「群馬県道333号上神梅大胡線」の版間の差分
→歴史: 前身路線廃止について加筆 |
|||
(2人の利用者による、間の4版が非表示) | |||
1行目: | 1行目: | ||
{{Ja_Pref_Route_Sign|align=left|pref=群馬|number=333}} |
{{Ja_Pref_Route_Sign|align=left|pref=群馬|number=333}} |
||
'''群馬県道333号上神梅大胡線'''(ぐんまけんどう 333ごう かみかんばいおおごせん)は、[[群馬県]][[みどり市]]大間々町上神梅から[[前橋市]]河原浜町までを結ぶ[[都道府県道|県道]]である。 |
'''群馬県道333号上神梅大胡線'''(ぐんまけんどう 333ごう かみかんばいおおごせん)は、[[群馬県]][[みどり市]]大間々町上神梅から[[前橋市]][[河原浜町]]までを結ぶ[[都道府県道|県道]]である。 |
||
== 概要 == |
== 概要 == |
||
みどり市大間々町上神梅の[[国道122号]]と、前橋市東部の大胡地区を、[[赤城山]]南東の斜面伝いに結ぶ延長17[[キロメートル]]余りのローカル県道である。 |
|||
ただし、道自体の歴史は[[江戸時代]]からの古いもので、[[中山道]][[倉賀野宿]]から分岐して[[栃木市 |
ただし、道自体の歴史は[[江戸時代]]からの古いもので、[[中山道]][[倉賀野宿]]から分岐して[[栃木市]]経由で[[日光東照宮]]までを結んでいた主要な[[脇往還]]・[[日光例幣使街道]]の、更に脇往還にあたる短絡ルート「日光裏街道」の一つ<ref group="注釈">例幣使街道の脇往還となっていた道で「日光裏街道」と呼ばれる街道は、関東北部に複数が存在しており、本項の街道はその一つである。</ref>を、相当部分でなぞっている。この赤城山南東部の日光裏街道は、例幣使街道・[[玉村宿]]から北上、駒形宿(現・前橋市[[駒形町 (前橋市)|駒形町]])を経て[[大胡町 (前橋市)|大胡]]に達し、更に現在の上神梅大胡線に近い経路で[[渡良瀬川]]の谷筋に出て、[[日光市]]足尾経由で峠を越え日光に至るルートであった。 |
||
この歴史の古さ故に、幹線とは言い難い経路ながら極めて早い時期に県道指定されていた。みどり市・[[桐生市]]境の山越え区間を除いてはほぼ全線が2車線であるが、江戸時代以来の古い道筋を多く踏襲することから、交差点での右左折が非常に多い経路である。歩道のない区間も長い。 |
この歴史の古さ故に、幹線とは言い難い経路ながら極めて早い時期に県道指定されていた。みどり市・[[桐生市]]境の山越え区間を除いてはほぼ全線が2車線であるが、江戸時代以来の古い道筋を多く踏襲することから、交差点での右左折が非常に多い経路である。歩道のない区間も長い。 |
||
=== 路線データ === |
=== 路線データ === |
||
* 起点:[[みどり市]]大間々町上神梅字馬場126番の2([[国道122号]]交点){{efn|昭和34年の路線認定当初での表記では、山田郡大間々町大字上神梅字馬場126番の2である<ref name="S34群告326">昭和34年群馬県告示第326号 県道の供用開始に関する告示(群馬県報 号外、1959年9月18日、pp. 24–39、[[群馬県立図書館]]所蔵)</ref>。}} |
|||
* 起点:[[みどり市]]大間々町上神梅 |
|||
* 終点:[[前橋市]][[河原浜町]]([[群馬県道16号大胡赤城線]]交点〈大河橋西詰交差点〉){{efn|昭和34年の路線認定当初での表記では、勢多郡大胡町大字河原浜乙721番である<ref name="S34群告326"/>。}} |
|||
* 終点:[[前橋市]]河原浜町 |
|||
* 重要な経過地:[[勢多郡]][[新里村 (群馬県)|新里村]]{{efn|昭和34年群馬県告示第324号に基づく表記。2005年に桐生市に編入されて、現在は桐生市新里町。}}、[[粕川村 (群馬県)|粕川村]]{{efn|昭和34年群馬県告示第324号に基づく表記。2004年に前橋市に編入されて、現在は前橋市粕川町。}}、[[宮城村 (群馬県)|宮城村]]{{efn|昭和34年群馬県告示第324号に基づく表記。2004年、前橋市に編入。}} |
