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'''都崎 秀太郎'''(つざき ひでたろう、[[1852年]]6月25日([[嘉永]]5年[[5月8日 (旧暦)|5月8日]]<ref name=人4>『人事興信録 第4版』つ7頁。</ref>)- [[1926年]]([[大正]]15年)[[11月4日]]<ref name=議衆>『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』243頁。</ref>)は、[[明治]]から大正期の[[実業家]]・[[政治家]]。[[衆議院|衆議院議員]]、香川県会議長。号・梧庵{{R|香人}}。 |
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== 参考文献 == |
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*人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。 |
*人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。 |
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*『衆議院議員総選挙一覧 上巻』衆議院事務局、1915年。 |
*『衆議院議員総選挙一覧 上巻』[[衆議院事務局]]、1915年。 |
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*衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』衆議院事務局、1918年。 |
*衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』衆議院事務局、1918年。 |
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*『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。 |
*『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。 |
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*『香川県人物・人名事典』四国新聞社、1985年。 |
*『香川県人物・人名事典』[[四国新聞社]]、1985年。 |
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*[[衆議院]]・[[参議院]]『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』[[大蔵省印刷局]]、1990年。 |
*[[衆議院]]・[[参議院]]『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』[[大蔵省印刷局]]、1990年。 |
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都崎 秀太郎(つざき ひでたろう、1852年6月25日(嘉永5年5月8日[1])- 1926年(大正15年)11月4日[2])は、明治から大正期の実業家・政治家。衆議院議員、香川県会議長。号・梧庵[3]。
経歴
[編集]讃岐国阿野郡福江村[3](香川県[2]阿野郡金山村、綾歌郡金山村[4]、坂出町を経て現坂出市福江町[3])で、糖業[3]、富農[3]・都崎光蔵の三男[3][注釈 1]として生まれる。高松藩校・講道館で学んだ[2][4]。1885年(明治18年)11月、家督相続した[1]。
小学校訓導、福江村戸長などを務めた[2][4]。1882年(明治15年)愛媛県会議員に選出され、同常置委員、同勧業諮問会員に在任[2][3][4]。1888年(明治21年)香川県が再置され、その後、香川県会議員に選出され[2][4]、同常置委員、所得調査委員、地方衛生会員、香川県育英会評議員なども務めた[2][4]。1890年(明治23年)11月、香川県会議長に就任し1892年(明治25年)2月まで在任した[2][4][5]。
同年2月、第2回衆議院議員総選挙(香川県第3区、1892年2月、議員集会所)で当選し[3][6]、衆議院議員に1期在任した[2][4]。
実業界では、讃岐糖業大会社社長、讃岐紡績取締役、高松銀行(現百十四銀行)頭取、讃岐貯蓄銀行頭取、金山塩田社長、金山新塩田社長などを務めた[1][2][3][4]。
国政選挙歴
[編集]- 第1回衆議院議員総選挙(香川県第3区、1890年7月、立憲改進党)次点落選[3][6]
- 第2回衆議院議員総選挙(香川県第3区、1892年2月、議員集会所)当選[6]
- 第3回衆議院議員総選挙(香川県第3区、1894年3月、立憲改進党)次点落選[6]
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 『人事興信録 第4版』つ7頁では都崎善七の長男。
出典
[編集]参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
- 『衆議院議員総選挙一覧 上巻』衆議院事務局、1915年。
- 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』衆議院事務局、1918年。
- 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
- 『香川県人物・人名事典』四国新聞社、1985年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。