、J1に残留した手腕を評価され、2024年も監督を続投することとなった[36]

プレースタイルと評価

その鉄壁の守備から「アジアの壁」といわれ、冷静な判断と鋭い読み、向かってくる相手選手からボールを奪う上手さ、体をぶつけられても倒れない強さなど、ディフェンダーとしての要素を全て備えていた[37]、警告を受けることは余り無かったが、激しい当たりなど、肉弾戦も繰り広げた[38]永島昭浩は、総合的に判断すると歴代最高のDFであったと評価した[39]ペレイラも同様に、当時のJリーグの選手の中では最高のDFとして名前を挙げた[40]。また洪明甫か井原か、どちらがアジア最高のリベロか、という比較が日本、韓国メディアで盛んに行われていた[41]

2020年にサッカーダイジェストが企画した、これまでのJリーグ歴代ベストイレブンを選ぶ企画では、様々な人物からJリーグ歴代のベストイレブンに選出された[39][42][43][44][45][46][47][48][49][50]。また阿部勇樹は幼少期の頃に好きだった選手として名前を挙げた[51]

所属クラブ

個人成績

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 JSL杯/ナビスコ杯 天皇杯 期間通算
1990-91 日産 4 JSL1部 22 2 4 0
1991-92 22 0 3 0
1992 横浜M - J - 8 0 5 0 13 0
1993 32 0 0 0 1 0 33 0
1994 41 1 2 0 4 0 47 1
1995 47 1 - 2 0 49 1
1996 29 1 13 0 1 0 43 1
1997 4 22 0 0 0 2 0 24 0
1998 27 0 0 0 1 0 28 0
1999 横浜FM J1 25 0 6 0 3 0 34 0
2000 磐田 20 1 3 0 0 0 23 1
2001 浦和 3 26 1 6 0 4 0 36 1
2002 28 0 9 1 0 0 37 1
通算 日本 J1 297 5 47 1 23 0 367 6
日本 JSL1部 44 2 7 0 10 2 61 4
総通算 341 7 54 1 33 2 428 10

その他の公式戦

その他

背番号

個人タイトル

代表歴

出場大会など

   イングランド代表戦(アンブロカップ)

試合数

  • 国際Aマッチ 122試合(全試合先発出場) 5得点(1988年 - 1999年)[2]


日本代表国際Aマッチ
出場得点
1988 5 0
1989 11 0
1990 6 0
1991 2 0
1992 11 0
1993 15 2
1994 9 1
1995 16 1
1996 13 0
1997 21 1
1998 10 0
1999 3 0
通算 122 5

