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'''秋山 エリカ'''('''あきやま えりか'''、[[1964年]][[12月31日]]-)は、日本の元[[新体操]]選手。[[福岡県]]出身。[[中村学園高等学校]]→ [[東京女子体育大学]]卒業。
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'''秋山 エリカ'''(あきやま エリカ、[[1964年]][[12月31日]] - )は、[[東京女子体育大学]][[教授]]、体操コーチ、日本の元[[新体操]]選手。[[福岡県]]出身。[[東京都]][[国立市]]在住<ref name=“nishinippon”>{{Cite web|和書|url=https://www.nishinippon.co.jp/sp/item/n/778803/|title= 中村学園女子高生徒を秋山エリカさん激励、五輪の新体操でエスコート|publisher=[[西日本新聞]]|date=2021-08-01|accessdate=2022-02-18}}</ref>。
小さい頃はとてもからだが弱かったそう。幼少の頃から[[バレエ]]に親しみ、中村学園高校時代に[[器械体操]]から新体操に転向した。高校時代はミスが多かったそうだが、東京女子体育大学に進学し、頭角を現し始める。[[ロサンゼルスオリンピック (1984)|ロサンゼルス]]・[[ソウルオリンピック|ソウル]]両オリンピックに出場し、[[1989年]]には[[全日本新体操選手権|全日本選手権]]で6連覇を達成。翌1990年に現役を引退した。
現在は海外でのコーチ研修などを経て、多彩な工夫を盛り込んで後進の指導にあたっている。彼女の指導世界の舞台に立っている選手はとても多い。
また、テレビ放送の解説者や講演会の講師、東女体大教授として活躍。現役時代から演技にこだわりを持ち、妥協を許さないことでも知られる。


== 来歴 ==
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ツルタみとま幼稚園、[[福岡市立博多中学校|福岡市立博多第二中学校]]、[[中村学園女子中学校・高等学校|中村学園女子高等学校]]<ref name=“nishinippon”/>、東京女子体育大学卒業。

=== 幼少期 ===
* 幼いころは病弱だったが、[[バレエ]]に親しむ。

=== 学生時代 ===
* 博多二中在学中、器械体操を始める。
* 中村学園女子高等校進学時、[[体操競技|器械体操]]から新体操に転向。はじめはミスが多かったものの、[[東京女子体育大学]]に進学したころから、頭角を現しはじめる。
* 様々な工夫を施した演技構成・種具操作と、特に肩の関節の柔らかさを駆使した独創的な動き知られ、特にフープの首キャッチ、フープの蹴り上げ、リボンの蹴り上げなどは秋山のオリジナルである。

=== オリンピックに出場 ===
* [[1984年ロサンゼルスオリンピック]]・[[1988年ソウルオリンピック]]に出場し、[[1984年]]から[[1989年]]まで[[全日本新体操選手権大会|全日本選手権]]で6連覇を達成する。
* 1989年の[[世界新体操選手権|世界選手権]]では、予選で上位国の選手が2人ずつに絞られた効果もあったが、堂々の8位入賞を果たした。[[ソビエト連邦|ソ連]]・[[ブルガリア]]といった新体操強国が参加した[[世界新体操選手権|世界選手権]]としては、日本人最高順位である。翌[[1990年]]に現役を引退した。

=== 引退後 ===
* 現在は海外でのコーチ研修などを経て、後進の指導にあたっている。多彩な工夫を盛り込んだ秋山の指導により、世界の舞台に立っている選手も多い。
* また、テレビ放送の解説者や講演会の講師、[[学]]教授として活躍している。現役時代から演技にこだわりを持ち、妥協を許さないことでも知られている。