|||
== 歴史 == |
== 歴史 == |
||
17行目: | 18行目: | ||
* [[1958年]]([[昭和]]33年)[[2月1日]]:この日をもって黒保根村の大字上神梅・下神梅・塩沢が、隣接する[[山田郡 (群馬県)|山田郡]][[大間々町]](当時)に編入されたため、道路起点が大間々町町内となる。 |
* [[1958年]]([[昭和]]33年)[[2月1日]]:この日をもって黒保根村の大字上神梅・下神梅・塩沢が、隣接する[[山田郡 (群馬県)|山田郡]][[大間々町]](当時)に編入されたため、道路起点が大間々町町内となる。 |
||
* [[1959年]](昭和34年)[[9月18日]]:群馬県より現・[[道路法]]に基づき、県道'''上神梅大胡線'''(山田郡大間々町大字上神梅 - 勢多郡[[新里村 (群馬県)|新里村]] - [[粕川村 (群馬県)|粕川村]] - [[宮城村 (群馬県)|宮城村]] - 大胡町、整理番号49)が路線認定される<ref name="S34群告324">昭和34年群馬県告示第324号 県道路線認定に関する告示(群馬県報 号外、1959年9月18日、pp. 1–15、[[群馬県立図書館]]所蔵)</ref>。 |
* [[1959年]](昭和34年)[[9月18日]]:群馬県より現・[[道路法]]に基づき、県道'''上神梅大胡線'''(山田郡大間々町大字上神梅 - 勢多郡[[新里村 (群馬県)|新里村]] - [[粕川村 (群馬県)|粕川村]] - [[宮城村 (群馬県)|宮城村]] - 大胡町、整理番号49)が路線認定される<ref name="S34群告324">昭和34年群馬県告示第324号 県道路線認定に関する告示(群馬県報 号外、1959年9月18日、pp. 1–15、[[群馬県立図書館]]所蔵)</ref>。 |
||
** 群馬県道の指定見直しに伴い、前身路線にあたる県道神梅大胡線(山田郡大間々町 - 勢多郡大胡町、整理番号249)を廃止<ref name="S34群告325">昭和34年群馬県告示第325号 県道路線廃止に関する告示(群馬県報 号外、1959年9月18日、pp. 15–24、[[群馬県立図書館]]所蔵)</ref>。同日付で大間々町大字上神梅-大胡町大字河原浜間を県道に再指定、現名称となる<ref>昭和34年群馬県告示第326号</ref>。 |
** 群馬県道の指定見直しに伴い、前身路線にあたる県道神梅大胡線(山田郡大間々町 - 勢多郡大胡町、整理番号249)を廃止<ref name="S34群告325">昭和34年群馬県告示第325号 県道路線廃止に関する告示(群馬県報 号外、1959年9月18日、pp. 15–24、[[群馬県立図書館]]所蔵)</ref>。同日付で大間々町大字上神梅-大胡町大字[[河原浜町|河原浜]]間を県道に再指定、現名称となる<ref>昭和34年群馬県告示第326号</ref>。 |
||
== 路線状況 == |
== 路線状況 == |
||
現道は、渡良瀬川の谷筋である国道122号から信号のない丁字路交差点で分岐し、 |
現道は、渡良瀬川の谷筋である国道122号から信号のない丁字路交差点で分岐し、2キロメートルほどで180メートル近い高低差を登坂、渡良瀬川西岸の南方に延びた海抜400メートル以上の尾根筋を、ヘアピンカーブの続く1~1.5車線幅員の狭隘路で越える。この山越え区間は勾配やカーブが急で大型車の通過も困難であるため、地元車両以外の通行は少ない。峠を越え、[[桐生市]][[新里町高泉]]の付近からは、[[ゴルフ場]]や[[別荘地]]なども沿道に現れ、集落に近付くと若干道幅も広がってくる。 |
||
新里町 |
桐生市[[新里町板橋]]で[[国道353号]]に突き当たって左折、約1キロメートルを重用して標高を落としつつ南下する(ただし、333号の方が古くからある道筋である)。板橋十字路で国道は左折、県道は右折し、前橋市[[粕川町室沢]]まで、谷筋での起伏を繰り返しながら西進する。 |
||
かつての宿場であった |
かつての宿場であった粕川町室沢では左折して標高を落としつつ500メートル南下、信号のない交差点で右折して、前橋市[[鼻毛石町]]まで起伏の少ない赤城山南面を、海抜270-260メートル程度でほぼ等高線沿いに西進する。 |
||