出場

No. 開催日 開催都市 スタジアム 対戦相手 結果 監督 大会
1. 1988年01月27日 アラブ首長国連邦の旗ドバイ  アラブ首長国連邦 △1-1 横山謙三 国際親善試合
2. 1988年01月30日 アラブ首長国連邦の旗アブダビ  アラブ首長国連邦 ●0-2 国際親善試合
3. 1988年02月02日 オマーンの旗マスカット  オマーン △1-1 国際親善試合
4. 1988年06月02日 日本の旗愛知県 名古屋市瑞穂公園陸上競技場  中華人民共和国 ●0-3 キリンカップ
5. 1988年10月26日 日本の旗東京都 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場  韓国 ●0-1 日韓定期戦
6. 1989年01月20日 イランの旗テヘラン  イラン △2-2 国際親善試合
7. 1989年05月05日 大韓民国の旗ソウル  韓国 ●0-1 日韓定期戦
8. 1989年05月10日 日本の旗東京都 国立西が丘サッカー場  中華人民共和国 △2-2 国際親善試合
9. 1989年05月13日 日本の旗岡山県 岡山県総合グラウンド陸上競技場  中華人民共和国 ○2-0 国際親善試合
10. 1989年05月22日 香港の旗香港  香港 △0-0 ワールドカップ予選
11. 1989年05月28日 インドネシアの旗インドネシア  インドネシア △0-0 ワールドカップ予選
12. 1989年06月04日 日本の旗東京都 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場  北朝鮮 ○2-1 ワールドカップ予選
13. 1989年06月11日 日本の旗東京都 国立西が丘サッカー場  インドネシア ○5-0 ワールドカップ予選
14. 1989年06月18日 日本の旗愛知県 神戸総合運動公園ユニバー記念競技場  香港 △0-0 ワールドカップ予選
15. 1989年06月25日 朝鮮民主主義人民共和国の旗平壌  北朝鮮 ●0-2 ワールドカップ予選
16. 1989年07月23日 ブラジルの旗リオデジャネイロ  ブラジル ●0-1 国際親善試合
17. 1990年07月27日 中華人民共和国の旗北京  韓国 ●0-2 ダイナスティカップ
18. 1990年07月29日 中華人民共和国の旗北京  中華人民共和国 ●0-1 ダイナスティカップ
19. 1990年07月31日 中華人民共和国の旗北京  北朝鮮 ●0-1 ダイナスティカップ
20. 1990年09月26日 中華人民共和国の旗北京  バングラデシュ ○3-0 アジア大会
21. 1990年09月28日 中華人民共和国の旗北京  サウジアラビア ●0-2 アジア大会
22. 1990年10月01日 中華人民共和国の旗北京  イラン ●0-1 アジア大会
23. 1991年06月02日 日本の旗山形県 山形県総合運動公園陸上競技場  タイ ○1-0 キリンカップ
24. 1991年07月27日 日本の旗長崎県 長崎県立総合運動公園陸上競技場  韓国 ●0-1 日韓定期戦
25. 1992年05月31日 日本の旗東京都 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場  アルゼンチン ●0-1 ハンス・オフト キリンカップ
26. 1992年06月07日 日本の旗愛媛県 愛媛県総合運動公園陸上競技場  ウェールズ ●0-1 キリンカップ
27. 1992年08月22日 中華人民共和国の旗北京  韓国 △0-0 ダイナスティカップ
28. 1992年08月24日 中華人民共和国の旗北京  中華人民共和国 ○2-0 ダイナスティカップ
29. 1992年08月26日 中華人民共和国の旗北京  北朝鮮 ○4-1 ダイナスティカップ
30. 1992年08月29日 中華人民共和国の旗北京  韓国 △2-2(PK4-2) ダイナスティカップ
31. 1992年10月30日 日本の旗広島県 広島県立びんご運動公園陸上競技場  アラブ首長国連邦 △0-0 アジアカップ
32. 1992年11月01日 日本の旗広島県 広島広域公園陸上競技場  北朝鮮 △1-1 アジアカップ
33. 1992年11月03日 日本の旗広島県 広島広域公園陸上競技場  イラン ○1-0 アジアカップ
34. 1992年11月06日 日本の旗広島県 広島県総合グランドメインスタジアム  中華人民共和国 ○3-2 アジアカップ
35. 1992年11月08日 日本の旗広島県 広島広域公園陸上競技場  サウジアラビア ○1-0 アジアカップ
36. 1993年03月07日 日本の旗福岡県 東平尾公園博多の森陸上競技場  ハンガリー ●0-1 キリンカップ
37. 1993年03月14日 日本の旗東京都 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場  アメリカ合衆国 ○3-1 キリンカップ
38. 1993年04月08日 日本の旗愛知県 神戸総合運動公園ユニバー記念競技場  タイ ○1-0 ワールドカップ予選
39. 1993年04月11日 日本の旗東京都 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場  バングラデシュ ○8-0 ワールドカップ予選
40. 1993年04月15日 日本の旗東京都 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場  スリランカ ○5-0 ワールドカップ予選
41. 1993年04月18日 日本の旗東京都 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場  アラブ首長国連邦 ○2-0 ワールドカップ予選
42. 1993年04月28日 アラブ首長国連邦の旗ドバイ  タイ ○1-0 ワールドカップ予選