== 主な試合結果 ==
*1983年 [[世界新体操選手権|世界選手権大会]]([[ストラスブール]])日本代表(個人総合27位)。
*1984年 [[1984年ロサンゼルスオリンピック|ロサンゼルスオリンピック]]出場(個人総合13位)。(56.050)
*1985年 [[世界新体操選手権|世界選手権大会]]([[バリャドリッド]])日本代表(個人総合30位)。
*1987年 [[世界新体操選手権|世界選手権大会]]([[ヴァルナ (ブルガリア)|バルナ]])日本代表(個人総合16位)
*1988年 [[1988年ソウルオリンピック|ソウルオリンピック]]出場(個人総合15位)。(58.050) 。
*1989年 [[世界新体操選手権|世界選手権大会]]([[サラエヴォ]])日本代表(個人総合8位入賞)。

== 参考文献 ==
* 浅井慎平撮影「'84ブラザーカップ新体操写真集~Passion flowers」日本文化出版(1984/07)
* 加茂佳子・後藤忠弘・山田真一(写真)「スポーツのみかた1新体操」保育社カラーブックス(1984/08)
* 道徳資料としても登場 「4年生のどうとく」文渓堂(平成21年度版)p.&nbsp;118-119

== DVD ==
* [http://www.tandh.net/rhythmicgymnastics_125.php 東京女子体育大学 ~新体操~] ティアンドエイチ株式会社(2004年)
* [http://www.tandh.net/rhythmicgymnastics_1232.php 東京女子体育大学 新体操部 わかりやすい実技と解説] ティアンドエイチ株式会社(2016年)

=== 注釈 ===
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=== 出典 ===
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== 外部リンク ==
* {{Olympedia}}
*[http://www.peaks-sports.com/athlete_akiyama.html 秋山エリカ] PEAKS

{{先代次代|1984年-1989年<br/>[[全日本新体操選手権大会]]<br>女子個人総合優勝|'''秋山エリカ'''|1979年-1983年<br/>[[山崎浩子]]|1990年-1994<br/>[[川本ゆかり]]|}}
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[[Category:日本の新体操選手]]
[[Category:オリンピック体操日本代表選手]]
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[[Category:中村学園女子高等学校出身の人物]]
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[[Category:新体操指導者]]
[[Category:1964年生]]
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2024年6月9日 (日) 01:28時点における最新版

秋山エリカ

秋山 エリカ(あきやま エリカ、1964年12月31日 - )は、東京女子体育大学教授、体操コーチ、日本の元新体操選手。福岡県出身。東京都国立市在住[1]

来歴

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ツルタみとま幼稚園、福岡市立博多第二中学校中村学園女子高等学校[1]、東京女子体育大学卒業。

幼少期

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  • 幼いころは病弱だったが、バレエに親しむ。

学生時代

[編集]
  • 博多二中在学中、器械体操を始める。
  • 中村学園女子高等校進学時、器械体操から新体操に転向。はじめはミスが多かったものの、東京女子体育大学に進学したころから、頭角を現しはじめる。
  • 様々な工夫を施した演技構成・種具操作と、特に肩の関節の柔らかさを駆使した独創的な動き知られ、特にフープの首キャッチ、フープの蹴り上げ、リボンの蹴り上げなどは秋山のオリジナルである。

オリンピックに出場

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引退後

[編集]
  • 現在は海外でのコーチ研修などを経て、後進の指導にあたっている。多彩な工夫を盛り込んだ秋山の指導により、世界の舞台に立っている選手も多い。
  • また、テレビ放送の解説者や講演会の講師、東京女子体育大学教授としても活躍している。現役時代から演技にこだわりを持ち、妥協を許さないことでも知られている。

主な試合結果

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参考文献

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  • 浅井慎平撮影「'84ブラザーカップ新体操写真集~Passion flowers」日本文化出版(1984/07)
  • 加茂佳子・後藤忠弘・山田真一(写真)「スポーツのみかた1新体操」保育社カラーブックス(1984/08)
  • 道徳資料としても登場 「4年生のどうとく」文渓堂(平成21年度版)p. 118-119

DVD

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注釈

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出典

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外部リンク

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先代
1979年-1983年
山崎浩子
1984年-1989年
全日本新体操選手権大会
女子個人総合優勝
秋山エリカ
次代
1990年-1994
川本ゆかり