鼻毛石町の宮城小学校前交差点で[[群馬県道101号四ツ塚原之郷前橋線|県道101号四ツ塚原之郷前橋線]]が直進路として分岐する。333号は左折を2度繰り返して南下、ここからカーブを伴った |
鼻毛石町の宮城小学校前交差点で[[群馬県道101号四ツ塚原之郷前橋線|県道101号四ツ塚原之郷前橋線]]が直進路として分岐する。333号は左折を2度繰り返して南下、ここからカーブを伴った3キロメートル弱のルートで100メートル近く高度を下げながら大胡市街地の東外れの向町丁字路に到達する(ここには往年の街道筋であることを示す石の道標が立つ)。右折して[[群馬県道3号前橋大間々桐生線|県道3号前橋大間々桐生線]]の旧道に入り、荒砥川を大川橋で渡ると、橋の西詰で[[群馬県道16号大胡赤城線|県道16号大胡赤城線]]が右手から合流、終点となる。 |
||
=== 重複区間 === |
|||
* [[国道353号]](桐生市新里町板橋 - 同〈板橋交差点〉) |
|||
=== 道路施設 === |
|||
* 大川橋(荒砥川、前橋市河原浜町 - 前橋市大胡町) |
|||
== 地理 == |
== 地理 == |
||
37行目: | 44行目: | ||
=== 交差する道路 === |
=== 交差する道路 === |
||
* [[国道122号]] - [[みどり市]]大間々町上神梅(起点) |
* [[国道122号]] - [[みどり市]]大間々町上神梅(起点) |
||
* [[国道353号]] - [[桐生市]]新里町板橋(重複区間) |
* [[国道353号]] - [[桐生市]][[新里町板橋]](重複区間) |
||
* [[群馬県道102号三夜沢国定停車場線]] - [[前橋市]]馬場町(馬場交差点) |
* [[群馬県道102号三夜沢国定停車場線]] - [[前橋市]][[馬場町 (前橋市)|馬場町]](馬場交差点) |
||
* [[群馬県道114号苗ヶ島飯土井線]] - 前橋市鼻毛石町 |
* [[群馬県道114号苗ヶ島飯土井線]] - 前橋市[[鼻毛石町]] |
||
* [[群馬県道101号四ツ塚原之郷前橋線]] - 前橋市鼻毛石町 |
* [[群馬県道101号四ツ塚原之郷前橋線]] - 前橋市鼻毛石町 |
||
* [[群馬県道16号大胡赤城線]] - 前橋市河原浜町(終点) |
* [[群馬県道16号大胡赤城線]] - 前橋市[[河原浜町]](終点) |
||
== 注 |
== 脚注 == |
||
{{脚注ヘルプ}} |
|||
=== 注釈 === |
|||
<references group="注釈"/> |
|||
=== 出典 === |
|||
{{Reflist}} |
{{Reflist}} |
||
== 参考資料 == |
== 参考資料 == |
||
*大胡町誌(1976年)大胡町誌編纂委員会 |
*[[大胡町]]誌(1976年)大胡町誌編纂委員会 |
||
*新里村誌(1974年)新里村誌編纂委員会 |
*[[新里村 (群馬県)|新里村]]誌(1974年)新里村誌編纂委員会 |
||
== 関連項目 == |
== 関連項目 == |
||
* [[群馬県の県道一覧]] |
* [[群馬県の県道一覧]] |
||
{{群馬県道}} |
|||
{{Road-stub}} |
{{Road-stub}} |
||
{{デフォルトソート:くんまけんとう333}} |
{{デフォルトソート:くんまけんとう333}} |
2023年3月3日 (金) 16:24時点における最新版
群馬県道333号上神梅大胡線(ぐんまけんどう 333ごう かみかんばいおおごせん)は、群馬県みどり市大間々町上神梅から前橋市河原浜町までを結ぶ県道である。
概要
[編集]みどり市大間々町上神梅の国道122号と、前橋市東部の大胡地区を、赤城山南東の斜面伝いに結ぶ延長17キロメートル余りのローカル県道である。
ただし、道自体の歴史は江戸時代からの古いもので、中山道倉賀野宿から分岐して栃木市経由で日光東照宮までを結んでいた主要な脇往還・日光例幣使街道の、更に脇往還にあたる短絡ルート「日光裏街道」の一つ[注釈 1]を、相当部分でなぞっている。この赤城山南東部の日光裏街道は、例幣使街道・玉村宿から北上、駒形宿(現・前橋市駒形町)を経て大胡に達し、更に現在の上神梅大胡線に近い経路で渡良瀬川の谷筋に出て、日光市足尾経由で峠を越え日光に至るルートであった。