43. 1993年05月05日 アラブ首長国連邦の旗ドバイ  スリランカ ○6-0 ワールドカップ予選
44. 1993年05月07日 アラブ首長国連邦の旗アル・アイン  アラブ首長国連邦 △1-1 ワールドカップ予選
45. 1993年10月04日 日本の旗東京都 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場  コートジボワール ○1-0(延長) アフロ・アジア選手権
46. 1993年10月15日 カタールの旗ドーハ  サウジアラビア △0-0 ワールドカップ予選
47. 1993年10月18日 カタールの旗ドーハ  イラン ●1-2 ワールドカップ予選
48. 1993年10月21日 カタールの旗ドーハ  北朝鮮 ○3-0 ワールドカップ予選
49. 1993年10月25日 カタールの旗ドーハ  韓国 ○1-0 ワールドカップ予選
50. 1993年10月28日 カタールの旗ドーハ  イラク △2-2 ワールドカップ予選
51. 1994年05月22日 日本の旗広島県 広島広域公園陸上競技場  オーストラリア △1-1 パウロ・ロベルト・ファルカン キリンカップ
52. 1994年05月29日 日本の旗東京都 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場  フランス ●1-4 キリンカップ
53. 1994年07月08日 日本の旗愛知県 名古屋市瑞穂公園陸上競技場  ガーナ ○3-2 アシックスカップ
54. 1994年07月14日 日本の旗愛知県 神戸総合運動公園ユニバー記念競技場  ガーナ ○2-1 アシックスカップ
55. 1994年09月27日 日本の旗東京都 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場  オーストラリア △0-0 国際親善試合
56. 1994年10月03日 日本の旗広島県 みよし運動公園陸上競技場  アラブ首長国連邦 △1-1 アジア大会
57. 1994年10月05日 日本の旗広島県 広島県総合グランドメインスタジアム  カタール △1-1 アジア大会
58. 1994年10月09日 日本の旗広島県 広島県立びんご運動公園陸上競技場  ミャンマー ○5-0 アジア大会
59. 1994年10月11日 日本の旗広島県 広島県総合グランドメインスタジアム  韓国 ●2-3 アジア大会
60. 1995年01月06日 サウジアラビアの旗リヤド  ナイジェリア ●0-3 加茂周 インターコンチネンタル選手権
61. 1995年01月08日 サウジアラビアの旗リヤド  アルゼンチン ●1-5 インターコンチネンタル選手権
62. 1995年02月15日 オーストラリアの旗シドニー  オーストラリア ●1-2 国際親善試合
63. 1995年02月21日 香港の旗香港  韓国 △1-1 ダイナスティカップ
64. 1995年02月23日 香港の旗香港  中華人民共和国 ○2-1 ダイナスティカップ
65. 1995年02月26日 香港の旗香港  韓国 △2-2(PK5-3) ダイナスティカップ
66. 1995年05月21日 日本の旗広島県 広島広域公園陸上競技場  スコットランド △0-0 キリンカップ
67. 1995年05月28日 日本の旗東京都 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場  エクアドル ○3-0 キリンカップ
68. 1995年06月03日 イングランドの旗ロンドン  イングランド ●1-2 アンブロカップ
69. 1995年06月06日 イングランドの旗リバプール  ブラジル ●0-3 アンブロカップ
70. 1995年06月10日 イングランドの旗ノッティンガム  スウェーデン △2-2 アンブロカップ
71. 1995年08月06日 日本の旗京都府 京都市西京極総合運動公園陸上競技場兼球技場  コスタリカ ○3-0 国際親善試合
72. 1995年08月09日 日本の旗東京都 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場  ブラジル ●1-5 サン・スパークカップ
73. 1995年09月20日 日本の旗東京都 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場  パラグアイ ●1-2 デサント・アディダスマッチ
74. 1995年10月24日 日本の旗東京都 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場  サウジアラビア ○2-1 デサント・アディダスマッチ
75. 1995年10月28日 日本の旗愛媛県 愛媛県総合運動公園陸上競技場  サウジアラビア ○2-1 デサント・アディダスマッチ
76. 1996年02月10日 オーストラリアの旗ウォロンゴン  オーストラリア ○4-1 国際親善試合
77. 1996年02月14日 オーストラリアの旗メルボルン  オーストラリア ●0-3 国際親善試合
78. 1996年02月19日 香港の旗香港  ポーランド ○5-0 カールスバーグカップ
79. 1996年02月22日 香港の旗香港  スウェーデン △1-1(PK4-5) カールスバーグカップ
80. 1996年05月26日 日本の旗東京都 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場  ユーゴスラビア ○1-0 キリンカップ
81. 1996年05月29日 日本の旗福岡県 東平尾公園博多の森球技場  メキシコ ○3-2 キリンカップ
82. 1996年08月25日 日本の旗大阪府 長居陸上競技場  ウルグアイ ○5-3 国際親善試合
83. 1996年09月11日 日本の旗東京都 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場  ウズベキスタン ○1-0 JFA75周年記念試合
84. 1996年10月13日 日本の旗愛知県 神戸総合運動公園ユニバー記念競技場  チュニジア ○1-0 プーマカップ
85. 1996年12月06日 アラブ首長国連邦の旗アル・アイン  シリア ○2-1 アジアカップ
86. 1996年12月09日 アラブ首長国連邦の旗アル・アイン  ウズベキスタン ○4-0 アジアカップ
87. 1996年12月12日 アラブ首長国連邦の旗アル・アイン  中華人民共和国 ○1-0 アジアカップ
88. 1996年12月15日 アラブ首長国連邦の旗アル・アイン  クウェート ●0-2 アジアカップ
89. 1997年02月09日 タイ王国の旗バンコク  タイ △1-1 キングスカップ
90. 1997年02月13日 タイ王国の旗バンコク  スウェーデン ●0-1 キングスカップ
91. 1997年03月15日 タイ王国の旗バンコク  タイ ●1-3 国際親善試合
92. 1997年03月23日 オマーンの旗マスカット  オマーン ○1-0 ワールドカップ予選
93. 1997年03月25日 オマーンの旗マスカット  マカオ ○10-0 ワールドカップ予選
94. 1997年03月27日 オマーンの旗マスカット  ネパール ○6-0 ワールドカップ予選
95. 1997年05月21日 日本の旗東京都 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場  韓国 △1-1 ワールドカップ記念試合
96. 1997年06月08日 日本の旗東京都 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場  クロアチア ○4-3 キリンカップ
97. 1997年06月15日 日本の旗大阪府 長居陸上競技場  トルコ ○1-0 キリンカップ
98. 1997年06月22日 日本の旗東京都 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場  マカオ ○10-0 ワールドカップ予選
99. 1997年06月25日 日本の旗東京都 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場  ネパール ○3-0 ワールドカップ予選
100. 1997年06月28日 日本の旗東京都 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場  オマーン △1-1 ワールドカップ予選
101. 1997年08月13日 日本の旗大阪府 長居陸上競技場  ブラジル ●0-3 国際親善試合
102. 1997年09月07日 日本の旗東京都 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場  ウズベキスタン ○6-3 ワールドカップ予選
103. 1997年09月19日 アラブ首長国連邦の旗アブダビ  アラブ首長国連邦 △0-0 ワールドカップ予選
104. 1997年09月28日 日本の旗東京都 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場  韓国 ●1-2 ワールドカップ予選
105. 1997年10月04日 カザフスタンの旗アルマトイ  カザフスタン △1-1 ワールドカップ予選
106. 1997年10月11日 ウズベキスタンの旗タシケント  ウズベキスタン △1-1 岡田武史 ワールドカップ予選
107. 1997年11月01日 大韓民国の旗ソウル  韓国 ○2-0 ワールドカップ予選
108. 1997年11月08日 日本の旗東京都 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場  カザフスタン ○5-1 ワールドカップ予選
109. 1997年11月16日 マレーシアの旗ジョホールバル  イラン ○3-2(延長V) ワールドカップ予選
110. 1998年02月15日 オーストラリアの旗アデレード  オーストラリア ○3-0 国際親善試合
111. 1998年03月01日 日本の旗神奈川県 横浜国際総合競技場  韓国 ○2-1 ダイナスティカップ
112. 1998年03月07日 日本の旗東京都 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場  中華人民共和国 ●0-2 ダイナスティカップ
113. 1998年04月01日 大韓民国の旗ソウル  韓国 ●1-2 ワールドカップ記念試合
114. 1998年05月17日 日本の旗東京都 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場  パラグアイ △1-1 キリンカップ
115. 1998年05月24日 日本の旗神奈川県 横浜国際総合競技場  チェコ △0-0 キリンカップ
116. 1998年06月14日 フランスの旗トゥールーズ  アルゼンチン ●0-1 ワールドカップ
117. 1998年06月20日 フランスの旗ナント  クロアチア ●0-1 ワールドカップ
118. 1998年06月26日 フランスの旗リヨン  ジャマイカ ●1-2 ワールドカップ
119. 1998年10月28日 日本の旗大阪府 長居陸上競技場  エジプト ○1-0 フィリップ・トルシエ キリンチャレンジ
120. 1999年03月31日 日本の旗東京都 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場  ブラジル ●0-2 キリンビバレッジ
121. 1999年06月29日 パラグアイの旗アスンシオン  ペルー ●2-3 コパ・アメリカ
122. 1999年07月05日 パラグアイの旗ペドロ・ファン・カバジェロ  ボリビア △1-1 コパ・アメリカ