この歴史の古さ故に、幹線とは言い難い経路ながら極めて早い時期に県道指定されていた。みどり市・桐生市境の山越え区間を除いてはほぼ全線が2車線であるが、江戸時代以来の古い道筋を多く踏襲することから、交差点での右左折が非常に多い経路である。歩道のない区間も長い。
路線データ
[編集]- 起点:みどり市大間々町上神梅字馬場126番の2(国道122号交点)[注釈 2]
- 終点:前橋市河原浜町(群馬県道16号大胡赤城線交点〈大河橋西詰交差点〉)[注釈 3]
- 重要な経過地:勢多郡新里村[注釈 4]、粕川村[注釈 5]、宮城村[注釈 6]
歴史
[編集]- 1920年(大正9年)4月1日:勢多郡黒保根村(現・桐生市黒保根地区)大字上神梅から勢多郡大胡町までを「神梅大胡線」として群馬県道指定[2]。
- 1958年(昭和33年)2月1日:この日をもって黒保根村の大字上神梅・下神梅・塩沢が、隣接する山田郡大間々町(当時)に編入されたため、道路起点が大間々町町内となる。
- 1959年(昭和34年)9月18日:群馬県より現・道路法に基づき、県道上神梅大胡線(山田郡大間々町大字上神梅 - 勢多郡新里村 - 粕川村 - 宮城村 - 大胡町、整理番号49)が路線認定される[3]。
路線状況
[編集]現道は、渡良瀬川の谷筋である国道122号から信号のない丁字路交差点で分岐し、2キロメートルほどで180メートル近い高低差を登坂、渡良瀬川西岸の南方に延びた海抜400メートル以上の尾根筋を、ヘアピンカーブの続く1~1.5車線幅員の狭隘路で越える。この山越え区間は勾配やカーブが急で大型車の通過も困難であるため、地元車両以外の通行は少ない。峠を越え、桐生市新里町高泉の付近からは、ゴルフ場や別荘地なども沿道に現れ、集落に近付くと若干道幅も広がってくる。
桐生市新里町板橋で国道353号に突き当たって左折、約1キロメートルを重用して標高を落としつつ南下する(ただし、333号の方が古くからある道筋である)。板橋十字路で国道は左折、県道は右折し、前橋市粕川町室沢まで、谷筋での起伏を繰り返しながら西進する。
かつての宿場であった粕川町室沢では左折して標高を落としつつ500メートル南下、信号のない交差点で右折して、前橋市鼻毛石町まで起伏の少ない赤城山南面を、海抜270-260メートル程度でほぼ等高線沿いに西進する。
鼻毛石町の宮城小学校前交差点で県道101号四ツ塚原之郷前橋線が直進路として分岐する。333号は左折を2度繰り返して南下、ここからカーブを伴った3キロメートル弱のルートで100メートル近く高度を下げながら大胡市街地の東外れの向町丁字路に到達する(ここには往年の街道筋であることを示す石の道標が立つ)。右折して県道3号前橋大間々桐生線の旧道に入り、荒砥川を大川橋で渡ると、橋の西詰で県道16号大胡赤城線が右手から合流、終点となる。
重複区間
[編集]- 国道353号(桐生市新里町板橋 - 同〈板橋交差点〉)
道路施設
[編集]- 大川橋(荒砥川、前橋市河原浜町 - 前橋市大胡町)
地理
[編集]通過する自治体
[編集]交差する道路
[編集]- 国道122号 - みどり市大間々町上神梅(起点)
- 国道353号 - 桐生市新里町板橋(重複区間)
- 群馬県道102号三夜沢国定停車場線 - 前橋市馬場町(馬場交差点)
- 群馬県道114号苗ヶ島飯土井線 - 前橋市鼻毛石町
- 群馬県道101号四ツ塚原之郷前橋線 - 前橋市鼻毛石町
- 群馬県道16号大胡赤城線 - 前橋市河原浜町(終点)
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 例幣使街道の脇往還となっていた道で「日光裏街道」と呼ばれる街道は、関東北部に複数が存在しており、本項の街道はその一つである。
- ^ 昭和34年の路線認定当初での表記では、山田郡大間々町大字上神梅字馬場126番の2である[1]。
- ^ 昭和34年の路線認定当初での表記では、勢多郡大胡町大字河原浜乙721番である[1]。
- ^ 昭和34年群馬県告示第324号に基づく表記。2005年に桐生市に編入されて、現在は桐生市新里町。
- ^ 昭和34年群馬県告示第324号に基づく表記。2004年に前橋市に編入されて、現在は前橋市粕川町。
- ^ 昭和34年群馬県告示第324号に基づく表記。2004年、前橋市に編入。