得点数

# 年月日 開催地 対戦国 スコア 結果 試合概要
1 1993年5月5日 アラブ首長国連邦ドバイ スリランカの旗 スリランカ 6-0 勝利 1994 FIFAワールドカップ・アジア予選
2
3 1994年10月11日 日本広島市 大韓民国の旗 韓国 2-3 敗戦 アジア競技大会
4 1995年6月3日 イングランドロンドン イングランドの旗 イングランド 1-2 敗戦 アンブロ・カップ
5 1997年11月8日 日本、東京 カザフスタンの旗 カザフスタン 5-1 勝利 1998 FIFAワールドカップ・アジア予選

指導歴

  • 2006年8月 - 2008年8月  U-23日本代表 アシスタントコーチ
  • 2009年 - 2014年12月 日本の旗 柏レイソル ヘッドコーチ
    • 2009年7月・2013年9月 監督代行
  • 2015年 - 2018年 日本の旗 アビスパ福岡 監督
  • 2019年 - 日本の旗 柏レイソル
    • 2019年 - 2023年5月 ヘッドコーチ
      • 2022年4月 監督代行
    • 2023年5月 - 監督

監督成績

年度 クラブ 所属 リーグ戦 カップ戦
順位 勝点 試合 ナビスコ杯 天皇杯
2009 J1 - 1 2 0 1 1 - -
2015 福岡 J2 3位 82 42 24 10 8 - 3回戦敗退
2016 J1・1st 18位 18位 11 17 2 5 10 ベスト8 2回戦敗退
J1・2nd 18位 8 17 2 2 13
2017 J2 4位 74 42 21 11 10 3回戦敗退
2018 7位 70 42 19 13 10 3回戦敗退
2023 J1
  • 2009年は代行。
  • 2023年は第14節より指揮。

出演

CM

テレビ番組

脚注

  1. ^ 1992年から1998年までは横浜マリノス

出典

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関連項目

外部リンク